クェトル&エアリアル『仮相の夜宴』#6

(6)


 ボンと二人で広間を抜け、給仕をサボることにした。

 広間は人がひしめき合っているせいか冬のくせに暑い。寒い最中なのに、こうして夜風に触れたくなるくらいだ。

「暑いナァ。成り済ますのも結構ツラいな」
 ボンは額の汗をぬぐう動作をし、大げさにため息をついた。

 この馬鹿、なに言ってやがんだ。張の本人がこの調子なら、無理やりやらされている俺はどうなるんだ?

「ちょっと野暮用」
 俺の内心をよそにボンは明るく言い放ち、植え込みのわずかな隙間をかき分けて奥へと入って行った。


 辺りに誰もいない。

 中庭は、かがり火が焚かれているが、その力が広くおよぶはずもなく、闇に溶け込んでいる所がある。

「きゃーー!」
 突如、その闇を切り裂き、甲高い声が聞こえてきた。おそらく悲鳴だろう。ちょうどボンが茂みに入って行った方向から聞こえたようだ。

 ボンが関係あるような気がして、そっと植え込みの陰から窺う。かがり火のそばに三人の人影が見えた。

 …イヤな予感がする。ボンのヤツ、何をしでかしたんだ?

 人影の一人は、高貴そうな十歳くらいの少女だ。貴族どころか、ヘタすりゃ王族かも知れない。悲鳴の主は、こいつなのだろう。

 赤い髪で、人一倍きれいな顔をした子だ。ふんだんにレースを使った白いドレスを着ている。

「べ、別にあやしい者ではありません!」
 ボンはブンブンと首と両手を振って全力で否定する。が、あやしくないと自分で言う奴が一番あやしいだろ。

 しかもボンの姿は、用でも足していたのかスカートをめくり上げている。…どう見てもあやしい。

「助けて〜!」
 少女は、かたわらにいる背の高い男に助けを求めて飛びついた。

「カラス〜!この変態男が、わらわに変なことをするのじゃ!」
 少女はカラスと呼ばれた男の衣服に顔をうずめてボンを指差して叫んだ。

 ボンは女装しているにもかかわらず、変態男呼ばわりされてやがる。しっかりバレているじゃないか。

 男は何も言わず、無感情に澄ましきった顔で立っている。姿形が整っているのも手伝って、まるで人形のように見える。

 その名のとおり、身を包む真っ黒の軍服には黒以外の色彩が見当たらない。その上に黒い髪だ。闇に溶けてしまいそうな…というより、まるで闇を擬人化したようだ。

「わらわを誰だと思うておるのじゃ!わらわは皇帝バナロスの娘であるぞ!」
 少女はエラそうな言葉とは裏腹に、男のうしろに半分隠れて叫んだ。

 ボンは泣きそうな顔をして尚もなさけない声で弁解を続け、少女に手を伸ばした。

「お姫さま〜、誤解だヨぅ〜」
 かなり気持ち悪い…これじゃ、あきらかにチカンだろ。助けに入らず、それを見ているだけの俺も人が悪いと思うが、見ている分には面白い。

 …と、次の瞬間にはボンの喉首にはピタリと刃先が突きつけられていた。

 表情ひとつ変えずサーベルを抜いた黒い男は、容赦なく切っ先をボンに向けている。いつ抜刀したのかも分からないくらい、まったく隙のない動きだった。

 ボンの顔から血の気が失せるのが分かる。大きな目をさらに見開いている。


 さすがに放っては置けない。あまり出たくないのだが、仕方なく俺は植え込みの陰から出た。

「おい、あんた。物騒なモノは引っ込めろ」
 男は突然現れた俺に視線を移し、射るような目つきで見据えてくる。

 年は三十前後といったところか。端整な顔をしているが、ともかく目が鋭い。研ぎたての刃のような瞳に心の中まで射抜かれてしまいそうだ。

 研ぎ澄まされた殺気に、じりじりと圧される。

 こんなに鋭い空気に触れ、こんなに気圧されたことはない。今まで出会った誰よりも強い気迫を感じる。

 この男…ただ者ではない。


 男は、ふいにニヤリと虚無に笑った。

 そして、ボンの喉元からスッと刃を引いて鞘へと収めた。

「何ゆえじゃ?!カラス、あやつらをゆるす気か?!」
 それを見て怒ったのは少女だ。サーベルを仕舞った男を見、飛びはねるように背伸びして抗議する。

「もう良いではありませんか、シャスティ様。行きましょう」
 男は笑顔で少女をひょいと抱き上げ、屋敷のほうへ歩き出した。

「貴様、わらわの命令に逆らいおって!父様に言いつけてやる!」

「御意のままに」
 黒い男は少女をからかうように楽しそうな声で言った。

 少女は怒った声で何かをわめいているが、抱き上げられたまま強制的に連れ去られた。

 その後ろ姿を見るともなしに見ていた。


 二人の姿が見えなくなると、ボンは顔をしかめて息をついた。

「ふうー。マジでビビったヨ!アブネー、小便まだだったから、もう少しでチビるとこだったぜ!」

 あれくらい何だ、気の小さい野郎め。

「…にしても、あれがウワサに聞く“オデツィアの烏”のようだナ」

「オデツィアのカラス?」
 俺は反射的に聞き返した。

「だってサ、あの女の子は皇帝の娘なんだぜ?オデツィアの烏ほどの人物が付いててもおかしくはないはずだろ」

「何だ、それは」

「えっ?知らないのかよ。よくウワサを耳にするぜ?見目麗しく冷酷で、皇帝バナロスへの忠誠心以外は人の心を持たないような人物だとか」
 ボンは、すっかり頭から落ちそうになったヅラを定位置に戻し、スカートのスソを伸ばした。

「何も語らず、ただ皇帝に影のように寄り添っててサ。魔界から召喚された黄泉の騎士だと言われてるくらいだぜ」

 何とも不気味な人物像だ。まあ、そんなウワサを立てられても仕方がないような奴だったな。触れた者をことごとく切り裂く剃刀を思わせる鋭利な殺気があった。

 できることなら、もう二度と会いたくはない男だ。






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