(5)
不名誉な女装で正面切って屋敷に潜入し、巧くメイドに成り済ましてから数時間が経っていた。
夕日は稜線の向こうへと隠れ、赤みを帯びた余光が空を薄明るく染めているだけだ。
大広間からは優雅な音楽がかすかに聞こえてきている。夜通し行われる贅を尽くした夜会に客も続々と集まってきているようだ。
しかし、泊まり客が予想以上の人数らしくて、足りない分の寝具の用意にメイドたちは屋敷中をコマネズミのように走り回らされている。
俺とボンが山積みの布団を担いで、ちょうど外門の上にあたる屋根のない渡り廊下を通過しようとした時、階下から呼び声が聞こえてきた。
「中央帝国オデツィアより、ご到着〜。開門!」
仰々しい声で告げられたかと思うと、重い門が開けられているような金属のきしむ音と引きずる音、そして振動が足下から伝わってくる。
「オイ、中央帝国からだってサ。皇帝かナ」
ボンは立ち止まり、ひとり言のように言った。持っていた布団を廊下へ置き、興味津々といった様子で石の欄干から中庭側へと身を乗り出す。
俺も布団を廊下へ置き、ボンほどにあからさまでなくとも欄干から中庭を見下ろした。
六頭もの大きな黒い馬に引かれた馬車が入ってきた。
それは中庭の真ん中をつらぬく舗装された道を進んでゆく。真っ正面にはパーティー会場である大広間の入り口が見えている。
馬車が進むと、庭園を楽しんでいた客たちが一様に驚きを表し、談笑をやめて敬意を表しているのが遠目にも分かる。
六頭立ての馬車は皇帝一族しか使うことを許されていないと聞く。貴族どもの格付けなんざ知らないが、皇帝だけは格別なのだろうというのは分かる。
あれからさらに帝国の支配は進み、今では帝国に逆らえる国はない。そこいらの王公貴族であっても、敬意を通り越してもはや畏怖するしかないんだろう。
馬車が大広間の前に横付けされた。誰かが降りているようだが、ここからは角度的に乗り降りしている所は見えない。
「スゲェ馬車だナ。やっぱ皇帝かナ?なぁ、キミはどう思う?」
ボンの問いに返事をせず、俺は廊下に置いた布団を無言で再び担いで歩き始める。
いろいろと詮索しなくたって、広間に戻ればイヤでも誰が来たかなんて判る。考えるだけ時間のムダだろ。
ボンも山のような布団を担いでついてくる。
「無視かよ。まったく、キミは冷たいんだから!少しは人に同調したらどうだよ」
無視には違いないが、返事をするのが面倒なだけだ。
と、その時。抗いようもなく突風が俺たち二人のスカートを巻き上げた。肩に担いだ布団に両手を取られているせいで、めくれるに任せるしかなかった。
女じゃないんだから別に足が見えようが何だろうがどうでもイイんだが、このスカートというヤツは不思議にも無防備にめくれ上がると足がスースーして何となく不安になる代物だ。
ボンは布団を投げ出して自分のスカートを押さえた。
「いやん。見た…?」
そう言って恥じらいながら上目遣いで俺を見た。
そこまでなりきらなくても…かなり気持ちが悪い。
渡り廊下の突き当たりの部屋に布団を投げ込む。ここへ運び込めと命令されただけだから、あとは知ったことじゃない。
今度は大急ぎで大広間へ戻らなくては大目玉だ。こんなに働かされてるんだから報酬をもらわないことには納得がいかない。
「しっかしヨ、オレの作戦どおりだったろ?みろ、簡単に潜り込めたじゃん。何でもサ、毎年このパーティーには近隣の若い女の子を集めてるらしいぜ」
それを女装に直結する感性が解らない。他に作戦はなかったのか?
