クェトル&エアリアル『肖像の鳩』#6

(6)

 右の棟、一階の真ん中の部屋の前へ着いた。

 大きな木の扉の取っ手に手をかける。鍵はかかっていない。軽い感触とともに扉は開いた。
 だが、屋内を見て愕然とした。左の棟の部屋と同じく、がらんとした廃屋そのものの荒れ方をしている。
 予想は外れたか。やはり、ない物はないのか。それに、セレはティティスとは関係がなかったのか…。

「なぁ、鏡、一枚だけ残っとるわ。何か、きしょいなぁ。呪われとったりして、コレ!」
 アルが部屋の右、ちょうど開けた戸の陰になっているほうの壁を指差して言った。そこには古ぼけた姿見があった。たしかに、こんな廃墟で鏡が一枚だけってのは何だか気味が悪いな。
 縁の飾りも外れてしまい、鏡自体の角が露出している。ヒビこそないが、砂ぼこりに薄汚れている。
 金銭的価値がなさそうだからか、好んで持ってゆく者もなく、こうして鏡の部分だけが忘れられて残っているのだろう。

「なぁ…!ちょっと!そんなん近づきなや!うわっ、ってゆうて、化けモン出てきて鏡に引き込まれても知らんで〜」
 俺は無意識に鏡に歩み寄っていたようだ。

「こんな鏡、真夜中に見たら、自分の死ぬ時の顔とか見れたりすんねんで〜。ヤバ気味やし、怖いから見んとき!」
 アルは顔をしかめて自分の顔の前で強く手を振りながら恐ろしそうに言っている。いったい何の話なんだ?お前は変な本の読み過ぎだろ。

 鏡の前に立つ。俺が目を吊り上げたキツい表情をして、鏡の中から俺をにらんでいる。死相こそ映ってはいないが、親父によく似た冷たくて厳しい顔をしている。イヤだな。

 鏡か…。
 『鏡の中の私も…砂つぶのごとく少しずつ少しずつ、時という風に削り取られ…』

 砂の行き着く先は…鏡の中だ。

 俺は鏡を両手で支え、そっと横へとすべらせた。

「こらぁッ!何しよんねやッ!恐ろしいことすんなよ!…の、呪いが〜ぁ!!」
 アルが変な声で叫んだ。うるさい野郎だ。

 ジリッと鏡と床とがすれる感触が手に伝わる。割れないように気遣っているからなのか、意外に重い。

「ありゃ〜、壁、穴、空いとるやん」
 鏡を退けたあとには鏡とほぼ同じ大きさの闇が口を開けていた。

 中は真っ暗だ。おそらく窓のない隠し部屋か何かなんだろう。
 ランプを取り出して火をともす。

「もしかして、入るん…?」
 アルの言葉に当たり前にうなずき返した。
 アルは何やらブツブツひとりごとを言いながら半分泣きべそをかき、しぶしぶ同じようにする。

 ランプを片手に中へと踏み出す。すると、なぜか、きんもくせいのにおいが強くなった。

 部屋の中に調度品が並んでいるのが揺れる灯りに照らし出された。棚、花立て、椅子、机。物に圧迫されるように狭い部屋だ。

 腕を伸ばし、左へ右へと灯りを向ける。光がなめるように動き、影が長くなったり縮んだりした。
 いくつもの花立てがある。それには、きんもくせいの束が生けられている。不気味だ。こんな部屋に誰が花を?誰かいるのか?

 正面の壁には堂々と紋章がかかげられている。ティティスの紋章『貴鳩の紋』だ。両翼を力いっぱい羽ばたかせ、鳩特有の胸を張り出して翔び立とうとする堂鳩の姿をかたどった物だ。
 そういや、この部屋へ来るまで、城下街でも城でも、一つも国章を見た記憶がない。敗れた国の紋など、ことごとく勝者が取り去ってしまうからだろうか。

「あっ!あれやろ」
 俺にしがみついたアルが大声で言い、貴鳩の紋章の右方向を指差す。
 見間違えはしない。そこには略図のとおりの肖像画がかけられていた。夢のようで、逆に目を疑ってしまう。

 自然と顔を見合わせてうなずき合う。言葉にしなくても自然に、その役目は俺にゆだねられた。
 ゆっくりと歩み寄る。

 その時、異様な気配を感じた。それは、気配というより殺気と呼んだほうがイイか。
 右うしろの気配のする方向を振り返り、灯りを向ける。そこには、信じられないものがいた。
 何だ、何て表現すりゃイイんだ。太い蛇みたいな身体…その赤黒く毒々しい模様の腹には虫のような複数の足がうごめいている。その身体は人間よりも一回り大きく見える。

 何よりも奇異なのはその頭だ。長くて黒い、振り乱した毛様の物がまとわりついている顔は、まるで人間だ。だけど、人間の顔にしちゃ口が裂け、とがった歯が露出して灯光にぬめりと光っている。それが椅子に座って俺のほうを窺っていた。

 まずその姿の異様さに血の気が引き、背筋に冷たいものが走った。見たこともないような生き物だった。化け物としか言いようがない。

 なぜこんな生き物がいるんだ…いったい何なんだ?。
 なぜ、こんな化け物が花を生けたりして、調度に囲まれてこの部屋に隠れ住んでんだ?

