クェトル&エアリアル『路傍の宝玉』#5

(5)


「そして、ここが僕の部屋だよ」
 ジェンスは戸を開けた。大きな部屋だ。庭中が見下ろせる大きなガラス窓がたくさん並んでいる。

 ベッドもスゴい。天井っていうのか屋根っていうのか、それがついたヤツだ。広さは普通に見かけるベッドの四つ分くらいはありそうだ。

「わ〜、きれい!これ、何するん?」
 アルがベッドの枕元にある小さな机の上の物に気づいた。そこには小さな銀色の鐘が置いてある。

「触ってもエエ?」

「うん、イイよ。だけど、まぎらわしいから鳴らしちゃあダメだよ」
 とジェンスが言うのが早いか、当たり前みたいにアルは鐘を思いっきり振った。鐘は小さいくせに意外に大きな音が部屋中に響く。

「お呼びでございますか、ジェラルド様」
 すぐに部屋の外から戸を叩く音がして男の声が聞こえた。

「何でもないよ。呼び鈴を落としただけだよ」

「左様でございますか。ご用でしたら何なりとお申しつけください」

「うん。ありがとう」

 それからジェンスは部屋の隅でゴソゴソやり始めた。


 アルのヤツは、さっき拾ってたやつを自分の上着のポケットから出して絨毯の渦巻き模様に合わせて並べ始めた。


 俺は仕方なく窓の近くにあったイスに座った。二人が自分の世界に入って黙ってしまやぁ、こんな部屋の中で俺にやることはなかった。


 部屋が広いからって物がたくさんあるわけじゃないみたいだから、何だかムダに広い。部屋なんて大の字で寝転んだ広さがありゃ足りるんじゃないのか。


 あまり広い部屋ってのも何だか落ち着かないな。


 何時くらいかな? もうそろそろメシ時じゃないのか。

 腹も減ったし、だんだん空も暗くなってきたし、今日は父さんにつれてきてもらってる所だからケジメもなくダラダラと遊び回ってるのが父さんに知れると叱られる。

 それに、帰らなきゃアルの所が心配するだろう。

「なぁ。おい、王子。俺、もう帰んなきゃ。アルの家も心配するだろうしさ、腹も減ったし、ウチの父さんにも叱られるし」

 こっちに背中を向けて何かしていたジェンスが振り返った。

「それなら使いの者を走らせるよ。ならイイだろう?」

「それでもあんまし良くねぇんだけど」

「誰か」

 ともかく俺は帰りたかったんだけど、俺が言うのも聞かないでジェンスは呼び鈴を振りながら戸口のほうへ歩いていった。

「ジェラルド様、お呼びでございますか」
 すぐに戸が叩かれ、向こうから男の声が聞こえた。

「伝言に使いをよこしたいのだけど、できるかい?」

「少々お待ちくださいませ。すぐに」

 ちょっと待っていると、また戸が叩かれた。

「開けてもイイよ」
 ジェンスが言うと、戸が開いておじさん二人が顔を出した。

 ジェンスはおじさん二人に何やら言っている。

 言い終わるとおじさん二人は頭を下げてから部屋を出ていった。あ〜あ、今夜は帰れなくなっちまったよ。じっちゃん一人で寂しくないかな。


「さぁて、食事まで時間もあるし、何をしようかなぁ」
 ジェンスが俺のイスのななめ向かいのベッドに座った。アルがその横にくっついて座る。絨毯の上はゴミで散らかったままだ。

「君は何がしたいんだい?」
 ジェンスは俺に聞いてきた。

「別に何もしたくないよ。それよっかさ、一つ聞きたかったんだけど、お前を街で見て俺、お前を追っかけてみたんだけどさ、あの屋敷街へ入ったあと、スゲェ消えるの早かったけど、どこから帰ってんだ?やっぱ正面の門とかから帰んのか?」