「良い稼ぎになるからって、近所の農家とか田舎町のコが喜んで雇われるんだってサ。だから誰でも違和感なく溶け込めるんだ」
ボンは自慢気に言い、立ち止まって廊下の壁にかかっている鏡を覗き込んだ。自分の頭にある金髪巻き毛のヅラに触っている。 ボンの女装は眉毛が太くて口が大きくて手指がゴツいからハッキリ言って、かなりのイモ娘だ。…その上、ガニ股で歩くなよ。それじゃ、イモ娘どころか女には見えないだろ。これじゃ俺の女装のほうがマシだ。
廊下の角を曲がると目の前に広間が見えた。
「ところでアルは、どうした?」
周りに分からないよう、ボンに尋ねる。
「ああ、アイツなら、別の場所に回されてたみたいだよ。どこだか知らないけどサ」
ボンは前髪を触りながら興味なさそうにさらりと答えた。
アルのヤツ、一人で大丈夫だろうか?あの馬鹿は無礼を働いて手打ちにでもなりかねない奴だからな…。
広間へ入ると、しっかりと酒宴は始まっていた。酒宴というか、舞踏会というヤツか。
金持ちや貴族の集まりってのは豪華だが、どこか『心』が感じられないような気がする。空々しいとでも言おうか。
社交的な上辺だけの挨拶、自分を売り込むだけの下心の見え透いた世辞…こういう場は大嫌いだ。どうでもイイが、とっとと帰りたい。
ボンが俺の脇腹をつついてきた。そして、伯爵を目線で指し示す。
「伯爵をよく見ろよ。腰の辺り、上着の陰になってるけどサ」
言われたとおりに伯爵の腰を見ると、ベルトに鍵の束が吊るしてあるのが確認できた。輪に大小様々の鍵が何本も通されている。
「鍵の束か」
「そうサ。あれは屋敷の部屋の鍵なんだぜ。伯爵は人が信用できないタチだから、部屋の鍵をぜんぶ自分が持ち歩いてるのサ。屋敷の人間に騒がれずにルシアを救出するには鍵を奪うしかないんだヨ。だから、色気を振りまきながら、さりげなく伯爵に近づこうぜ」
色気を振りまくのはともかく、伯爵に気に入られて至近距離でうまく奪えということか。しかし、そんなにうまく気に入られるだろうか?
「分かったら、早く色気を振りまきに行こうぜ?おっと、その前に練習ダ」
こいつ、本気か?…というよか、正気か?
「伯爵の周りで世話をするフリをしながら〜、寄せ乳で、さりげなく両ヒザをついて…かわいく上目遣い!」
ボンは言いながら、それを俺の前で実演した。
それは完璧に馬鹿だろ…。
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不名誉な女装で正面切って屋敷に潜入し、巧くメイドに成り済ましてから数時間が経っていた。
夕日は稜線の向こうへと隠れ、赤みを帯びた余光が空を薄明るく染めているだけだ。
大広間からは優雅な音楽がかすかに聞こえてきている。夜通し行われる贅を尽くした夜会に客も続々と集まってきているようだ。
しかし、泊まり客が予想以上の人数らしくて、足りない分の寝具の用意にメイドたちは屋敷中をコマネズミのように走り回らされている。
俺とボンが山積みの布団を担いで、ちょうど外門の上にあたる屋根のない渡り廊下を通過しようとした時、階下から呼び声が聞こえてきた。
「中央帝国オデツィアより、ご到着〜。開門!」
仰々しい声で告げられたかと思うと、重い門が開けられているような金属のきしむ音と引きずる音、そして振動が足下から伝わってくる。
「オイ、中央帝国からだってサ。皇帝かナ」
ボンは立ち止まり、ひとり言のように言った。持っていた布団を廊下へ置き、興味津々といった様子で石の欄干から中庭側へと身を乗り出す。
俺も布団を廊下へ置き、ボンほどにあからさまでなくとも欄干から中庭を見下ろした。
六頭もの大きな黒い馬に引かれた馬車が入ってきた。
それは中庭の真ん中をつらぬく舗装された道を進んでゆく。真っ正面にはパーティー会場である大広間の入り口が見えている。
馬車が進むと、庭園を楽しんでいた客たちが一様に驚きを表し、談笑をやめて敬意を表しているのが遠目にも分かる。
六頭立ての馬車は皇帝一族しか使うことを許されていないと聞く。貴族どもの格付けなんざ知らないが、皇帝だけは格別なのだろうというのは分かる。
あれからさらに帝国の支配は進み、今では帝国に逆らえる国はない。そこいらの王公貴族であっても、敬意を通り越してもはや畏怖するしかないんだろう。
