クェトル&エアリアル『肖像の鳩』#5

(5)


 どこからだろう。風に乗って鐘の音が聞こえてきた。

 山々に囲まれて果てもないほど遠く続いていた平原の向こうに、河の流れが東西に渡っているのが見えた。森を分けるように流れている。

 その上流にあたるのだろうか、河につらなる小高い丘には明らかに人の手による建造物の群れが見え始めた。
 近づくにつれ、しだいに形がハッキリとしてきた。空の青さに目を細め、額に手をかざして見遣る。高い塔や城壁の直線的な物影…間違いない。城だ。ティティスに着いた。

 どちらともなく顔を見合わせ、言葉もなくうなずき合った。だが、ティティスの過去を想うと、近づけば近づくほど自然に歩みは重くなる。

 天然の河堀と街壁にぐるりと囲まれた城下街の入口、降りたままの跳ね橋を渡る。

「あっ、魚おるわ」
 アルは嬉しそうな声で言い、跳ね橋の中ごろにしゃがみ込んだ。
 整備なんてする人間があろうはずもなく、橋には板の抜けている箇所がある。隙間の向こうの澄んだ流れには、長い髪のような水草と泳ぐ小さな魚とが見え隠れしていた。

「行くぞ」

「え〜、もう行くん?もうちょい見てたかったのに!」
 アルは立ち上がり、ブツブツ言いながらついてきた。

 壁の崩れかかった門をくぐって街へと入る。抜けるように高く晴れ渡る空が一番初めに目に飛び込んできた。すがすがしさのせいか、その下に立ち並ぶ形の崩れた家々が、やけに異様に見える。

「めっちゃヒドいなぁ…」
 どう見ても、くつがえしようもない廃墟だ。滅びたのは十年も昔じゃないはずなのに、まるで風化した古代の遺跡みたいじゃないか。人が住んでいないだけで、こんなにも短時間で、こんなにも荒れてしまうとは。

 鐘の音がし、真上を見れば、今し方くぐったばかりの門の上につながる高い塔の鐘がひとりでに鳴っていた。

 昨晩の嵐の吹き返しなのか、時おり強い風が駆け抜け、店の軒下の吊り看板を揺らす。
 見渡しても、もちろん人影はない。猫一匹さえもいない。耳に届くのはバッタの声くらいだ。それも枯れ草のようで、生命に乏しい。

 小高い丘にある城を目標にして、荒れた石畳を歩き始める。
 戸板は外れ、壁も半ば崩れた家が目に入った。さぞや急襲だったんだろうな。入口すぐの卓の上には、土のかぶった食器類がそのままになっている。
 そこには、歴史に残らない名もない人間たちの息吹を感じる。無感情な遺物のはずなのに、表現しがたい哀しさが立ち込めていた。

 一時間も歩いただろうか。荒廃した生活の跡を抜けると、突然、視界が開けた。
 かつては整地されていたと思われる広場らしき所には背の高い雑草が生い茂っていた。それが風に従って大きく波打っている。
 その向こう、かなり遠くに高い城壁が見えている。

 背丈ほどもある草の群れをかき分ける。踏むたびに、草の乾いた根元から硬く鋭い音がし、霜柱を踏むような小気味よい感触が靴底に伝わる。
 枯れ草の中を二、三十メートルもゆく頃には、手袋をしていない手に、いつの間にか小傷がついて痛がゆくなっていた。

「待ってぇな!さきさき行きよって!草がからまって歩きにくいねんけど!」
 声に振り返る。かなりうしろのほうで草むらが揺れているが、アルの姿は見えない。
 待っていると、やっと姿が見えた。かと思やぁ、髪も服も枯れ草や実だらけだ。

「くっつき虫だらけなってもた!もう〜、毛ェにもからまっとるし〜。コレぜんぶ、本物の虫やったら、めっちゃ、きしょくて泣くわ」

 その時、いきなり目の前の深い草むらから大きな鳥が翔び立った。

「うわっ!」
 驚いたアルが俺の背中に飛びついてきた。それに押された俺は、いきなりのことでバランスをくずして足を踏ん張ると、片足が空(くう)を踏んだ。とっさに体重をうしろへかけ、危ないところでとどまった。
 その足元を見ると、幅の広い空堀が草むらに隠れていた。
 アルは草をかき分け、掘の縁に座り込んで腰を退きながら下を覗き込んだ。

