クェトル&エアリアル『血の記憶』#7

(7)


モントと別れ、そのまま村へ入らずにさびれた街道へと抜けることのできる道を歩いていた。

親切なことに、俺たちの荷物はモントがコッソリと村外れまで持ち出してくれていた。俺たちが村へ入れば村人が生贄の逃亡を許さないだろう。


空はまだ明けきらない。まぶたが重い…と言っても眠いからじゃない。蚊のお陰だ。腫れたまぶたじゃ視界はふだんの半分しかない。重いわけだ。

「スゴい顔やで。めっちゃきしょい。明るなってきたから、よう見えるわ」

アルは笑うが、お前も人のことが言えないヒドい顔だぞ。

それよりも、早くヤム村から遠ざかりたい。思い出しただけでゾッとする。真っ平ごめんだ。

「せやけど、あのモントさんの言うてはった話、お前のお父さんのことやったん?ちゃうん?」

肯定も否定もしたくなくてアルの問いに俺は黙ってヒジを掻いて頬を掻いてあごを掻いていた。


そうしてしばらく歩いていた。

ふと見ると、アルの頬に蚊が一匹食いついていた。まだ本人は気づいていない。

俺は、そっと狙いを定めて平手でブッ叩いた。ついつい憎しみのあまり、力が入り過ぎたか。

「イタっ!何すんねんッ!俺、まだ何もしてへんやんか!」
アルは驚いて頬を押さえ、目を三角にして俺を見上げた。お前が憎いんじゃない、蚊が憎いんだ。

蚊のついた手の平をアルの目の前に示してやった。

「な〜んや。蚊ぁかいな。てっきり俺に何か恨みでもあるんかと思たわいな」
笑うアルの頬には、くっきりと指の型がついている。さすがに少し悪い気がした。

…と、その時、道の向こうからやって来た老人と目が合い、その場は凍りついた。

「あ、あんたがた、もしかして、蚊を…?」

ヤムの村民だろう。カゴを背負った老人は年に合わない素早さでこちらへ走り寄ってきた。思わず証拠の手を下ろして固くにぎりしめた。

「いえ…そんなん、蚊ぁとちゃいますよ!コイツとケンカしとるんです!ムカつくなぁ、このヤロ〜」
アルは口ではそう言いながら、助けを求める顔で俺を見ている。

「だったら、そのにぎった手を見せなさい!」
老人は剣幕で俺に詰め寄ってきた。

「爺ちゃん、どした?」

老人が振り返った向こうから、筋肉隆々の強そうな野郎が三人、後れて坂を上がってきた。

捕まる! 瞬時にあの恐ろしい生贄の一夜が脳裏に浮かんだ。逃げるが勝ちだ!


俺はアルに逃げるように目配せし、老人の脇をすり抜けて走り出す。続けて野郎たちの横も走り抜けた。一瞬後れて気づいたアルも俺を追って走り出したようだ。

振り返ると、追いかけようとして足をからませ転倒している老人が見えた。

何だか少し悪い気もしたが、それどころじゃあない。こちらも命懸けだ。強そうな野郎が追いかけてくる!



これでもかというくらい遠くへ、ヤムから離れるため、執拗に走り続けた。

だが、駆けながら心に引っかかっていることがあった。


…今さっきつぶした蚊、まさかあの婆さんの夫じゃなかっただろうな…。



『血の記憶』おわり

《第6話へ、つづく》





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