馬車が大広間の前に横付けされた。誰かが降りているようだが、ここからは角度的に乗り降りしている所は見えない。
「スゲェ馬車だナ。やっぱ皇帝かナ?なぁ、キミはどう思う?」
ボンの問いに返事をせず、俺は廊下に置いた布団を無言で再び担いで歩き始める。
いろいろと詮索しなくたって、広間に戻ればイヤでも誰が来たかなんて判る。考えるだけ時間のムダだろ。
ボンも山のような布団を担いでついてくる。
「無視かよ。まったく、キミは冷たいんだから!少しは人に同調したらどうだよ」
無視には違いないが、返事をするのが面倒なだけだ。
と、その時。抗いようもなく突風が俺たち二人のスカートを巻き上げた。肩に担いだ布団に両手を取られているせいで、めくれるに任せるしかなかった。
女じゃないんだから別に足が見えようが何だろうがどうでもイイんだが、このスカートというヤツは不思議にも無防備にめくれ上がると足がスースーして何となく不安になる代物だ。
ボンは布団を投げ出して自分のスカートを押さえた。
「いやん。見た…?」
そう言って恥じらいながら上目遣いで俺を見た。
そこまでなりきらなくても…かなり気持ちが悪い。
渡り廊下の突き当たりの部屋に布団を投げ込む。ここへ運び込めと命令されただけだから、あとは知ったことじゃない。
今度は大急ぎで大広間へ戻らなくては大目玉だ。こんなに働かされてるんだから報酬をもらわないことには納得がいかない。
「しっかしヨ、オレの作戦どおりだったろ?みろ、簡単に潜り込めたじゃん。何でもサ、毎年このパーティーには近隣の若い女の子を集めてるらしいぜ」
それを女装に直結する感性が解らない。他に作戦はなかったのか?
「良い稼ぎになるからって、近所の農家とか田舎町のコが喜んで雇われるんだってサ。だから誰でも違和感なく溶け込めるんだ」
ボンは自慢気に言い、立ち止まって廊下の壁にかかっている鏡を覗き込んだ。自分の頭にある金髪巻き毛のヅラに触っている。 ボンの女装は眉毛が太くて口が大きくて手指がゴツいからハッキリ言って、かなりのイモ娘だ。…その上、ガニ股で歩くなよ。それじゃ、イモ娘どころか女には見えないだろ。これじゃ俺の女装のほうがマシだ。
廊下の角を曲がると目の前に広間が見えた。
「ところでアルは、どうした?」
周りに分からないよう、ボンに尋ねる。
「ああ、アイツなら、別の場所に回されてたみたいだよ。どこだか知らないけどサ」
ボンは前髪を触りながら興味なさそうにさらりと答えた。
アルのヤツ、一人で大丈夫だろうか?あの馬鹿は無礼を働いて手打ちにでもなりかねない奴だからな…。
広間へ入ると、しっかりと酒宴は始まっていた。酒宴というか、舞踏会というヤツか。
金持ちや貴族の集まりってのは豪華だが、どこか『心』が感じられないような気がする。空々しいとでも言おうか。
社交的な上辺だけの挨拶、自分を売り込むだけの下心の見え透いた世辞…こういう場は大嫌いだ。どうでもイイが、とっとと帰りたい。
ボンが俺の脇腹をつついてきた。そして、伯爵を目線で指し示す。
「伯爵をよく見ろよ。腰の辺り、上着の陰になってるけどサ」
言われたとおりに伯爵の腰を見ると、ベルトに鍵の束が吊るしてあるのが確認できた。輪に大小様々の鍵が何本も通されている。
「鍵の束か」
「そうサ。あれは屋敷の部屋の鍵なんだぜ。伯爵は人が信用できないタチだから、部屋の鍵をぜんぶ自分が持ち歩いてるのサ。屋敷の人間に騒がれずにルシアを救出するには鍵を奪うしかないんだヨ。だから、色気を振りまきながら、さりげなく伯爵に近づこうぜ」
色気を振りまくのはともかく、伯爵に気に入られて至近距離でうまく奪えということか。しかし、そんなにうまく気に入られるだろうか?
「分かったら、早く色気を振りまきに行こうぜ?おっと、その前に練習ダ」
こいつ、本気か?…というよか、正気か?
「伯爵の周りで世話をするフリをしながら〜、寄せ乳で、さりげなく両ヒザをついて…かわいく上目遣い!」
ボンは言いながら、それを俺の前で実演した。
それは完璧に馬鹿だろ…。
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