クェトル&エアリアル『翡翠の悲歌』#1

第6話『翡翠の悲歌』



▲作者より愛をこめて







 初夏の風が木々を踊らせ、連なった葉擦れが心地よい音楽を奏でていた。


 午後の木漏れ日は柔らかく、安寧な微睡みをもたらしてくれる。

 私は木の幹に身体を預け、まだ幼い妹が庭の花と無邪気に戯れる姿を見るともなしに見ていた。


 この平穏な時間が永遠に続いてほしいと願いながら…






(1)


 目の前には一人の踊り子がいる。


 旅芸人なのだろう。三人の男たちが楽器を奏で、その転がるように軽快な旋律の中心で踊っていた。

 飾りの金や宝玉が太陽の光を映し、時おり見る者の目を射る。赤、青、黄、黒、白…あらゆる色を身にまとい、よどみなく踊り続けている。

 その姿は艶やかだったが、華やかさの中にふとした淋しさが見え隠れもする。それには人の足を止めさせてしまうだけの魅力があった。

 かなりの厚化粧で大人びて見えるが、年はアルと変わらない十五くらいといったところか。

「お前、見とれとるんかいな。目付き、やらし〜。まあ、ボインの美人やからしゃあないわな。立派なチチとか、おケツとかが気になんねやろ〜?ウッヘッヘ」
 アルがニタ〜ッと笑いながら変な横槍を入れてきた。そういう目で見ちゃ失礼だろうが。それに、たしかに美しい踊り子だが、それ以上は別にどうとも思わない。

「はい。見とれとらんで用事や」
 アルは急に真顔になって畳み込むように言い、俺の背中を押して広場からつれ出した。そうして、ものすごい人込みに分け入る。


 人込みというか、まるで川の激流だ。ひとたび流れに身を任せれば抜け出すのが容易じゃなさそうだ。背中を押され、足を踏まれ、とてもじゃないが思うようには歩けない。

 黒髪、金髪、ハゲ、帽子…見渡すかぎり人の頭だらけで、路肩にいるはずの物売りの姿も見えずに威勢のイイ声だけが聞こえている始末。その声さえも喧騒にかき消されてしまいそうだ。


「なぁ、クェトル〜!置いてかんとってや〜。さきさき歩き過ぎやし〜!」

 人込みを歩くのが苦手なアルは、さっそく向こうのほうで人波に流されておぼれ始めた。

こちらからは、もはや挙げた片手しか見えない。


 初夏の今日はヴァーバルの建国祭だ。ともかく、この祭りは人出が異常で、どこからこんなに人間が湧いて来やがんだというくらいごった返す。

 年に一度の大祭だから、今日だけは見物や金儲けで、近隣諸国から流入しているのだろうか。


「さきさき歩き過ぎやっちゅ〜ねん!前見ても、でっかいオッサンの背中しかあらへんし!」
 何とか泳ぎきって俺のそばまで来たようだ。

 見ると、そう暑くない季節なのに炎夏のような汗をかいている。一つにまとめて結った髪や服がかなり乱れていて、苦心が伺える。それに、なぜか頬に唇の形の口紅がついているのだが。

 背が低くて身体が軽いのもコイツが流される要因なんだろうな。

 俺としちゃ特に祭りなんて面倒なものに興味はないのだが、アルに執拗にせがまれてつれてこられた。

 それへ追い討ちをかけるように、じっちゃんにも買い物を頼まれた。だから、わざわざ祭りの雑踏なんかへ足を運んでこなくっちゃならないんだ。まったく、祭りだといって騒ぐ奴らの気が知れない。こんな日は家で寝ているほうがイイ。


 ともかく、とっとと用事を済ませて早々に帰るほうがイイな。

「頼まれていた物を買って帰るぞ」

「あ〜、じーちゃんのやろ?何やったっけ?まんじゅう?じーちゃん、甘党やからなぁ」
 じっちゃんは、お前ほどヒドい甘党じゃない。今日、頼まれたのは酒だ。

「せやけど、俺、流されるだけやから、用事が終わるまで噴水のとこで待っとくわ。待ち合わせ、噴水の北側な。ちゃんと迎えに来ィや」

「分かった」
 と、分かれようとしたその時、「わッ!!」っと短い悲鳴が聞こえたかと思やぁ、誰かにぶち当たられたアルが人込みの隙間へすっ飛んだのが見えた。思いきり尻餅をついて無様にひっくり返ってやがる。