「ふふ。そんなの、僕がどんな顔をして正門から帰ると言うんだい? 逮捕されて、父上に永遠の禁固刑にされちゃうよ。あのね、ここだけの話だけどね、実は誰も知らない抜け道があるんだよ。城の庭から、ある公爵の庭の外れにね。そこから出入りしてるんだ。誰にも言っちゃあダメだよ、ナイショ。うるさい人にふさがれちゃあイヤだもの」
 ジェンスは肩をすくめて女みたいな顔と仕草で言った。

「ああ、そんなの誰にも言わないよ」

「うん、ありがとう。でもね、この城にはそんな抜け道がいくつもあると思うよ。古い城だし、いちおう軍事国家だから」

「グンジ国家?」

「大昔にも戦争していたころもあったから、その時の避難道だったんじゃないかなぁ。この城も意外と堅固だったと聞くよ」

「そんなもんあちこちに残ってて逆に用心悪くないのか?」

「かと言って、ふさぐと僕が都合悪いよ〜」
 ジェンスは笑った。なんつー自己チューなヤツだ。

 その時、どこからともなく、コンコンという音が聞こえてきた。何の音だ?? それは何度も続けて聞こえてくる。足音か?いや、ちょっと違うみたいだ。鈴か?

 …あ!分かった!昨日のじっちゃんみたいにジェンスのヤツがアルを怖がらせようと思って音を出してるんだな。

「お前か?」

「僕が何だい?」

「この音だよ」
 耳を澄ませる。まだ続いてるみたいだ。アルが怖そうにキョロキョロと見回す。

「あ〜、この音かい?一日に何回かしているみたいだけど、何だろうね?」

「…気にならないのかよ」

「鳥や虫の声みたいに思えば、僕は気にはならないよ。君は気になるのかい?」

「気味悪いぞ」
 鳥や虫の声というより、返事をしたくなるような音だ。気にならないなんてどうかしてるぞ。


 いったいどこから聞こえてくるんだ?

 俺は耳を澄ましながら音のしている方向へ近づく。どうやら隣りの部屋のほうからだ。

 壁に耳を当ててみる。やっぱりそうだ。

 俺は出入口の戸を開けた。

「どこへ行くのだい?」
 ジェンスが部屋の奥から聞いた。俺はそれには応えずに部屋を飛び出した。


 音は、ジェンスの部屋を出て左隣りの部屋かららしい。壁が続いて少し行った所に茶色い戸が見える。この部屋だな。

 その前まで走って取っ手をつかむ。ガチャガチャやってもびくともしない。

 振り返るとジェンスがそばまで来ていた。

「ここのカギは?」

「この部屋のかい? えーと…そうだ、借りてこなくちゃ持ってないよ。ねぇ、いったい何があったんだい?」

「この中から音がしてるんだよ」

「おかしいなぁ? 部屋には誰もいないはずだけどなぁ」

「どうでもイイから早くカギもらってこい」

「うん。分かったよ」
 そう言ってジェンスはどこかへ行った。

「あんちゃん、何があったん?」

「この中から変な音がしてんだ」

 俺がそう言うとアルは飛びついてきて思いっきりしがみついた。

「…オバケ…?」

「さあな。分からない」


 しばらくしてジェンスがヨロヨロしながら帰ってきた。大きな口を開けて息をして、ヘロヘロになっている。どこまで行ってたんだろ。体力のないヤツだ。

「これで開くよ」
 ヘロヘロのジェンスが震える手でカギを差し込んで回すとガチリという音がした。

 俺は思いっきり戸を開けた。

 あれ?誰もいない。

「だから、誰もいないって言っただろぅ?」

「じゃあ、何の音だよ。この部屋のほうからしてるのを聞いただろ」

 とにかく空き部屋に入ってみた。大きな窓からの光で部屋の中がよく見える。ベッドの一つも置いてないカラッポの部屋だ。もちろん人も動物もいない。

 また音が聞こえる!今度はジェンスの部屋のほうからだ。そんな馬鹿な!俺たちがこの部屋に向かってる間に入れ違いにあっちの部屋へ入って、今度は向こうからコンコンやってるとは思えない。ってことは、部屋と部屋の間に廊下からは入れない空間があるのか?


