クェトル&エアリアル
第3話『肖像の鳩』序章より帝国…今、私の心をひどく乱す、一番聞きたくもない名だ。…そうであった。中央帝国オデツィアの新皇帝バナロスに呼びつけられていたのであった。
それは思い出したくもなく、ここ数日、頭の片隅へと追いやろうと努めていたことだ。
トゥルーラよ、お前は何も分からぬであろうが、バナロスの所へお前を寵姫として無条件で差し出すことを迫られているのだ。
帝国のだんだんとひどくなってゆく振る舞いに私は業を煮やしていた。特に前皇帝の嫡子バナロスに代替わりしてからというもの、参謀も混(こん)じての目も当てられぬほどの悪政には堪えかねた。
前皇帝を暗殺したという風評さえある。
皇帝バナロスは、まだ歳は十九だが、生来の持て余すほどの才知に加え、人心掌握術にたけている。 半年前にバナロスに会った。あの時、私に対し恭しく頭(こうべ)を垂れたが、面(おもて)を上げた時の、その冷笑をおびた見下す瞳に、心の臓は氷の刃でえぐり取られたようになったことを忘れもせぬ。
燃えさかる炎のように紅い髪とは対照的に、身震いするほどに冷たく美しい男であった。
私の知る限りでは、あのように冷たい気を放つ者は他にはおらぬ。思い出しただけでそら恐ろしくなるほどだ。
私を呼びつけること自身、あまりにも無礼な行為だと思ってはいたが、今になって考えてみれば、すでに世界の王を気取っていたと思えばうなずくことができる。
傲慢、そして何よりも人間らしさのない冷酷さで、考えてみればその時分より調子よく周辺国を手中に収め始めていたのだ。
帝国の思惑は分かっていた。我々、小国の全てを配下に置き、世界を帝国一国にまとめ上げるつもりなのであろう。
そして、我が国も例にもれず、その配下に収められようとしていた。
まず我が国が帝国に課せられた締結の証は、重宝を差し出すことであった。思案の末、結局はティティスの保全のために重宝を差し出した。
次に数多の我が民を奴隷に取るという要求があった。だが、愛する民を一人でも哀れな目に遭わせたくはなかった。
一部の者を不幸にしておいて、その礎の上にのうのうと住まうことなど考えもできず、要求を撥ねつけた。
そして次には王女を取られることになっていた。だが、私は返答を引き延ばし続けていた。
人を人とも思わぬ残忍な者に大切なトゥルーラをやるわけにはゆかぬ。
私の煮え切らぬ態度に立腹し、バナロスは甚だしい脅しをかけてきていた…私の決断に国の命運がかかっていた。
《つづきは本編で》
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