 ぶつかったのは、さっき見た踊り子だ。

「これをお願い!」
 踊り子はアルに何かを押しつけるように渡し、衣裳をひるがえして人の群れに分け入った。

「大丈夫か」

「今の女の人、何??…いきなりお願いや言われても…」
 そばまで俺が行くと、アルは立ち上がりながら今しがた渡された物を俺に見せてきた。

 手の平に乗るくらいの大きさの平たく長細い木箱と、折りたたまれた紙だ。


 アルを伴って人込みを離れ、建物と建物の間にある人の通らない細い路地へと入る。店の裏口らしく荷物は乱雑に積まれ、食い残しの入ったゴミ箱はノラ犬にでも荒らされたように散乱していた。

 折りたたまれた紙をアルが開いた。

「楽譜やんか」

 紙には横線が細かい間隔でいくつも並び、その間に黒くて小さな丸に尻尾が生えたような記号が並んでいる。それがいくつも連なったものや、変わり種の尻尾が生えたヤツまである。

「ウチのおばちゃん、趣味で歌もやるから、ウチにもこんなんナンボかあるわ」

 楽譜という物を実際に見たことはなかったが、模様のようで面白い。たぶん、この線に書かれた記号が音の高さを表すのだろう。

「こっちの木ィの箱は何やろな。お前、開けてェな」
 アルは木箱を手渡してきた。何が入っているのだろうか、手にすると予想よりも軽かった。

「おい、お前ら。その紙をこっちへ渡してもらおうか」

 いきなり聞こえた声のほうを見ると、路地の口をふさぐように人相の悪い男三人が立っていた。

 この男たちは踊り子のうしろで楽器をやっていた奴らだな。踊り子がアルに何か手渡すのを見ていたようだが、おそらく拡げた紙のほうにしか気づいていないはずだ。


 俺は手にしていた木箱をそっと自分の背中のほうへ隠しながら同時に男たちをねめつけた。そして、バレないように背中の木箱を上着の中へと入れてベルトに挿す。

「ガキは、おとなしくしてろ。さあ、返すんだ」
 男の一人がアルに詰め寄った。

 アルは助けを求める目で俺のほうを見てきた。紙を渡すようにと俺は目配せを返す。

 アルは肩をすくめて俺と男たちを見比べるように上目遣いで見、おずおずと紙を男に差し出した。

「よし、イイ子だ」
 紙を受け取った男はニヤリとし、満足げに何度もうなずいた。

 こういう性質(たち)の悪い連中は踊り子を飼って昼と夜の仕事をさせて稼いでいると聞く。あの踊り子がどんな経緯で身をやつしたのかは知らないが、かわいそうな目に遭っていて、それで逃げ出したのだろう。

「ん?お前、何か隠してるだろう」

 クソっ、木箱にも気づかれたか!

「逃げろ」
 俺が言うと、アルは一瞬考えてから路地の奥、男たちとは反対方向へと駆け出した。

 それと同時に俺は背後の木箱を手に持ち替えた。そして、全力で男三人のほうへ突っ込み、隙ができたところをすり抜けて大通りへと飛び出した。

「待て!」
 我に返り、体勢を立て直した男の一人が俺へ向けて叫んだ。

 待てと言われて待つ馬鹿はいないだろ。
 と、胸中で意気込んでみたものの、飛び出した先の大通りで、さっそく目の前に立ちふさがる人の壁に直面した。

 ここで迷っているヒマはない。手近な奴を強引に押し退け、人の群に身体をねじ込んでゆく。常識も礼儀も今は関係ない。ひしめく人波を無遠慮にかき分けて泳ぎ、運に任せて前へ前へと進む。

 しかし、人一人や二人を押し遣るのは大したことないが、こうも人の連なった雑踏で流れに抗いながら進むのは容易じゃない。力負けして逆に押し戻される。


 振り返ると、明らかに追いかける挙動を見せて突き進んでくる三人が、ごった返す波間に見え隠れしていた。

 俺の思惑どおり、目当ての物を持つ俺を男たちは三人そろって捕まえにかかっているようだ。この三人以外に徒党がいないかぎり、アルは無事に逃げ延びただろう。

 男たちは乱暴に人の波を切り裂くように追ってくる。


 逃げても逃げても行く先々の人の群に翻弄され続け、幾度となく追っ手は至近距離まで迫ってくる。

「小僧!待ちやがれ!ぶっ殺すぞ!」
 すぐ近くでガラの悪い怒声が聞こえる。背後に迫ってきた男の手は、間一髪のところで俺を捕まえそこね、力いっぱい空(くう)をつかんだ。