 音の聞こえる壁を見つけて近づく。そっと手をかざしてみる。そこからひんやりとした風が感じられる。

 よく注意して見ると、壁の石と石との間に小さなすき間がある。グーで叩いてみると、そこの周りの石がすぐに外せそうに、抜けかけの歯みたいにグラグラしてる。

 壁に使われてる石は片手に乗るくらいの物ばかりだ。石の一つを両手でつかんで引っ張ってみると、ひんやりと冷たい。

「何してんのん?あ〜、あんちゃん、お城つぶすんや!なぁ、お城の人に怒られへんかなぁ。つぶしますって、ちゃんと言うたほうがエエんちゃうのん??」

「お前ら、見てないで手伝え」

「やっぱりつぶすのん?部屋つぶれてけぇへんかな、天井落ちてきて。危ないよ」
「たぶん天井は大丈夫だから。早く一緒に石を外せよ」
 うなずいてアルは俺の横にしゃがんだ。よいしょよいしょと言いながら一緒になって石を引っ張るけど…お前は何の役にも立ってないぞ!っつか、むしろいないほうがマシだ。

 穴の向こう側が少し見える。真っ暗だ。中に入ると何も見えなさそうだ。

「お前は灯りを持ってきてくれよ」
 振り返ってジェンスに言うと、ジェンスは大きくうなずいてから部屋を出て行った。灯りを取りに行ったようだ。


 だんだんと穴が空いてきた。やっぱし向こう側は真っ暗みたいだ。


 もうこれ以上は外れないというところまで結局は俺ひとりで壁を外し続けて、なんとか人の通れそうな穴が空いた。でも穴が狭い。

 そこへランプを両手にそれぞれ持ったジェンスが帰ってきた。

「持ってきたよ」

「うん。え〜と、そうだなぁ…お前は大きいから無理だな。アル、お前が一緒に来い」

「絶っ対イヤや!暗いしコワい!イヤや」
 アルはブンブンと首を横に振ってジェンスにしがみついた。

「イイから、来いよ。お前ひとりで行けって、言ってるワケじゃ、ねぇだろ。大丈夫だよ」
 力ずくでアルを引きはがし、やっと、いちおうだけどついて来させることができそうになった。

