クェトル&エアリアル『仮相の夜宴』#9

(9)


 カギを開けてから戸を叩いた。中から伯爵の返事があり、静かに戸を押し開ける。

 部屋に入ると、モワッと香水だか香だかのにおいが鼻をついた。甘ったるくて気持ちが悪い。

 部屋は広い。だが、少ない燭台の明るさだけで全体的に、ほの暗い。

 見回すが、別に怪奇的な置物や剥製が飾ってあるわけでもなく、取り立てて悪趣味じゃなさそうだ。

 普通に戸棚や机やベッドが並び、観葉植物も置かれている。伯爵の寝室なのだろう。


 それにしても、こんな『接近戦』に、もつれ込むのならば、ボンのヤツ、眠り薬の一つでも入手してきてくれれば良かったのに。

 …しかし、どうして張本人のボンじゃなくて、俺が奮闘しなくちゃならないんだ?

「ほら。つっ立ってないで、こっちへ来なさい」
 伯爵はソファで、いやらしい笑みを浮かべながら俺を手招きした。仕方なく俺は伯爵の横へと腰を下ろす。こうして並ぶと分かったが、伯爵と俺は同程度の体格だな。

 と、いきなり伯爵は俺の手を引いて抱き寄せた。そして、俺のあごの下に手を差し入れて顔を上げさせられる。顔に息のかかるほどの距離だ。気持ち悪い!

 年は五十前くらいだろうか。見るからに女好きそうな顔をし、キザったらしい口髭を生やしている。

 悪くない容姿なのが何となく癪に障る。いわゆる『女の敵』というヤツなのだろう。こういう野郎は一度、横っツラを殴りつけてやりたいもんだ。さぞかしスッキリするだろう。

 そんな俺の内心も知らず、伯爵は好色なニヤニヤ顔で俺の顔を品定めしている。さすがに男だとバレるんじゃないだろうか?

「キミは少し大柄だけど、なかなか私好みの美人だよ」

 美人だと??こいつは、どういうシュミをしてやがんだ?悪趣味な野郎だな。それに、こんなに大きな女なんて、滅多にいないだろ。

「さあ、まずは乾杯しよう」
 伯爵は卓に並ぶ二つのグラスに酒をつぎ、片方を俺に手渡してきた。仕方なく受け取る。

「翠玉のように美しいキミの瞳に乾杯」
 伯爵は片目を閉じ、グラスを軽く上げて乾杯の音頭を取った。悪寒がするようなセリフだ。

「ほら、飲みなさい。今宵はキミとの素敵な時を過ごしたいんだ」
 そう言いながら意味ありげにニタリと笑っている。なに考えてやがんだ、女たらし野郎が。


「キミは恥ずかしがり屋さんなのかな?無口な女性は神秘的な色をおびている」
 伯爵は歯の浮くような言葉を恥じる様子もなく吐き、ネチネチとした態度で執拗に酒を勧めてくる。それは蛇がジリジリとカエルを追い詰めるかのようだ。

 もちろん、伯爵の腕は俺の肩を抱いている。気づかれちゃマズいのだが、イイ加減に男だと気づけよ!…というよか普通、気づくだろ?


「きっと、声も顔に似合って、玉を転がすように可愛いんだろうなぁ。ふふふ。とつぜん私の部屋に呼ばれて、緊張で声も出ないのかな?」

 どこをどう見りゃ可愛いと思うのかが分からない。ひょっとして、この男、目が腐ってやがんのか?それに、見た目は何とか誤魔化せたとしても、声を出しゃ太さでバレるだろうが。

「ささ、飲みなさい。特別に造らせた最高級の酒なんだよ」
 あまりの押しに逃げ場を失い、勧められるままにグラスを一気にあおる。しまった、女が思いっきりあおっちゃマズかったか。