 踏んだとおり、タチの悪い奴らだ。人を殺めるのだって平気なんだろう。こんな奴らに捕まった日にゃ、どうなるか分かったもんじゃない。

 とは言っても、不自由な中を逃げ続けるのにも限界がある。

 人の壁をよじ登って越えてゆくわけにもいかず、どう頑張ってももどかしい人の壁に足止めを食ってしまっている内に、いつの間にか挟み撃ちにされ、路肩にある出店(でみせ)の際にまで追い詰められていた。


 思いがけず、男たちは隠し持っていた匕首(あいくち)を抜いた。ソレは殺気をみなぎらせ、ギラリと凶暴に光る。

 白昼堂々と抜かれた刃を目にした通行人たちに動揺が走る。雑踏にもかかわらず波がうねるように群集が引き、遠巻きに人垣が築かれてゆく。今までの騒音とは異質の、どよめきが起き始めた。

「へっへ、観念しな」
 男は手にしたモノに似つかわしくない、語彙力の感じられない御定まりの台詞を吐き、汚れた手を俺に伸ばしてきた。


 何とかして逃げる手立てはないか…?

 背中に屋台が当たる。うしろは行き止まりだ。

 相手は三人、しかも全員が武器を手にしている。右へも左へも逃げ場はない。

 男たちを見据えて警戒しつつ、チラリと横目で屋台を見る…と、そこには、うまい具合にコショウらしき粉末の入った小皿があった。しかも俺の手に届く所に、だ。

 男たちはニヤニヤ笑いながら、狩りを楽しむ獣のように、いやらしく輪を狭めてくる。

 俺は男たちを満遍なくにらみ返しながら、うしろへ回した手は手探りでコショウの皿をつかむ。


 そして…目の前の男めがけて力のかぎり…投げつける!

「ぐわっ!」
 奇襲攻撃に男たちは叫んだ。皿は宙を舞い、一瞬で辺りは灰色の霧に包まれる。

 皿自体も一人の頭に命中し、甲高い音を立てて小気味よく割れた。手触りだけじゃ判らなかったが、どうやら皿はガラスか陶器だったようだ。

 …が、それだけでは済まなかった。その辺りにいた者、全部がくしゃみをし始めた。

「ふぇっくしょん!」
 くしゃみの大合唱だ。

「くしゅんッ!」
 そりゃそうだろ、風でかなり拡がったからな。

「へくしっ!」
 というか、俺も例に漏れずだ。鼻がツーンとして…

「はっくしゅん!」

 鼻がムズムズするなんて生易しいもんじゃない。鼻から目の奥にかけて、刺激物に乗っ取られたような感じだ。

「へくしゅん!」
 目の前が見えないくらいくしゃみが連発で出る。

「へくしッ!」
 老いも若きも、男も女も、いろいろな声のくしゃみがあちこちから聞こえてくる。

「アチュー!」
 コショウなんて少し吸っただけでも充分刺激なのだが、それを尋常じゃないほど吸い込んでしまやぁ、シャレにならない。

「へくしょいッ!」
 くしゃみを連発しながら俺は騒ぎに乗じて混乱状態の大通りを離脱した。そして、裏路地へと駆け込む。さすがに人は、まばらだ。


 だが、まだ執拗に三人は、何かをわめきながら追いかけてきているようだ。しかも依然として片手には得物がにぎられている。

 はたから見りゃ俺たちは奇妙に映るだろう。片や物騒なモノを振りかざしているとはいえ、目も開かないほど、くしゃみをしながら追いかけっこをしてんだから。


 よそ者が土地勘で地元民に敵うわけがないのだが、コショウで目が痛いせいで前がよく見えず、思うようには走れない。

 と…前方に、腕っぷしの強そうな大男が二人、自信ありげな様子で闊歩しているのが見えてきた。

 大男は二人そろってツルツルの頭で人相も悪い。粋な着こなしをした服から露出した肌には、ものものしい図柄の刺青が覗いている。どんな生業だか判らないが、強そうな奴らだ。ちょうどイイ。

