クェトル&エアリアル『路傍の宝玉』#3

(3)


「へぇ!変な子だなぁ。住んでるとこはヒミツってさ。そういうのって、もののけだったりするんだぞ〜」

 じっちゃんが俺の顔を指差して言った。

 俺は次に言いたいことがあって噛む途中の口の中のメシを急いで無理やりに飲み込む。でも、じっちゃん、今日は何だかメシが硬いんだけど…。

「そうだよ、半分当たってるかも。あのね、前に広場で俺が気になって追いかけてった幽霊みたいなヤツがいたろ? そいつだったんだよ、食い逃げのヤツが」

「はははっ、そりゃあエラく実体じみた幽霊もあったもんだな」
 じっちゃんは笑いながら煮物に箸をつける。ちょっと今日の煮物は旨い、っつかマシだ。

「そうだよ。それがね、服も毛も肌も真っ白で、上品で気味悪いくらいキレイな顔なんだよ。何つーか、この世のものとは思えないっていうのかな。それよりじっちゃん、メシ硬いよ」

「スマンな。今日は水加減を間違っちまってな。ガマンして食いねぇ」

「うん…」
 仕方なく硬いメシをまた噛む。スゴいぞ、このメシ粒。箸からコロコロ落ちるよ…。コゲて真っ黒なのもあるし。
 何とか全部平らげて箸を置く。

「ごちそうさま」

「あ、そうそう、それと言い忘れてた。昨日、夜中に帰ってきてた父ちゃんからお前さんに伝言があったんだ。あさって、お城の用事について来な、って言ってたよ」

「え?父さん、帰ってたの」

「おう、そうだよ。お前さんは夢ん中だった時刻にさ。それで朝早くに出かけたよ。今日はお前さんが寝るか寝ないかのころに帰ってこれるんじゃないかな」
 じっちゃんは食器をかたしながら言った。

 そうだなぁ、最近、父さんに会えてない。いつも忙しくて家へ帰ってこないからだ。帰ってきても夜遅くだったり、家にいても書斎にこもって仕事をしてて、俺なんて寄りつけない。
 忙しそうだから遊んでほしいとは言わないけど、父さんとゆっくり話したいことも話せなくて、ちょっと寂しい。

 父さんは帰ってこないし、母さんは死んでしまってるし、兄ちゃんがいたけど俺より九歳も歳上で中央帝国へ行っちゃってるから、俺の家族はじっちゃんだけみたいなもんだ。

 そうだ、俺のヒザの上に丸まってる黒いのもいたか!
「お前を忘れてたよ」
 俺は目を細めてヒザの上のサンを見た。目が合うとサンは「にゃあ」と言って同じように目を糸みたいに細くした。

 表戸の開く音がした。

「父ちゃんが帰ってきたみたいだよ」
 俺はじっちゃんの言葉にうなずいて玄関に通じる戸を開けた。

 そこには、いつもの黒い軍服を着た父さんがいた。キレイに整えた髪の香油のにおいがする。

「父さん、おかえり」

「ああ。ただいま」
 そう応えながら、佩いているサーベルを外している。立派な剣だ。

「まだ起きていたのか」

「まだ夕方だよ。いくら俺が子どもでも、まだ寝ないよ」

「そうか」
 父さんは上がり口に座り、サーベルを横に置いてブーツを脱いでいる。

「おかえり。ずいぶん早かったじゃねぇか」

「予定より早く済みましてね」

「そうかい。メシはどうした?」

「済んでいます。父上、茶を一杯いただけませんか」

「ん?茶か。分かった、待ってな。でもな、その、家ん中で敬語で話すのはやめてくれって言ってんだろ。他人行儀で気持ちが悪いぞ。ワシはお前をそんな子に育てた覚えはない。どうしてお前はそんなにカタブツなんだ」

「悪いことですか」

「うん、悪いと言えば悪いし、イイと言えないこともないなぁ……あ〜、もうイイよ!お前の好きにしな」
 じっちゃんが自慢のフサフサの頭をくしゃくしゃかきながら奥へと引っ込んだ。

 父さんとじっちゃんは親子だけど、顔はともかく性格はぜんぜん似てない。
 じっちゃんは陽気で言うこともやることも若いから歳より若く見える。けど、逆に父さんは落ち着いてて厳しい感じだからか歳より上に見える。
 それに、じっちゃんと父さんは歳も十七しか離れてないから、二人は兄弟みたいだ。

 父さんは服の襟元をゆるめて食卓のイスへ座った。俺もその真向かいのイスを引いて座る。
 目の前のテーブルの上にさっきの剣が置いてある。その向こうに父さんが見える。厳しい顔をしていて、機嫌がイイのか怒ってるのか、俺には分からない。

「父さん、あさって、俺もお城へ行くの?」

「不服か」

「ううん、不服じゃないけど。俺は何のために行くのかなって思って。ねぇ、どうして?」

「無駄にはならんだろう。それだけだ」

「うん」
 何だかワケが分からないけど、父さんにはイヤって言えない。

 じっちゃんが戻ってきた。

「はい、茶だ。そうそう、あさっては何しに登城するんだい。こいつもつれてくんだろ」

「つれて行きます」

 お城へはついて行ったことがないけど、父さんについて行って面白かったことはない。俺にすりゃ何だかタイクツなことばかしだ。
 しかもお城なんて、とびっきり礼儀がうるさそうでヤだな。
 それに、やっぱどう考えてもタイクツなのはヤだなぁ……あっ、アルのヤツをつれて行きゃタイクツがしのげるかも。でも、父さんがハイって言ってくれるかな。

「父さん」

「何だ」

「あのね、お城へ行く時に友だち一人つれて行ってもイイ?あ、そいつ、下品なヤツとかじゃないから。移民街の代書屋の坊ちゃんなんだ。ねぇ、イイでしょ?」
 父さんは湯飲みをテーブルへ置いた。叱られるかな。

「遊びに行くのではないぞ」

「うん。おとなしくさせるよ。っつか、俺も賢くしてるからさぁ」

 父さんはテーブルへ置いた湯飲みをもう一度持ってゆっくりと飲んだ。

 時間がスゴく長く感じられた。

「分かった。好きにしろ。その代わり、二人とも言いつけを守るんだぞ」

「うん!分かった。父さん、ありがとう」
 さっそく明日、アルに言わなきゃなんないな。

「さあ、もう寝ろ」

「早いなぁ。父さんは寝ないの?」

「父さんは用事がある」

「うん。でも、俺ももうちょっと起きてるから」

「あ、そうそう」
 じっちゃんが言葉を挟んだ。

「風呂も焚いたから、たまには水入らずでお前ら親子で入っちