(6)
「そんなとこで何してる。入んないのかい?」
居間の前で隠れるようにして階段に座っていた俺を見つけたじっちゃんが言った。
「考え事だよ。あ、俺、二階行ってもイイ?」
「おっと、ダメだ。お前さんのお客さんだろ」
「俺、アイツはあまし好きじゃねぇから」
「こら。人の好き嫌いは良くないぞ」
「そんなこと言ったって、アイツ変なんだもん。話してるとこっちまで調子狂っちまうよ」
「まあ、何でもイイさ。ところで、そんなトコで何を考え込んでたんだ?いたずらが父ちゃんにバレそうなのかい」
「叱られるようなことを最近は隠してないよ。あのね、人間ってさ、どれくらい生きられるもんなのかな、って」
「ん〜、何歳くらいまで生きるかってことか?そうだなぁ、ワシが知ってるのは四ツ辻のタバコ屋の婆さんの百歳が最高かな」
「ふぅん。人間の寿命ってそれくらいなのかな」
城の真っ暗な中に住んでる、あの化け物みたいな婆さんは百年以上は生きてるって言ってたけど、ホントだったのかな。それこそ化け物だよな。
「なんでそんなこと急に聞くんだ?ワシがいつ死ぬかってことかよ」
「そんな意味じゃないよ。でも、じっちゃんは六十ちょっとだよね。四ツ辻の婆さんからするとまだ若いよな」
「こらこら、いくら何でもあの口だけ達者な妖怪バアさんと比べんなよ。…とは言っても、ワシもそういつまでも生きてるわけじゃないからな。いつまでもあると思うな何々とカネっつだろ。早いとこ大きくなってイイ娘でも見つけて、ガキの顔でもワシに見せて爺孝行でもしな」
「いったい、いつの話だよ」
「さあな。お前さんの努力しだいだ」
まったく、じっちゃんは。長生きするよ。
「も〜、お前さんがそんな調子だったら、ワシが見に行かなきゃなんないだろうが。お前さんのお客さんなのになぁ」
じっちゃんはブツブツ言いながら居間へ入っていった。
廊下の向こうの玄関を振り返る。表の戸を開ける度に入る花びらが土間にいっぱいになっている。何時間か置きにじっちゃんが掃いてるんだけどな。
もう桜も散ってしまった。あれは桜の散るころにだけ見る春の夢だったんだろうか。
…でも、残念ながら夢じゃない証拠にコイツがウチにまで来るようになっていた。
話しているのが居間から聞こえている。
「お茶はおいしいですねぇ」
「そうかい?どんどん飲みな」
「ありがとうございます」
ジェンスは俺ん家の居間の食卓で茶を飲んでいる。ったく。
「お前さんの言ってた幽霊があの人かい?」
居間から廊下へ出てきたじっちゃんが戸を閉めて、階段の俺にひそひそと言った。
「そうだよ」
「ホント、キレイだなぁ。で、男なのかい?」
「知らないよ、たぶんそうだろ」
「いや〜、ワシらと同じ男だとは思えんなぁ。男だとしても女だとしても、絵画か彫像みたいだな。人間の理想像っつーか。何か高貴な薫りもするしな。浮世離れしてるって言うか」
「あの〜」
食卓のほうからジェンスの声がした。
「はいはい、何か」
じっちゃんは居間へ飛び込んだ。
「お茶のおかわりをいただけませんか」
「はいはい。あ、湯を沸かすのでちょっと待っててくださいよ〜」
またじっちゃんが居間から出てきた。かと思やぁ今度は、すれ違いざまに俺の背中を居間のほうへと突き飛ばした。
「やぁ、クェトル。元気かい?」
「お前のせいでぜんぜん元気じゃねぇ。早く帰っちまえよ。何しに来た」
「ひどいなぁ。君らしいけど。何をしに来たかって…君に会いに来たんだよ」
頬杖をついて湯飲みの縁を指先で撫でながらジェンスは言った。顔も手も動きも女みたいなヤツだな。
「あのね、君にお礼を言おうと思ってね」
「俺はお前に礼を言われるようなことはしてないぞ」
「ヤだなぁ。この間、僕がおカネという物を持たずにお店で食べていた時、店主のかたに代わりにおカネを渡してくれただろう?そのお礼だよ」
何だ、そのことか。忘れてた。
「済んだことなんてイイよ」
「そんなところも君らしいね。これからも遊びに来てもイイかい?君とは長い付き合いがしたいんだよ」
俺は答えずに食卓のイスを一つ、窓の所へ持っていった。ジェンスに背中を向けて座って表通りを見る。
路にも花びらが白い絨毯みたいに降り積もっている。
ふと、ジェンスの帰る屋敷街の路を思い出した。
「早く帰らなきゃ国王様に叱られるぞ」
俺は振り返らずに背中で言った。
「うん。そうだね。でも、僕はホント、国王の息子になんて生まれたくなかったなぁ。気ままに暮らしたいな」
にこにこ以外の感情のなさそうなヤツの少し淋しそうな声が聞こえた。
変で、付き合いきれないヤツだけど、ちょっとだけかわいそうに思えた。別にどうだってかまわないヤツのはずなんだけど。
「また来てもイイかい?」
ジェンスが言った。
「勝手にしろ」
俺はそう答えてしまっていた。
『路傍の宝玉』おわり
《第2話へ、つづく》
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「そんなとこで何してる。入んないのかい?」