「助けてくれ。変な奴らに追われてんだ」
 俺は大男の前で立ち止まって二人を見上げながら告げた。くしゃみをしながら追いかけてくる三人組を振り向きざまに指差す。

「何だと?!任せな、ガッテン承知だ!」
 俺の言葉に乗って、喧嘩っ早そうな大男二人は威勢よく腕まくりをした。俺が見上げるくらい大きい男だ、それだけで十二分に期待できる。

 大男二人は準備運動なのか指や首をボキボキと鳴らしながら待ち構える。刃物を見てもひるむ様子はなく、見るからにヤル気満々だ。


 憐れな目に遭うことが予測される三人の男を尻目に、俺は素早く右手にある路地へ逃げ込んだ。

 念には念を入れ、辻では飛び出す前に辺りを見回して追っ手の有無を確認する。

 二人の大男のお陰で、どうやら完璧に撒けたようだ。裏路地から再び表通りへ。自分の家へは堂々と玄関のほうから入る。


「うわ!ビックリした!」

 戸を開けると、玄関すぐの土間にいたアルが驚いて飛び退いた。片目を開けてアルを見る。

「うへ〜、ばっちい顔ッ!お前…どないしたん??」
 アルは思いきりイヤそうな顔をして見せた。

 汚くて悪かったな。今の自分の姿なんて想像したくもないほどなのは分かっている。

「うぷぷッ。マジ、めっちゃ汚ねぇ〜ッ…ぷぷッ」
 アルは笑いをこらえつつ、なおも笑いやがる。人の苦労も知らずに。

 俺は木箱をカウンターへ置き、顔を洗いに台所を目指した。くしゃみは止まったものの、いまだに鼻の奥がムズムズしている。心なしか、軽く頭痛もする。

 戻ってくると、なぜかジェンスもいた。コイツは、いつから居るんだ?

「やぁ。お邪魔しているよ。楽しそうだね、今日は何をしているんだい?」
 それは皮肉なのか?

 ムダな奴が来てやがるな。国を挙げての大祭さえも、来賓の接待が面倒で出席をサボって避難してきたのだろう、このバカ王子は。

 仕方なく二人に、今まであったことを簡単に説明した。


「なぁ〜んや、コショウかいな。でも、あの大事そうな楽譜、オッサンらに取られてもたやん」
 アルが口をとがらせて非難の横目で俺を見ながら言った。だが、みすみす取られたわけじゃない。考えがあったからアイツらに楽譜をくれてやったんだ。

「紙とペンをくれ」

「えっ?何すんねん」
 俺が言うとアルはいぶかしげに応え、カウンターの端へ手を伸ばして大きめの紙と付けペンを出してきた。

 俺は受け取った紙をカウンターへ広げ、右から左へと長い線を引いてゆく。

 アルはカウンターの隅で頬杖をつき、目を輝かせて興味津々といった様子で紙と俺の顔とを交互に見ている。


 一、二、三、四、五……五本ずつのまとまりが十二段あったはずだ。その線の間へ片っ端から小さな丸とそれに付属する尻尾を書き入れる。それぞれの段の左端にはゼンマイのような記号もついていたな。

「えーッ!もしかして、さっき取られた楽譜、ぜんぶ憶えとんのん??」

「当たり前だろ」

「アホか!どこが当たり前やねん!一瞬しか見とらんのに、フツーは初めの音がドーやったかソーやったかも憶えとらんわ。もはや人間ちゃうで、ソレ。それか、お前が即興で作曲しとるんかいな」

 書き終えてペンを置く。さっき見た物と同じ図面、というか楽譜ができた。おそらくすべて同じだろう。

 一つ一つの配置を順に憶えようとすりゃ無理な話だが、全体図をまとめて記憶するのは簡単だ。一枚の精密な絵のように頭の中に記憶しておけば、あとからでも容易に情報を取り出すことができる。それは原物を見ながら書くのと大差はない。

 アルが変な物でも見るような目で俺を見ている。

 …もしかして、コイツが言うように、記憶できないのが普通なのか?