「気をつけてね。何が棲んでいるか分からないから」

「やっぱりイヤや!」
 ジェンスが言うと、せっかくついて来る気になってたアルがまたダダをこね始めた。

「馬鹿王子!ったく、よけいなこと言うんじゃねぇ。またアルがダダこねるじゃねぇかよ」

「失礼。ゴメンね。いやいや、冗談だよ。棲んでいるワケがないから大丈夫だよ、うん。まぁ、いるのは蜘蛛くらいだからね、大丈夫だよ。たぶん」

「蜘蛛っッ?!」
 今度は俺が飛び上がる番だった。忘れてた!こういうとこに八つ足は付き物だった!あの生き物だけは苦手だ。

 苦手とか嫌いとかいう度合いじゃあない。見ただけで寒気がして鳥肌が立って身体がすくむ。もう、あのヤツだけはカンベンしてほしい。

「俺もやめる!」

「あれ?一度言ったことをくつがえす人じゃあないだろう、君は。正体をたしかめるのじゃあなかったのかい?」

 そう言われりゃそうだなぁ…う〜ん。

 結局は俺の中で好奇心が勝ってしまった。


 心を決めてランプを持つ手を先に穴の奥へ突き出して穴の中の地面にそれを置く。壁の向こう側の地面が明るくなって空間があるのが見えた。

 ヒジで這って何とか穴を抜ける。狭いのなんのって、危うく引っかかってズボンが脱げかけて、にっちもさっちもいかなくなるところだったよ。

 地下室みたいに空気が変に冷たい。ランプの油のにおいに混じってカビみたいなにおいもして、何とも表現に困る。

 それにしても何でこんな空間があるんだろうな。

 目をこらして見ると、目の前はすぐにまた壁で、空間は廊下みたいに左右へと細長く続いてるみたいだ。先が気になる。

「アル、お前ならチビだから簡単だろ。早く来いよ」
 穴から手だけを出してアルを手招きした。

「イヤ、きしょい!オバケみたい!手ぇオバケさんや」

「くだらねぇことはイイから、早く来いよ」
 アルがしゃがんで穴を覗き込んできた。

「あんちゃん、おる?ちゃんと、おってくれるのん?おるん?ほってかへん?」

「どこにも行かないから早くしろよ」
 そう俺が答えるとアルの頭が穴から覗いた。それから難なく壁を抜けると、ジェンスが壁の向こう側で差し出しているランプを受け取った。

「二人とも大丈夫かい?そこには何があるんだい?」

「何もないけど、廊下みたいな通路があるよ。どこかへ続いているみたいだから行ってみる」

「分かったよ。くれぐれも気をつけるんだよ」

「うん」
 穴の向こうから聞こえるジェンスの声にうなずいた。


 ランプで照らして左右を見た。

 穴が空いてる壁に向かって右のほうは行き止まりだ。反対側には道が続いている。

 俺がそっちのほうへ歩き出すと、アルは急いで俺の上着のすそをにぎった。

「オバケなんかおらへんよね?もし、おっても、あんちゃん、えいや〜って、してくれるやんなぁ?」
 アルがめちゃくちゃ不安そうに言った。

「まあ、出た時はな」

 十メートルくらい歩くと、左手の壁に横へ曲がれる所が見えた。そこには階段があった。下へ降りられるらしい。

 らせん階段で、カタツムリの渦みたいにぐるぐるぐるぐる、どこまでも降りられた。足音だけが大きく響いて、影が丸い壁に長く伸びてついてくる。

「どこまであるんやろ?長いなぁ。終わりないんかなぁ」

 ホントだ、終わりがなかったらどうしようか…なんて思ってしまうほどだ。


 だいぶ降りると、やっと階段の終わりがあった。

 向こうにまた空間があるみたいだ。と、空間に一歩出た時、変な気配がした。

 俺たちの足音や気配の他に、何て言うか、重い布でも引きずってるようなザラザラ、ズルズルという音が聞こえている。

「どうしたん?」

「シッ。静かにしろ」

「何か変なにおいする。気持ち悪い」
 言われてみりゃ変なにおいだ。ムッとするような酸っぱいような、動物のにおいのような、喩えようのないにおいがしている。

 気になって立ち止まったまま左右を照らした。そこにいた物を見て、勇気があるつもりの俺もさすがにギョッとした。

 うしろから顔を出したアルが驚いて声を出そうとしたのを無理やり口を手でふさいで黙らせた。そして、見つからないように元来た階段のほうへアルを引き込んで隠れる。

「イヤや!もう帰ろ!行きたない!変なんおるやん!俺、もう帰る」

「馬鹿!静かにしねぇか、聞こえるぞ。気づかれちゃマズいだろうが」
 アルがベソをかいて声を出す。うるさいな。


 でもホント、アルの言うとおり帰ったほうがイイんだろうけど、どうしても正体を知りたくて、もう一度見たくなった。

 やめときゃイイんだろうけど、この気持ちは収まらないな。怖い物見たさってヤツか。

 さっき見た不気味なヤツの格好が目に焼きついてて、まだ胸はドキドキしている。
 何か、ぼろきれのカタマリみたいって言やイイのか、薄汚いカタマリだったような、人だったような動物だったみたいな…何だったんだろう。よけいに正体が気になって仕方がない。


「静かについてこいよ。それとも一人で帰るか?」

「どっちもイヤや!」
 俺が歩き出したもんだから、泣きながらついてきた。しかも俺の腕にしがみついてる。しがみついてるっつーか、これは、ぶら下がってるって言うんじゃないのか?


