(2)
「この荷物、バングレさんの所へ頼むぞ」
オヤジさんが木箱に山盛りの食料品を手渡してきた。重い! 今日は何が入ってんだ??
「大丈夫?」
オヤジさんの子どものエマが俺の顔を心配そうに見た。七歳か八歳の女の子で、いつもオヤジさんの手伝いをしている。優しくてイイ子だ。赤いスカートに新しく白い前掛けをしている。
「うん。大丈夫」
「あたしも一緒に行ったほうがイぃイ?」
「イイよ。大丈夫だから。じゃ、オヤジさん、行ってくる」
「おう」
オヤジさんは短く返事をした。
両手がふさがってるから俺は足で表の引き戸を開けた。こんな行儀の悪いとこを俺の父さんに見られりゃ、こっぴどく叱られるとこだ。
なぜかだんだんと重さが増えてゆく荷物にヨロヨロしながら俺はオヤジさんの店を離れた。
バングレさんの所は料理屋だ。オヤジさんの店のお得意さんで、いつも食材を届けている。場所はそう遠くない。中央広場の市から五十メートルくらいの所で、オヤジさんの店からも近い。
あまりの重さによろけて怖そうなオッサンに荷物の箱の角が当たった。
「気をつけろぃ!」
俺はオッサンに軽く頭を下げてやり過ごして、少しすえたにおいのする薄暗い路地裏へ逃げ込む。もう手が限界だ!箱の角が手に刺さって痛いんだよなぁ。
嬉しいことにバングレさんの店の裏口は開いている。
「こんにちは。頼まれてたモン持って来たよ」
「ああ。いつもご苦労だな。そこに置いといてくれ。代金はそこの机んとこだ」
やっとの思いで運んできた荷物をほとんど落とすように置く。タマゴが入っていたら怒られるな。いや、もしかしたら入っていたかも。俺は知らないぞ。
「ちょっと、アンタ、お代は?」
言われたとおりの机に代金が置いてあるのを勝手に受け取っていると、バングレさんの声が聞こえた。お代とか何とか言うから、てっきり俺が言われたのかと思って目線を上げると、客席に座ってる子どもか大人か判らない顔のキレイな長い銀髪のヤツがバングレさんに声をかけられてるのが見えた。昼時と晩時の間だから客はそいつの他にはいない。
あれ?よく見りゃ、あの広場の幽霊じゃないか!間違いないぞ。
「オダイですか?それは何でしょう?」
「カネだよカネ。食ったならカネを払うのが世の常識だろうが」
「カネ、ですか?何です?それは」
とぼけているのか、キレイで上品そうな顔してコイツは堂々と食い逃げしようというのか?
ぜんぜん反省するふうもなく言っている。ふてぇ奴なのか、ホントにカネを知らないのか?分からないが、ともかくバングレさんを怒らせないほうがイイ。
バングレさん、怖いんだよな。この間、食い逃げしようとしたヤツなんて死ぬほど殴り飛ばされてたぞ。その時は頑丈そうなオッサンだったから別に良かったけど、いくら何でもこんなキレイなヤツが殴り飛ばされるのはちょっとかわいそうな気がする。それに、細くて壊れちまいそうだ。
「ふざけたガキだ!」
バングレさんが白い幽霊の胸ぐらをひっつかんだ。
「バングレさん、待ってくれ。ホントにカネを持ってなさそうだから、俺が払ってやるから」
「何だ、お前のダチ公か?」
「そうだよ」
もちろん友達なわけがない。俺はオヤジさんに渡さなきゃなんないカネの中からバングレさんに代金を支払った。偉そうなことは言えない、俺自身も実はカネはないから。
「カネもねえのに飲み食いすんじゃねぇよ、ったく、バカヤロウめ」
バングレさんはブツブツ言いながら俺の持って来た荷物を触り始めた。
「じゃ、また」
俺は幽霊の腕をひっつかんで裏口のほうへと目配せして、逃げるように勝手口から出た。そいつをつかんだまま路地の出口まで一気に出る。素直に俺に従っている。
「おい、お前!いったい何なんだ?どこのヤツだ。あの人、怒らせちゃあ怖いんだぞ。それに、何で食い逃げなんてすんだよ」
「クイニゲ?何だい、それは」
「まだシラをきるつもりかよ」
「ただ僕は食事をしただけなんだけど、街は物騒なんだね」
「ブッソーも何も、物を食ったのならカネを払うのが世の常識だろうが」
バングレさんと同じ口調になってしまって、ちょっとおかしかった。
「さっきのかたも言っていたけど、カネって何だい?」
「馬鹿!いい加減にしろよ。からかってやがんのか?カネはカネだよ。物を買う時なんかに物と換えるヤツだよ。丸くて平たい金物でできた」