「何や分からんけど、謎の楽譜は手に入ったんやな?じゃあ、次、この箱も開けてや」
 アルはカウンターの上の木箱を指差した。自分で開けりゃイイものを。

 仕方なく俺が木箱を開けることにする。フタを留めている青緑色の細ヒモをほどき、本体にピタリと重なっているフタを外す。

「何やコレッ?!」
 アルが声を上げたのも無理はない。箱の中に納められていた物が、どう見ても骨っぽいからだ。

 綿のような物が一面に敷かれ、もろく崩れそうな白い棒が通った指輪がその上に納まっている。

 俺は箱をカウンターへ置いた。

「セーフっ!やっぱ俺、関わらんで良かった!イヤな予感しとってん。俺、勘だけはエエからなぁ」

 薄情な奴め。俺なら何があってもイイってのか?

「人の骨、みたいだね。誰かの形見かな」

「そうやとしてもなぁ。あの踊り子の女の人に頼まれたけど、めっちゃ対応に困るわ。第一、誰に渡すねん」

 ジェンスは白い骨の通った指輪をつまんで抜き、陽光にかざしたり裏返したりと熱心に観察し始めた。

 指輪は一センチ幅くらいある。金でできているようだが、作りも簡素で石は一つも付いていない。ただの輪といった感じだ。

「何か解んのん?」

「この指輪の内側に彫られているのは、翡翠(かわせみ)の紋じゃないかなぁ」

「カワセミ?何それ」

「ほら、魚を捕って食べる、川などにいるキレイな青緑色の鳥だよ。鳥の名前が宝石のほうにつくくらい美しい色の鳥なんだよ」

「鳥のカワセミは知っとるけど、紋章なん?」

 アルはジェンスの手元を覗き込む。

「あのね、翡翠はエスクローズという国の紋章なんだよ。ヴァーバルの東方にエスクローズがあるのは知っているかい?」

 アルは黙ってうなずいた。

「例えば、ウチの国ヴァーバルは烏の紋、帝国なら鷹の紋。エスクローズなら翡翠という感じなんだ。どこの国もみんな鳥を紋章としていることは知っているだろう?」

「知ってるよ。ゲンブルンが白鷺、ティティスが鳩とかでしょ?」

「そうだよ。じゃあ、話を元に戻すけど、この指輪にはエスクローズの翡翠が彫ってあるんだ。裏側に隠して彫ってあるにしても、これは王家の紋章だから他の者がおいそれと使うことはないし、できないんだよ。だから、王家の誰かの指輪ということになる」

「うん。じゃあ、この楽譜は何なん?」

 ジェンスは指輪を静かにカウンターへと置き、長い髪をかき上げた。それから、今度は楽譜を手にして鼻唄を歌い始める。

「あ、楽譜のとおり歌ってんのん?でも、変な曲やなぁ。音、狂ってるやん」

 アルの言うとおり、たしかにお世辞にも良い曲だとは言えない代物だ。

 ジェンスは歌が得意のはずだから、音を外しているとは思えない。すると、俺の記憶違いでデタラメを書いてしまったか。

「うん。思ったとおりだよ。これは楽譜じゃあないよ」

「え〜!どう見ても楽譜やんか!せやったら何なん?それか、再現した誰かさんがデタラメ書いたんか」

 ジェンスの言葉にアルは俺を横目で見た。
「いやいや、クェトルは間違っていないと思うよ。これでイイんだよ、翡翠の楽譜だとすればね」
 ジェンスは俺たちを見て満足そうに口角を上げた。

「翡翠の楽譜??意味わからんわ」

「あのね、翡翠国エスクローズは音楽の都なんだけど、単に音楽文化が栄えているだけじゃなく、別の所以があることも含まれているんだよ。今はどうか知らないけれど、昔、エスクローズの王家が得意とした戦法に『楽譜型暗号文』というのがあったんだ。楽譜ならば分からない人がパッと見ても暗号文になっているなんて気がつかないだろう?」

 楽譜が暗号文だったなんて意外だな。

「うん。でも、どうやって読むん?」

「暗号だというのは僕にでも分かるのだけど、他の国の人に解るようじゃあ暗号の意味がないだろう?翡翠国の王家にしか読み書きできないんだよ」

 そりゃそうだろ。すると、あの踊り子は、なぜこんな物を持っていたんだ?切羽詰まっていたとはいえ、正体も知らない人間に頼んで良かったのか。


「な〜んや。残念!暗号とか言うから、てっきり財宝のありかやと思ったのに」

「ふふふ。財宝じゃあないと思うけど、これを頼まれたのなら、手がかりのとおりに翡翠の王家へ届けないとダメだよねぇ?」
 ジェンスは意味ありげに俺へ向けて微笑みかけてきた。何となくイヤな予感がするのだが…。







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