 その変な化け物は、もうそこにはいなかった。奥へ行ったらしく、においだけが残っている。どうやら真っ暗な中をズルズルやってるらしい。

 道は両手を広げるとついてしまうほど狭い。天井も大人なら頭を打ちそうに低い。横に曲がれる所はないみたいで一本道が続いている。

 音が響くから俺はなるべく足音を押さえているんだけど、アルの足音がうるさい。

「足音、静かにしろよ」

「うん!」

 俺が注意してからアルの歩き方がおかしくなった。まったく、大丈夫かよ、コイツは。


 しばらく行くと正面の壁の下のほうに一メートルもないくらいの円い穴が見えてきた。

 その壁伝いに右が行き止まり、左には道があるみたいだ。

 ランプで穴の奥を照らしてみる。壁の左の道は今通ってきた道と同じ石で固めてあるけど、正面の穴の奥はどうやら土を削ったそのままの道みたいだ。

 しかも、今来た道よりももっと狭い。

「どっちへ行く?」
 何気なくアルに聞いてみた。

「どっちもイヤや」

「言うと思ったよ。まっすぐ行くぞ」

 その固められてない穴のほうの道を選んでみた。

 あの変なヤツが待ち伏せしていて、いつ前から飛びかかってくるか分からない。

 何メートルくらい続いているんだろうか。

 這わないと通れないくらい狭い道がいきなり終わった。行き止まりだ。…と思ったら、穴を抜けた向こうに何か壁みたいに見える物が置いてあるだけみたいだった。

 穴を抜けて立ち上がる。目の前のそれはツイタテだった。回り込んでみるとそこは小さな部屋になってるみたいだけど、ランプで照らさないと真っ暗だ。

 そして、その部屋の真ん中にあの気味悪いヤツがいるのが見えた。

「誰ぞ」
 さっき見た化け物らしいのが俺の気配に気づいて振り返って人間の言葉で言った。

 姿にピッタリの、地面の底から聞こえてくるみたいな不気味で聞き取りにくい声だ。

 そいつの顔をランプで照らした。しわしわで、爺さんか婆さんか判んない。ついでに歳もぜんぜん判らない。たぶん百歳なんて歳はとっくに越えてそうだ。

「お前こそ何だ?人間か」

「声からすると、そのほうは少年かえ」
 声からするとってことは目が見えてないのか?たしかに深いしわで目がどこだか判らないくらいになっている。

「わらわは人間じゃ。ご覧のとおり、相当な歳の老婆じゃ。自分では自分の姿が判らぬが。姿どころか歳さえも忘れてしまった」
 化け物じみた婆さんは言った。見た目は気持ち悪いけど、危険だとは思えなかった。

 しゃべり方もゆっくりしてて、感じが穏やかっていうんだろうか。

「あんたは何でこんなとこに住んでんだ?真っ暗じゃないか」

「ほほ、真っ暗でも良し。わらわに光はないのじゃ。いずれも同じこと」
 婆さんはおかしそうに笑って、床に置かれている皿に載った物を手づかみで食い始めた。

 こうやって見ると婆さんは小さかった。下手すりゃ俺くらいしかないかも知れない。それが背中を丸めて何かを食ってる姿は何だかおかしくて、かわいらしくもあった。


 部屋は行き止まりかと思やぁ、婆さんの向こうの壁に戸が見える。真ん中より少し上に格子の入った窓みたいなとこがある戸だ。

 俺は何かを食ってる婆さんの横を通ってその戸の所まで行った。もちろんアルは婆さんを避けて思いっきり壁際を通ってきたけど。

 鉄でできた重そうな戸だ。かなり錆びてる。取っ手を引き下げる。カギがかかってんのか、ぜんぜん動かない。

「無駄じゃ。ここは牢の中。そちらからは帰れませぬぞ」
 婆さんは音で俺のしてることを知ったのか、そう言った。

 俺は婆さんの前に戻ってきて座った。

「牢?婆さんは何で牢なんかに」

「そうじゃの…何年ここにおるのか分からなくなってしまったが、わらわは、もう長きに渡ってここにこうしてつながれているのじゃ。わらわは国王様の側妻(そばめ)。いわれあって罪を犯したのじゃ」