「おお、豪快な飲みっぷりだなぁ。ささ、もう一杯」
 意外にも飲みっぷりが気に入ったらしく、伯爵は満面の笑みでカラのグラスに酒をなみなみとつぐ。

 まあ、旨いには旨いが。

 …なんて、喜んで飲んでる場合じゃなかった。とっととルシアのいる部屋のカギを奪わねば。

 依然として伯爵のベルトでカギの束が揺れているが、どうやって外せばイイだろうか。手の届く範囲なのに奪えそうで、なかなか奪えない。

 そうだな、逆に飲ませて、酔わせてから奪うか。火のつくような強い酒だ。いくらか飲ましゃあ、すぐにでも酔うだろ。


 俺は伯爵のカラになったグラスに、くだんの酒をついだ。

「お、ついでくれるのか。キミも、もう一杯。こうなれば飲み比べよう」
 伯爵は嬉しそうに立ち上がり、手近な戸棚を開いた。中には信じられないほどの数、同じ酒ビンばかりが並んでいた。

 こんなにあると最高級品も値打ちが暴落するだろ…。

「心置きなく飲もう」


 そこから延々と飲み比べが続いた。

 壁の時計からすりゃ、かれこれ二時間は飲み続けている。テーブルや床に空きビンが二、三十は転がっている。単純計算で一人十本以上は飲んだことになる。

 それでも、ほとんど素面でいる自分が恐ろしいのだが…きっと、ウワバミと呼ばれていたという曾祖父に似ているのだろう。

 伯爵も酔いつぶれる様子はなく「キミは経験あるのかな?」と言ったかと思やぁ、いきなり手を俺の穿くスカートの中へと滑り込ませてきた。

 何の経験だと言うんだ、このスケベ野郎め!

 その、脚をまさぐる指先は飛び上がるほど不快だ。ただでさえ身体に触れられるのはキライなのに、相手は男ときた。

 喉元まで出かけた言葉を無理やり飲み込み、なるべく女らしそうな仕草を心がけてスカートを押さえつつ、上目遣いで首を横に振って見せる。

 こんな奴、蹴り上げてやったほうが手っ取り早いのだが、あと少し、あと少しだ。カギを手に入れるまでの我慢だ…と、何とか自分に言い聞かせるのだが、心の奥からは我慢を許さない感情が湧き出てくる。

 だが、伯爵の行動は、それだけでは済まなかった。俺は両腕をつかまれ、ソファへ押し倒された。

 この野郎、なんて馬鹿力だ!こんな目に遭わなきゃなんないなんて……女にだけは生まれたくないと心底思った。


 さらに伯爵は接吻を迫ってきた。それを俺は必死に顔を背けて避ける。それでも執拗に唇を狙ってくる。気持ち悪いなんてもんじゃない!

 それは、まさに…この世の地獄だった。

「ふふっ。たとえ娼婦でもキスは愛する人としかしないと聞くね。さあ、心も身体も解き放って、私を愛して受け入れなさい」
 伯爵は耳元で甘く囁いた。

 なに考えてやがんだ、クソ野郎っ!!気づかれちゃマズいのだが、早く男だと気づけよ!

 それとも、気づいていて…『そっち』のシュミがあるってのか?!


 顔が間近に迫り、伯爵のムダに荒くて熱い鼻息が俺の鼻にかかる。唇に唇が触れそうになり、もはやこれまでと目を閉じて観念しかけた次の瞬間… 派手にガラスや木の割れるような音が聞こえた。

 俺の身体にのしかかっていた重みが消え、ただただ静寂だけがあった。


 固く閉じていた目を開けると、変態伯爵が三、四メートルほど先の壁ぎわで伸びているのが見えた。辺りには家具の残骸が散らばっている。

 身の危険を感じ、とっさに俺が無意識に投げ飛ばしてしまったらしい。火事場の何とやらというか、防衛本能というか。

 伸びているが、何とか生きているようだ。多少、ケガはしているだろうが、俺の知ったことじゃない。


 さっそく腰からカギの束を奪う。

 初めからこうしておけば不快な目に遭わずに済んでいたような気もするが。

 でも、これで大騒ぎになるのは必至だな。

 こうなってしまやぁ、仕方がない。とりあえず時間稼ぎになるように伯爵をベッドまで運び、厳重に縛りつけておくことにした。




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