小説おためし版

クェトル&エアリアル

第6話『翡翠の悲歌』より
 






 目の前には一人の踊り子がいる。

 旅芸人なのだろう。三人の男たちが楽器を奏で、その転がるように軽快な旋律の中心で踊っていた。
 飾りの金や宝玉が太陽の光を映し、時おり見る者の目を射る。赤、青、黄、黒、白…あらゆる色を身にまとい、よどみなく踊り続けている。
 その姿は艶やかだったが、華やかさの中にふとした淋しさが見え隠れもする。それには人の足を止めさせてしまうだけの魅力があった。 

 かなりの厚化粧で大人びて見えるが、年はアルと変わらない十五くらいといったところか。
「お前、見とれとるんかいな。目付き、やらし〜。まあ、ボインの美人やからしゃあないわな。立派なチチとか、おケツとかが気になんねやろ〜?ウッヘッヘ」
 アルがニタ〜ッと笑いながら変な横槍を入れてきた。そういう目で見ちゃ失礼だろうが。それに、たしかに美しい踊り子だが、それ以上は別にどうとも思わない。

「はい。見とれとらんで用事や」
 アルは急に真顔になって畳み込むように言い、俺の背中を押して広場からつれ出した。そうして、ものすごい人込みに分け入る。

 人込みというか、まるで川の激流だ。ひとたび流れに身を任せれば抜け出すのが容易じゃなさそうだ。背中を押され、足を踏まれ、とてもじゃないが思うようには歩けない。

 黒髪、金髪、ハゲ、帽子…見渡すかぎり人の頭だらけで、路肩にいるはずの物売りの姿も見えずに威勢のイイ声だけが聞こえている始末。その声さえも喧騒にかき消されてしまいそうだ。

「なぁ、クェトル〜!置いてかんとってや〜。さきさき歩き過ぎやし〜!」
 人込みを歩くのが苦手なアルは、さっそく向こうのほうで人波に流されておぼれ始めた。こちらからは、もはや挙げた片手しか見えない。

 初夏の今日はヴァーバルの建国祭だ。ともかく、この祭りは人出が異常で、どこからこんなに人間が湧いて来やがんだというくらいごった返す。
 年に一度の大祭だから、今日だけは見物や金儲けで、近隣諸国から流入しているのだろうか。


「さきさき歩き過ぎやっちゅ〜ねん!前見ても、でっかいオッサンの背中しかあらへんし!」

 何とか泳ぎきって俺のそばまで来たようだ。
 見ると、そう暑くない季節なのに炎夏のような汗をかいている。
 一つにまとめて結った髪や服がかなり乱れていて、苦心が伺える。それに、なぜか頬に唇の形の口紅がついているのだが。

 背が低くて身体が軽いのもコイツが流される要因なんだろうな。

 俺としちゃ特に祭りなんて面倒なものに興味はないのだが、アルに執拗にせがまれてつれてこられた。
 それへ追い討ちをかけるように、じっちゃんにも買い物を頼まれた。だから、わざわざ祭りの雑踏なんかへ足を運んでこなくっちゃならないんだ。
 まったく、祭りだといって騒ぐ奴らの気が知れない。こんな日は家で寝ているほうがイイ。

 ともかく、とっとと用事を済ませて早々に帰るほうがイイな。

「頼まれていた物を買って帰るぞ」
「あ〜、じーちゃんのやろ?何やったっけ?まんじゅう?じーちゃん、甘党やからなぁ」

 じっちゃんは、お前ほどヒドい甘党じゃない。今日、頼まれたのは酒だ。

「せやけど、俺、流されるだけやから、用事が終わるまで噴水のとこで待っとくわ。待ち合わせ、噴水の北側な。ちゃんと迎えに来ィや」
「分かった」
 と、分かれようとしたその時、「わッ!!」っと短い悲鳴が聞こえたかと思やぁ、誰かにぶち当たられたアルが人込みの隙間へすっ飛んだのが見えた。思いきり尻餅をついて無様にひっくり返ってやがる。

 ぶつかったのは、さっき見た踊り子だ。
「これをお願い!」
 踊り子はアルに何かを押しつけるように渡し、衣裳をひるがえして人の群れに分け入った。


《つづきは本編で》

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