クェトル&エアリアル『八つの秘宝』#4

《4.謎の空間》



 何が起きたのかと理解する間もなく、ヒリヒリするような衝撃と、大きな水音が聞こえるのとは同時だった。それが水の中だと解るのには、そう時間はかからなかった。

 とっさのことでも身体は本能的に岸を求めていた。それぞれが泳ぎ着き、服の裾をしぼっている。

 …しかし、よく見ると岸辺にジェンスの野郎だけがいない。

「助けて〜、僕は泳げないんだよぅ」
 情けない声を上げながら、一人でバチャバチャと溺れていた。

 こんな奴、そのまま放置してやろうかとも思ったが、人間として最低限の人道は踏まなくてはならない。危ないところで思いとどまった。

 仕方なく俺は荷物を下ろし、水へと飛び込んだ。

「こら。しがみつくな」
 近づくと、ジェンスは必死にしがみついてきた。ただでさえ濡れた服がまとわりついて重いというのに、しがみつかれると泳ぎにくいだろ。

 やっとのことでジェンスの首根っこをつかんで岸へと引き上げた。

「ありがとう。はぁ〜、死ぬかと思ったよ〜、僕、泳げないのに」
 ジェンスは長い髪が顔に貼りつき、頭の前後の見分けがつかない。本人には悪いが、ものすごく滑稽だな。

 その様は哀れで、ハッキリ言って気持ちが悪い。いつも本人が誇っている美しさなどみじんもない。

 髪を懸命に整えているジェンスが視界に入ってうっとうしい。そんなに長い髪をしているから悪いんだろ。


 それを尻目に、着たままの服を意味もなくしぼりながら何気なく上を見た。そこには高さのよく判らない暗い空間があった。

 その闇の中にポツポツといくつかの光がかすかに見えている。抜けた床の穴から上の階の灯りが漏れているのだろう。どうやら脆くなっていた床が崩れて、その穴からここへ落ちてきたらしい。

 しかし、落ちた場所が深い水で良かった。地面ならば危うく死んでいたところだ。

「危な〜。あんなとこから落ちて、ようケガせんかったことやなぁ」
 アルがかたわらで上を見ながらつぶやいた。同じことを考えていたらしい。


 周りを見回す。そんなに広い空間じゃなさそうだ。ざっと十メートル四方くらいか。その面積の半分くらいをさっき落ちた水溜まりが占領している。壁は削ったような岩肌だ。

 辺りが変に明るいと思やぁ、水溜まり以外の三方の壁に沿うようにして、大小さまざまなろうそくが並んでいた。何千何万、おびただしい数の白いろうそくが互いに溶け合い、そのひとつひとつに灯がともっている。

 ちょうど、往来から路の脇へ退けて積み上げた雪に似ている。それに無数の灯を乗せたような感じだ。

 それは幻想的だが、どこか死を連想させて薄気味悪い。

 目をこらすと、水溜まりの向こうにどこかへ通じていそうな深い闇が見えた。

「あっちに行けそうだヨ」
 ボンが言いながらその方向を指差した。

 幸い、水の中を通らなくても水溜まりを迂回して奥の通路へたどり着けた。

 通路には灯りはない。ほとんど手探りで進むと、ずっと奥のほうに小さな明かりが見えてきた。

 通路を抜けると、部屋の奥に小柄な人間の背中が見えた。そいつの持つ灯りが遠くから見えていたようだ。

 その人物は俺たちの気配に気づいて振り返った。

「ひえ〜ッ!」
 振り返った途端、持っていた灯りを落とさんばかりに驚いて悲鳴を上げた。それは、腰も曲がった婆さんだった。

「…あんれま〜、あんたら、人間かい…?」
 一瞬は驚いたものの、すぐに疑問と興味に変わったらしく、手にある燭台をかかげて身を乗り出し、目を見開いて俺たちをまじまじと見た。上から下、下から上へと執拗に観察している。

「びしょびしょで大変そうだねぇ。まあ、とりあえずウチへおいで」
 婆さんは、好きなだけジロジロと見てから、やっと人間だと信じたらしく、ついてこいという態度で俺たちに背中を向けて歩き出した。

 ついてゆくと、真っすぐな長い廊下が続いていた。

 上下左右、赤いレンガで舗装されて極端な凹凸はないが、何しろ天井が低い。俺とジェンスは背をかがめて歩かなけりゃならない高さだ。油断をしていると頭を打つ。

 ランプも、すっかり水浸しになってしまい、今は婆さんの燭台だけが頼りだ。しかし、うしろを気遣う様子のない婆さんの歩みは速い。

 好きな速度で先々と前をゆくものだから、ついて行くのがやっとだ。こんなことなら、さっきの不気味なろうそくを取っておけば良かったか。

 だけど、長いなんてもんじゃないぞ!どこまで続いてんだ。まだ終わらないのか?身をかがめて歩くのは疲れる。

「も〜!お婆ちゃん!どこまで続いてるんですか〜」
 アルが俺の横で真っ先にネを上げた。どうでもイイが、なんでコイツは俺の服をつかんで歩くのだろうか?

「ほほ。もう少しよ。若いのに、しゃんとしんさい」
 婆さんは笑って背中で答えた。

 距離が苦痛というよか、脇道もなくて完全な一本道だから、あまりにも代わり映えのしない景色に嫌気がさす。時間にして一時間ほどか。おそらく軽く城下街ひとつ分くらいは歩いたぞ。

 しかも、閉じられた狭い空間に圧迫され続けるのは、あまりイイ気がしないものだ。


 そうこうしている内に、やっと単調な路に変化があった。目の前に現れたのは、味気ない鉄格子の門みたいな扉だ。道幅いっぱいに立ちふさがっている。その向こうには昇りの階段が見えている。

 婆さんは両開きの鉄格子のかんぬきを外した。かんぬきに鍵はかかっていない。

 ざっと二百段か。あいかわらず婆さんは、婆さんのくせに歩みが速い。

 階段を昇りきると、今度は鉄でできた頑丈そうな扉が路をふさいでいるのが見えた。

 婆さんは「よっこらしょ」と言いながら、重そうな両開きの戸の片側だけを押し開けた。




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