「危な〜、もう少しで落ちるとこやったなぁ」
 危ないも何も、お前が押すからだろ。

 組まれた石垣の壁から目線を下へと遣る。高さは五メートルほどか。底は草がまばらにしか生えていない。

「ここ、水あらへんな。昔は、あったんやろか?」
 それにうなずき返し、再び目線を上げる。掘の向こうの対岸、ここから右方向にあたる壁には大きな穴。穴の前には跳ね橋があるのが見える。おそらく正門だろう。
 跳ね橋は朽ちてはいたものの、かろうじて渡ることができた。

 城門をくぐると、目を見張るような光景が広がっていた。

 数えきれないほどのトンボの群れが風間に舞い、透き通った羽根が陽の光をひるがえしている。得も言われぬほど不思議で幻想的なながめだった。

 光の流れの向こうに見えているのは、白亜の城だった。
 その真っ正面へ向けて庭園を貫いて走る通路の左右には、水をたたえた長四角の池がある。青く澄みきった秋空と城とが、鏡みたいな水面に映り込んでいる。くっきりとした青と白との対比が美しい。
 見渡すかぎり、その通路を中心にして城のすべてが左右対称で、その壮大さに息を飲む。白壁だからか、いかめしい感じがあまりなく、要塞というにおいがしない。

 アルも口を開けてポカンとその光景をながめている。
 ながめていても仕方がない。この城に眠っているはずの絵を捜さなくてはならないんだった。
 決意をし、ゆっくりと夢の跡へ一歩を踏み出す。

 石畳は真っすぐに伸びていた。
 ここにはかつて、彼らティティスの人間の営みがあった。俺たちみたいなよそ者を、何か押し返そうとするような気を感じる。彼らの想いは今なお、ついえてはいない。

 中ほどで折れて倒れた柱、ところどころ剥がれた石畳、欠けた石像…廃墟になってしまってはいたが、その遺物の間には緑が絨毯のようにあふれ、主なき城で花は咲き乱れていた。

 城壁の外とは、いったいどこが違うのだろうか。城壁の外は、枯れ草が風にそよぐ、うら寂しさが占めていた。逆に王城は地上の楽園と呼びたくなるくらい、人知を超えた無機質な自然美にあふれている。
 なぜだか分からないが、ここは淋しいんじゃない。何て言うんだろう…静粛か。

 あの乳母もここで幸せな日々を送っていたのだろう。
 このどこかで王や王女たちの笑い声がしていた日々があったのだ。そう思うと、時空を越えて柱の陰からひょっこりとその幸福の名残が姿を現しそうだった。

 真っ正面のひときわ大きな建物を左へ回り込み、裏手にあたる奥の建物を目指す。

「エエにおいせぇへん?花みたいなにおい」
 そう言われても、においは分からない。
 建物の外側をぐるりと柱が縁取って立ち並ぶ回廊を抜ける。その裏手へ回り込もうとした時、嗅ぎ覚えのあるにおいが、やっとしてきた。
 いつも感心するのだが、アルは動物並に鼻が利き、誰よりも先ににおいに気づく。

 建物の角を曲がると、中庭にその正体はあった。
 目の前に立ち並ぶ双子の高い建物がある。それを背景にして、黄色い小さな花をたくさんちりばめた木が中庭をうめ尽くしている。きんもくせいの林だ。

「すごい数やなぁ…セレさんトコのんと、どっちがすごいやろ」

 誰もいなくなってからでも、誰に愛でられることがなくても、巡る季節を忘れることなく花をつけている…当たり前のことだろうけど。
 林の中へと続く通路を歩き出すと、そこには濃厚な香りが立ち込めていた。

「なぁ、見取り図、俺にも見して」
 歩きながら見取り図をアルに手渡す。アルは受け取ると、さっそく開いて図と建物を見比べ始めた。それから、図の向かって左の棟を指差した。

「えーと、この建物なん?」

「そうだろ」

「ホンマ、言うとおり、砂時計みたいな形の建物やなぁ」
 アルは感心して図から視線を上げ、今度は双子の建物を仰ぎ見た。
 双子の建物には窓が無数にある。窓の様子からして五階建てなのが分かる。
 ちょうど真ん中の階、三階にだけ左右の双子の棟同士をつなぐ渡り廊下がある。その渡り廊下の上下には半円の弧を内に寄せたような形の飾りがついている。寝かせた砂時計そっくりの外観だ。

 きんもくせいの林を抜けると建物の手前に入口が見えた。もうすぐ肖像画を手にすることができそうだ。

 両開きの鉄の戸は少しすき間が開いていた。鍵はかかってはいないが、錆びついているのか必要以上に重い。
 足を踏み入れると、昼間だというのに屋内は薄暗かった。晴天の明るさに慣れた目だからだろうか。
 左手奥を見遣ると、内部を貫く長い廊下が延々と続いていた。さっき外から見えていた窓だろう、向かって左側にある小窓から取り込まれた光が長い廊下に陰と光を交互に並べている。
 床には瓦礫のかたまりや壁の破片に交じり、何だかよく判らない物が落ちていて薄気味悪い。白い漆喰の壁は苔かカビか、やけにシミで薄汚れている。

 生きているものは何もいない。もちろん、何の物音もなく静まり返っている。

 入口近くの奥まった暗がりに、螺旋状らしき曲線を持つ階段があるのが見えた。見取り図のとおりだ。
 靴音の反響がこもる階段を昇る。時計回りに、時をつむぐかのように続いている。

「なぁ、肖像画は五階?」

「そうだろ」

 五階へ着いた。

「うわ〜!ヒドいなぁ!見てみ、でっかい穴、空いとるやん」
 先に五階へ着いたアルの騒々しい大声が聞こえてきた。螺旋階段を抜けて右の廊下を見ると、ここから十メートルも離れていない場所の床がゴッソリと抜け落ちてしまっているのが目に入った。
 床は両端がわずかに残っているばかりで、そこから階下が見えている。その両端に残っている部分なんて、とてもじゃないが歩ける幅じゃない。

「もうちょいやのに〜。なぁ、どーするん?」
 悔しそうな声で問いかけてきた。問われるまでもなく、渡れないならどうしようもないだろ。
 図を見たかぎり、穴より向こうに階段はないようだ。

「どっかに大きい板、あらへんかなぁ。橋にしたらエエねんけど。なぁ、板、どっかに落ちてへんかった?」
 そりゃそうだが、この穴に橋をかけるくらい大きな板が、あの狭い螺旋階段を通るわけないだろ。

 アルが穴の縁から下を覗き込む。しかも、かなり身体を退きながらだ。そういや、コイツは高い所も苦手だったな。

「うわ〜、高ッ。こんなん、羽根あらなアカンわ。なぁ、思わん?」
 そうだな。だけど、羽根なんてなくても飛び越えられなくもなさそうだ。アルを放っておいて俺だけでも飛び越えられりゃイイんだ。

「ちょ〜、何すんねん。アンタ、何か、良からぬことを考えてはりませんか?」
 俺が荷物を下ろしたのを見て、アルは目をぱちくりやって心配の色を強めた。

「ちょっと、何すんねん!跳ぶんとちゃうやろな!?お前、頭、大丈夫か!?やめとき、めっちゃ危ないって!」
 とっさに俺の腕に取りついて金切り声を上げた。

「お前、アホか!ってゆーか、ずばりアホそのものやん。そんなんして落ちてもて、ホンマに羽根生えても知らんで」
 アルの腕を引き離す。廊下の端まで目一杯、助走の距離をとる。
 言われなくたって危ないのは馬鹿でもないかぎり解るだろ。まあ、その馬鹿が俺だが。

 穴の縁は脆く崩れそうになっているのも見て取れる。やってから後悔するかも知れないが、やらずに帰ると、もっと後悔するだろう。
 穴の前で立ちつくすアルをにらんで、退けと手で追い払う。頑固な俺に何を言っても聞かないことを知っているアルはあきれ顔をしている。
 抑止をあきらめて壁際へ寄り、顔を壁のほうへと背けた。おそらく見るのも怖いのだろう。

 踏み切る場所に見当をつける。対岸をにらみつけて全力で駆け出す。

 五歩、十歩…足裏はもとより満身の力で踏み切る。
 靴の下には重く確かな感覚。悪くはない。
 再び片足が地に着くと同時に、硬いハズの床に足をとられた。信じられないというか、やはりと言うべきか、対岸の脆い床が着地の衝撃に崩れた。とっさに体重を前へとかけて落下を逃れる。両手をつき、全身で着(ちゃく)す。
 バラバラと破片が落ち、下の階からは、それらの当たる音が断続的に聞こえてくる。 何とか無事に飛び越えたようだ。

 立ち上がって手の平をはたいて砂粒を落とす。服の汚れをはらいながら対岸を見遣ると、アルは座り込んでいた。

「そこで待ってろ」

「…お前、めちゃくちゃしよるなぁ。俺、寿命、縮んだわ…」
 そういう俺も自信はなかったが。

「行きより帰りのほうが、距離、伸びてますけど〜。帰り、どうしはるん?」

「その時は、その時だ」

「…はぁ、イイ加減なやっちゃな〜。お前みたいなんが長生きすんねんで」
 アルは呆れ顔でため息をついた。

 向き直って目的の部屋を目指す。全部で五部屋の真ん中だから、三部屋目は中央にあたる。

 密度が高そうな木でできた一枚扉がある。取っ手をつかんで押すと、抵抗もなく開いた。
 長い間とどまっていたような、何とも言えない陰気な空気が漂ってきた。だけど、室内の窓ガラスはほとんど粉々で、空気のよどむハズはないのだが。
 部屋にはカーテンや調度品が何一つない。見渡しても、剥がれ落ちた壁や調度のカケラが散乱しているだけだ。
 もちろん、目的としてきた肖像画があろうハズもない。念入りに捜すまでもなく、ちゃんとした形の物すら一つもないからだ。おそらく荒らされでもしたあとだろう。
 案の定、という気もしないでもないが、ここまで来ていながら悔しいなんてもんじゃない。肖像画も持ち去られて、すでに売り飛ばされでもしたのだろう。
 依頼人は、城がここまで荒らされていることは予想してなかったのか。手ぶらで帰らなくてはならないことにハラが立った。

 『元の場所にかけてあるとイイが』と言っていたセレの感慨深い表情を思い出した。
 セレの言うとおりだな。こんなに荒らされている廃墟だ、王族の肖像画なんて残っているほうがおかしいだろう。

 ふと、何気なく上げた目線の先、目の前の壁の高い部分が目に留まった。汚れとは違う赤いシミが、壁にキレイな形の四角を描いている。
 四角の範囲は戸板の半分くらいの大きさで、ちょうど乳母の示した絵の大きさを思い起こさせる。
 よく見ると、それは左右逆に書かれた一センチ角ほどの文字の羅列のようだ。まるで鏡に映したかのように逆向けに書かれている。ところどころ薄くなってはいるが何とか読める。

 『時の中にあるものは、永遠には止めおけない。栄える国も、鏡の中の私も…』
 セレの言っていた詩か! そうか…セレは肖像画が『元の場所にかけてあるとイイが』と言っていたが、王女の肖像画が『かけて』あるのか、しまってあるのかなんて、見た者にしか分からないハズだ。…それは考え過ぎか?

 砂時計を手渡して意味ありげに語った言葉、厭世の世捨て人、きんもくせい…全部、このティティスの滅亡に関係があったんだ。
 おそらく、王女の肖像画は、あの画工のセレが描いた物だ。
 そして、この部屋から肖像画を持ち出した者は賊なんかじゃない。描いた本人、セレだ。そうに違いない。

 詩に意味があるとすりゃ、肖像画は砂時計の反対側、この部屋とは全く逆の位置、右の建物の一階だろう。

 自分なりに整理し、納得しながら部屋を出た。
 部屋を出て左を見遣ると、小さな窓から差し込む日だまりでアルはヒザをかかえて丸まり、ボンヤリ待ちぼうけていた。
 俺を見つけるなり立ち上がり、穴の縁まで駆け寄ってきた。しっぽを振って寄ってくる飼い犬を連想してしまっておかしかった。

「あれっ?絵ェは?」

「なかった」
 穴の縁まで戻りながら、そう答える。

「なかった〜??なかったらアカンやんか!どないすんねん。あきらめるんか」

「いや、場所が違った」

「えーっ!!場所ちゃうんかいな!って、誰が間違ってん?俺、違うで。お前かいな」

「違う。砂時計だ」

「砂時計?ああ、砂時計さんね〜…って、何やねん、ソレ!誰やねん」
 それには答えず、来た時と同じようにして距離の伸びた穴を跳び越えて戻った。




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