俺はポケットから、さっきの残りのカネの一枚を出して自分の手の平に乗せて見せた。
「へぇ、そうなんだ。僕、初めて見たよ。話でしか知らなかったけど分かったよ、市井では食事をしてもカネという物が要るんだね」
「…お前、どういう生活してんだよ」
改めてそいつを見る。
男か女か判らないけど、僕って言ってるから、たぶん男なんだろう。
歳は俺より上らしくて、背は俺より頭一つ分近く高い。
広場で見た時みたいに真っ白の服を着ている。服や顔に汚れ一つない。
人形屋の一番イイところに飾られてる高級な人形みたいに顔も服も整っている。
襟元には宝石のついた金の飾りがある。指輪も二つほどしている。
「それはニセモノなのか?」
俺が飾りを指差して言うと、そいつはまばたきして不思議そうに眉を上げた。
「ニセモノ?偽の物、ということかい?それはどんな物なのか僕にはよく分からないけど、偽の物じゃないとするならこれは反対の、本物ということになるのかな。でも、比べる対象がない場合、偽の物が本物となることも有り得るのかも知れないけどね」
言ってる意味が分からない!
「カネがないっつーなら、ソレで払やぁ食い逃げになんないだろ。お前、変なヤツだなぁ、バッカじゃねーの。で、どこに住んでんだよ。言えよ」
「それはヒミツだよ」
そいつは目を細めてニッコリ笑った。
馬鹿、ヒミツ、じゃねぇよ。
「じゃあ、名前は?名前くらいは言えるだろ」
「僕の名前はジェンス、っていうんだよ。君は何ていう名前なんだい?」
「クェトルだ。何歳だよ、お前」
「十四だよ。君はいくつかな」
「十歳」
「うん。これから仲良くしてね。じゃあ、また会った時はよろしくね」
何をよろしくだ?こんなアヤシイ奴、もう会いたくないと思った。 ⇒
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「この荷物、バングレさんの所へ頼むぞ」
オヤジさんが木箱に山盛りの食料品を手渡してきた。重い! 今日は何が入ってんだ??
「大丈夫?」
オヤジさんの子どものエマが俺の顔を心配そうに見た。七歳か八歳の女の子で、いつもオヤジさんの手伝いをしている。優しくてイイ子だ。赤いスカートに新しく白い前掛けをしている。
「うん。大丈夫」
「あたしも一緒に行ったほうがイぃイ?」
「イイよ。大丈夫だから。じゃ、オヤジさん、行ってくる」
「おう」
オヤジさんは短く返事をした。
両手がふさがってるから俺は足で表の引き戸を開けた。こんな行儀の悪いとこを俺の父さんに見られりゃ、こっぴどく叱られるとこだ。
なぜかだんだんと重さが増えてゆく荷物にヨロヨロしながら俺はオヤジさんの店を離れた。
バングレさんの所は料理屋だ。オヤジさんの店のお得意さんで、いつも食材を届けている。場所はそう遠くない。中央広場の市から五十メートルくらいの所で、オヤジさんの店からも近い。
あまりの重さによろけて怖そうなオッサンに荷物の箱の角が当たった。
「気をつけろぃ!」
俺はオッサンに軽く頭を下げてやり過ごして、少しすえたにおいのする薄暗い路地裏へ逃げ込む。もう手が限界だ!箱の角が手に刺さって痛いんだよなぁ。
嬉しいことにバングレさんの店の裏口は開いている。
「こんにちは。頼まれてたモン持って来たよ」
「ああ。いつもご苦労だな。そこに置いといてくれ。代金はそこの机んとこだ」
やっとの思いで運んできた荷物をほとんど落とすように置く。タマゴが入っていたら怒られるな。いや、もしかしたら入っていたかも。俺は知らないぞ。
「ちょっと、アンタ、お代は?」
言われたとおりの机に代金が置いてあるのを勝手に受け取っていると、バングレさんの声が聞こえた。お代とか何とか言うから、てっきり俺が言われたのかと思って目線を上げると、客席に座ってる子どもか大人か判らない顔のキレイな長い銀髪のヤツがバングレさんに声をかけられてるのが見えた。昼時と晩時の間だから客はそいつの他にはいない。
あれ?よく見りゃ、あの広場の幽霊じゃないか!間違いないぞ。
「オダイですか?それは何でしょう?」
「カネだよカネ。食ったならカネを払うのが世の常識だろうが」
「カネ、ですか?何です?それは」
とぼけているのか、キレイで上品そうな顔してコイツは堂々と食い逃げしようというのか?
ぜんぜん反省するふうもなく言っている。ふてぇ奴なのか、ホントにカネを知らないのか?分からないが、ともかくバングレさんを怒らせないほうがイイ。
バングレさん、怖いんだよな。この間、食い逃げしようとしたヤツなんて死ぬほど殴り飛ばされてたぞ。その時は頑丈そうなオッサンだったから別に良かったけど、いくら何でもこんなキレイなヤツが殴り飛ばされるのはちょっとかわいそうな気がする。それに、細くて壊れちまいそうだ。
「ふざけたガキだ!」
バングレさんが白い幽霊の胸ぐらをひっつかんだ。
「バングレさん、待ってくれ。ホントにカネを持ってなさそうだから、俺が払ってやるから」
「何だ、お前のダチ公か?」
「そうだよ」
もちろん友達なわけがない。俺はオヤジさんに渡さなきゃなんないカネの中からバングレさんに代金を支払った。偉そうなことは言えない、俺自身も実はカネはないから。
「カネもねえのに飲み食いすんじゃねぇよ、ったく、バカヤロウめ」
バングレさんはブツブツ言いながら俺の持って来た荷物を触り始めた。
「じゃ、また」
俺は幽霊の腕をひっつかんで裏口のほうへと目配せして、逃げるように勝手口から出た。そいつをつかんだまま路地の出口まで一気に出る。素直に俺に従っている。
「おい、お前!いったい何なんだ?どこのヤツだ。あの人、怒らせちゃあ怖いんだぞ。それに、何で食い逃げなんてすんだよ」
「クイニゲ?何だい、それは」
「まだシラをきるつもりかよ」
「ただ僕は食事をしただけなんだけど、街は物騒なんだね」
「ブッソーも何も、物を食ったのならカネを払うのが世の常識だろうが」
バングレさんと同じ口調になってしまって、ちょっとおかしかった。
「さっきのかたも言っていたけど、カネって何だい?」
「馬鹿!いい加減にしろよ。からかってやがんのか?カネはカネだよ。物を買う時なんかに物と換えるヤツだよ。丸くて平たい金物でできた」
俺はポケットから、さっきの残りのカネの一枚を出して自分の手の平に乗せて見せた。
「へぇ、そうなんだ。僕、初めて見たよ。話でしか知らなかったけど分かったよ、市井では食事をしてもカネという物が要るんだね」
「…お前、どういう生活してんだよ」
改めてそいつを見る。
男か女か判らないけど、僕って言ってるから、たぶん男なんだろう。
歳は俺より上らしくて、背は俺より頭一つ分近く高い。
広場で見た時みたいに真っ白の服を着ている。服や顔に汚れ一つない。
人形屋の一番イイところに飾られてる高級な人形みたいに顔も服も整っている。
襟元には宝石のついた金の飾りがある。指輪も二つほどしている。
「それはニセモノなのか?」
俺が飾りを指差して言うと、そいつはまばたきして不思議そうに眉を上げた。
「ニセモノ?偽の物、ということかい?それはどんな物なのか僕にはよく分からないけど、偽の物じゃないとするならこれは反対の、本物ということになるのかな。でも、比べる対象がない場合、偽の物が本物となることも有り得るのかも知れないけどね」
言ってる意味が分からない!
「カネがないっつーなら、ソレで払やぁ食い逃げになんないだろ。お前、変なヤツだなぁ、バッカじゃねーの。で、どこに住んでんだよ。言えよ」
「それはヒミツだよ」
そいつは目を細めてニッコリ笑った。
馬鹿、ヒミツ、じゃねぇよ。
「じゃあ、名前は?名前くらいは言えるだろ」
「僕の名前はジェンス、っていうんだよ。君は何ていう名前なんだい?」
「クェトルだ。何歳だよ、お前」
「十四だよ。君はいくつかな」
「十歳」
「うん。これから仲良くしてね。じゃあ、また会った時はよろしくね」
何をよろしくだ?こんなアヤシイ奴、もう会いたくないと思った。 ⇒
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