「ふーん。出たいと思わないの?」

 そう聞いても婆さんは歯のない口でニーっと笑うだけだ。


 向こうの扉のほうに置いてきたアルが隙と見てすごい勢いで走って戻ってきた。

 だいぶ慣れたけど、やっぱり何とも言えないにおいだなぁ。本人は何ともないんだろうか

 頭の毛は真っ白で、まばらで薄い。ネズミ色のゴワゴワで硬そうな物を着ている。間違いなくさっきズルズル這っていた生き物はこの婆さんだ。

 婆さんは俺たちがいようが何だろうが何も言わずに食い続けてる。まあ、這ってた変なヤツの正体も判ったし戻ろうか。

「じゃあ、婆さん、元気でな…ってのも変だけど。じゃ、さよなら」
 もう何も答えない婆さんを置いて俺は元来た穴を這った。アルは必死についてきてる。

 穴を抜けた。ランプを地面に置いて手やヒザについた土や小石を払う。ついでに伸びをしてからランプを拾う。

 アルも真似をしている。俺は、今度はそのまま右へ進んだ。

「あれ?戻らへんのん?」

「ここまで来ておいて、こっち側も気になるだろ」

「うん…」
 アルは不服そうに返事をしてうなずいた。

 たぶん何もいないだろうから、今度は普通に歩ける。

 足音がものすごくこもって響いてる。

 と、少し歩くとまた行き止まりだ。今度は本当に行き止まりの壁みたいだ。押しても叩いてもただの石の壁だ。アルも俺に並んで、前や横の壁を押したり叩いたりしてる。でも残念なことに本当にただの壁だ。

「もう何もないから引き返すぞ」

「何か声みたいなん聞こえる」
 壁に耳をつけてアルが言った。俺も同じように壁に耳を当てて聞いてみた。

 たしかに声みたいだ。遠いのか、あまり大きな声じゃなくて聞き取りにくい。

「…おうじなければ…てんか…わけにはいかない…」

 ぼそぼそと聞こえている。おうじなければてんか…どういう意味だろ?壁の向こうには何があるんだ?何者だ、こいつらは。

 おうじなければてんか…王子、なければ天下??

「たいせつなれいのるどさまの…」
 レイノルドって言やぁ、ジェンスの兄さんのか??

 あ!何かが壊れる音が!壁の向こうは何か緊迫してるみたいだ。誰かが荒れて暴れているのか。

 アルも聞こえたのか顔を見合わせる。

「何か割れたみたいな音した!お皿みたいやったけど」

「ああ。向こうで何が起こってんだろうな」

「うん。この壁、壊されへんかなぁ」

 押したり叩いたりしてみるけど、やっぱりびくともしない。

「壁、すり抜けられへんかなぁ」

「馬鹿。そりゃあ無理だろ」

 仕方なく耳を澄まして音をもっとよく聞いてみる。

「…はやく…ばんさんにまにあわない…」

 よく聞くとガチャガチャと金物の音や包丁らしきトントンという音みたいだ。どうやら壁の向こうは厨房みたいだ…とすると、まさか王子ジェラルドを殺すために食い物に毒を入れようとかいう相談だったんじゃないだろうな??

 そうか…あのじっちゃんの言ってた昔話は本当のことで、今でも王位争いとか何かがあってケンカしてるんだな!

 王子レイノルドを国王にしようとレイノルドの味方の誰かが悪いことを考えてるのか!こうしちゃいられない、アイツに知らせなきゃ!