居間の前で隠れるようにして階段に座っていた俺を見つけたじっちゃんが言った。
「考え事だよ。あ、俺、二階行ってもイイ?」
「おっと、ダメだ。お前さんのお客さんだろ」
「俺、アイツはあまし好きじゃねぇから」
「こら。人の好き嫌いは良くないぞ」
「そんなこと言ったって、アイツ変なんだもん。話してるとこっちまで調子狂っちまうよ」
「まあ、何でもイイさ。ところで、そんなトコで何を考え込んでたんだ?いたずらが父ちゃんにバレそうなのかい」
「叱られるようなことを最近は隠してないよ。あのね、人間ってさ、どれくらい生きられるもんなのかな、って」
「ん〜、何歳くらいまで生きるかってことか?そうだなぁ、ワシが知ってるのは四ツ辻のタバコ屋の婆さんの百歳が最高かな」
「ふぅん。人間の寿命ってそれくらいなのかな」
城の真っ暗な中に住んでる、あの化け物みたいな婆さんは百年以上は生きてるって言ってたけど、ホントだったのかな。それこそ化け物だよな。
「なんでそんなこと急に聞くんだ?ワシがいつ死ぬかってことかよ」
「そんな意味じゃないよ。でも、じっちゃんは六十ちょっとだよね。四ツ辻の婆さんからするとまだ若いよな」
「こらこら、いくら何でもあの口だけ達者な妖怪バアさんと比べんなよ。…とは言っても、ワシもそういつまでも生きてるわけじゃないからな。いつまでもあると思うな何々とカネっつだろ。早いとこ大きくなってイイ娘でも見つけて、ガキの顔でもワシに見せて爺孝行でもしな」
「いったい、いつの話だよ」
「さあな。お前さんの努力しだいだ」
まったく、じっちゃんは。長生きするよ。
「も〜、お前さんがそんな調子だったら、ワシが見に行かなきゃなんないだろうが。お前さんのお客さんなのになぁ」
じっちゃんはブツブツ言いながら居間へ入っていった。
廊下の向こうの玄関を振り返る。表の戸を開ける度に入る花びらが土間にいっぱいになっている。何時間か置きにじっちゃんが掃いてるんだけどな。
もう桜も散ってしまった。あれは桜の散るころにだけ見る春の夢だったんだろうか。
…でも、残念ながら夢じゃない証拠にコイツがウチにまで来るようになっていた。
話しているのが居間から聞こえている。
「お茶はおいしいですねぇ」
「そうかい?どんどん飲みな」
「ありがとうございます」
ジェンスは俺ん家の居間の食卓で茶を飲んでいる。ったく。
「お前さんの言ってた幽霊があの人かい?」
居間から廊下へ出てきたじっちゃんが戸を閉めて、階段の俺にひそひそと言った。
「そうだよ」
「ホント、キレイだなぁ。で、男なのかい?」
「知らないよ、たぶんそうだろ」
「いや〜、ワシらと同じ男だとは思えんなぁ。男だとしても女だとしても、絵画か彫像みたいだな。人間の理想像っつーか。何か高貴な薫りもするしな。浮世離れしてるって言うか」
「あの〜」
食卓のほうからジェンスの声がした。
「はいはい、何か」
じっちゃんは居間へ飛び込んだ。
「お茶のおかわりをいただけませんか」
「はいはい。あ、湯を沸かすのでちょっと待っててくださいよ〜」
またじっちゃんが居間から出てきた。かと思やぁ今度は、すれ違いざまに俺の背中を居間のほうへと突き飛ばした。
「やぁ、クェトル。元気かい?」
「お前のせいでぜんぜん元気じゃねぇ。早く帰っちまえよ。何しに来た」
「ひどいなぁ。君らしいけど。何をしに来たかって…君に会いに来たんだよ」
頬杖をついて湯飲みの縁を指先で撫でながらジェンスは言った。顔も手も動きも女みたいなヤツだな。
「あのね、君にお礼を言おうと思ってね」
「俺はお前に礼を言われるようなことはしてないぞ」
「ヤだなぁ。この間、僕がおカネという物を持たずにお店で食べていた時、店主のかたに代わりにおカネを渡してくれただろう?そのお礼だよ」
何だ、そのことか。忘れてた。
「済んだことなんてイイよ」
「そんなところも君らしいね。これからも遊びに来てもイイかい?君とは長い付き合いがしたいんだよ」
俺は答えずに食卓のイスを一つ、窓の所へ持っていった。ジェンスに背中を向けて座って表通りを見る。
路にも花びらが白い絨毯みたいに降り積もっている。
ふと、ジェンスの帰る屋敷街の路を思い出した。
「早く帰らなきゃ国王様に叱られるぞ」
俺は振り返らずに背中で言った。
「うん。そうだね。でも、僕はホント、国王の息子になんて生まれたくなかったなぁ。気ままに暮らしたいな」
にこにこ以外の感情のなさそうなヤツの少し淋しそうな声が聞こえた。
変で、付き合いきれないヤツだけど、ちょっとだけかわいそうに思えた。別にどうだってかまわないヤツのはずなんだけど。
「また来てもイイかい?」
ジェンスが言った。
「勝手にしろ」
俺はそう答えてしまっていた。
『路傍の宝玉』おわり
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