 …いや、そんなことはイイ。とにかく化け物がおとなしくしている間に肖像画を取りゃイイんだ。

 と、肖像画に手をかけようとすると、その化け物が牙をむいて襲いかかってきた。反射的にうしろへと退き、同時に鯉口をきって化け物と対峙する。…殺らなきゃ殺られるか?

 ランプを高くかかげる。護身刀を左手だけで正眼に構え、間合いをとる。揺れ動く光と影の中で、化け物の眼窩にはまった石のような両眼が俺を捕えている。

「アカン!斬ったらイカン!」
 アルが意外なことを叫んで俺の左腕に飛びついてきた。

「何言ってんだ」

「アカン!あんなに哀しそうな目ェしてるやん!絵ェ取られるから怒ってんのやろ!」
 お前は、いったいどういう感性をしてんだ?哀しそうも何も、俺には不気味な化け物にしか映らないぞ。今も、ドロリとにごった、怨みのこもる白眼でこっちを見ているじゃないか。

「そんなん、傷つけたらかわいそうや!」
 アルは強く首を横に振り、どこから出してるんだと思うくらいの力で、身動きできないほど強く俺の腕を抱きかかえる。泣き出しそうな顔で懇願するように俺を見上げている。

 どうして化け物をかばうんだ?殺られてもイイってのか?…いつも臆病なくせに、どういう風の吹き回しだ。ワケが分からない。

 化け物を見据えながらアルの顔をチラリと横目で見る。いつもの冗談なんかじゃなく、珍しく真面目そのものの顔をしている。まっすぐに見つめる目は頼み込むように真剣で、すがりつくように懸命だ。

 何だか分からないが、お前がそう言うのなら仕方がない。できるかぎり傷つけずにおこう。

「分かった。できるだけそうする。俺が囮になるから、お前が絵を取れ」
 化け物を見据えながらそう言うと、アルが嬉しそうな雰囲気で大きくうなずくのが視界の端に入った。

 絵を取るアルから化け物を遠ざけるために、部屋の反対側へゆっくりと移動する。しめたもんで、化け物は完全に、俺に気を取られている。というより、標的は俺だ。

 アルはランプを調度の上へと静かに置き、そっと壁から絵を取る。そしてランプを再び片手に、絵を小脇にかかえて引きずるようにして脱兎のごとく横っ跳びに外へと飛び出した。感心するほど逃げ足だけは速い。

 それを見届け、ホッとする。だけど、よく考えりゃ俺は安心していられない。
 突然、化け物は太い胴体をしならせ、全身をバネにして力まかせに喰らいついてきた。間一髪、何とかよけたが、袖口を鋭い歯牙に食いちぎられた。

 約束だ。化け物に刃向かわないようにギリギリのところで振りきり、鏡を退けた入口から外へと飛び出した。
 開け放された戸から廊下へ出る。刀身を鞘へと収め、すかさず扉を固く閉めた。

 その様子をアルが、絵を大切そうにかかえたまま固唾を飲んで見ていた。
 扉の向こうへ耳を澄ますが、どうやら化け物が追ってくる気配はないようだ。

 大きく安堵のため息をつきながら高い小窓を見遣ると、さっきのことは夢か幻だったみたいに思えた。そこには絵のように切り取られた青空があり、平穏な時が止まっていた。


 中庭へ出ると静けさの中、どこからともなく小鳥のさえずりが聞こえてきた。ちょうど木陰に差しかかった所で立ち止まり、アルのほうを振り返って片手を差し出す。

 アルは一瞬おくれて理解し、肖像画を両手で差し出してきた。受け取って裏を向ける。なるほど、あの壁にはこれが移っていたのか。木枠には、ぐるりと赤い文字が書かれていた。セレの詩だ。

「それ何?」
 覗き込んでアルが疑問を口にしたが、説明するのも何となくわずらわしくて黙っていた。

 絵を表へと返し、すぐそばの木の根本に立てかける。 略図のとおりだ。中央には色白で直毛の幼女。涼しげな切れ長の目をしている。元気そうだが、なかなか清楚な顔立ちだ。

 王女の左うしろの額の中には、国王なのだろう、ヒゲを生やした威厳のある男が描かれている。美化されているのかも知れないが、目鼻立ちがキリッとしていて立派な人物だ。

 絵を逆さに置いてみる。なるほど、本当に王女の服には巧く陰影を使って鳩が描かれている。

 目の前には鳩が、肖像の鳩が、優しいきんもくせいの香りに包まれていた。






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