「戻るぞ」

「え?…うん」

 俺は元来た道を駆け出した。

「待ってや〜」

「遅いな!もっと速く走らねぇか!」

「もうこれ以上、無理や〜」

 らせん階段を一段飛ばしで駆け昇る。グルグル回るうちに目が回ってきて方向が分からなくなってきた。

 アルも必死についてきている。きっと置いてかれるのが怖いんだろ。


 穴を空けた壁まで戻ってきた。穴から這い出す。

 目の前にいたジェンスはイスに座ってのんきに本を読んでやがる。俺が這い出してきたのを見て顔を上げた。

「おかえり。中には何があったのかな?」

「馬鹿!のんきだな!」

「何を怒っているんだい?僕、何も悪いことをしていないのだけどなぁ」
 不思議そうに首をかしげてゆっくりと言いやがる。

「のんきだからだよ!」

「のんきかな?普通だけどなぁ」

「あのな、お前、ユウメシに殺されるぞ」

「ユウメシ?…って何だい?」

「言葉通じねぇのかよ…メシ、メシ…晩餐!」

「ああ、晩餐のことかい?殺されるって、お汁や焼き魚にかい?ふふふ、愉快だね」

「こわ〜!たぶん、焼き魚が生きとって咬まれんねんで!」

 ズレたヤツらだ。まったく話にならない…。

「実はな、お前のメシに毒を入れる相談を聞いたんだ」

「いったいどこで聞いたんだい?穴の奥に誰かいたのかい?」

「ちょうど抜け道の奥が行き止まりになっててさ、その向こうが厨房だったんだよ。そこでの話を壁越しに聞いたんだ」

「君の言ってることは何が何だか解らないよ」
 ジェンスは首をかしげた。

 のんびりバカ王子め、まだ急ごうって気はないみたいだな。一刻を争うってのに、もどかしいヤツだ!

「解らなくたってイイよ。それより厨房はどこだ?」

「厨房かい?え〜と、一階の…どこだったかな。中庭の、え〜と、北側、かな?君、知っているかい?」

「俺に聞くなよ」

「あ、そうかぁ。君は城の人間じゃあなかったんだよね。失礼。そうだなぁ、一階のそこら辺にいる人に聞いてみれば分かるんじゃないのかな」

 ったく、ヒトゴトみたいに言いやがって。こんなヤツに理由をつべこべ言うより、たたみ込んだほうが早い。


 俺はひとり、空き部屋を飛び出してジェンスの言う一階を目指した。

 さっきの抜け道を歩いた感覚で厨房の方向とか位置とかは何となく見当がついていた。

 あった。食い物のにおいがしてきたから絶対に当たりだろう。

 廊下の突き当たりの部屋から灯りが漏れている。抜け道で聞いた音もしている。

 部屋に勢いよく飛び込む。広い厨房には白い服を着た料理人が何人かいて、忙しそうにしていた。

 俺がいきなり飛び込んだもんだから、何事かと一斉にこっちを向いた。たくさんの視線が突き刺さる。

「お前ら!さっき何の話してた!」

「何だ、お前は?!」

「何でもイイだろ!さっき…そうだ、皿か何かを割る前、何の話してた!」

「皿?」
 料理人は俺の言葉に手を止めて顔を見合わせた。

 俺くらいならすっぽり隠れられそうに大きな鍋が白い泡を噴きこぼしている。

「…あ、私が急いでて割ったんだ」
 その中の一人が手を小さく挙げながらボソリと言った。

「あの時は…注文に応じなければダメだな。天カスで間に合わすわけにはいかないし…大切なレイノルド様のお客様だしなぁ、とか言ってたと思うが。それより君は何だ?人を呼ぶぞ」

「…まぎらわしい話をするな!」
 そう言う俺を料理人たちは取り囲む。

「つまみ出せ!」


 俺は料理人につまみ出された。



戻る
inserted by FC2 system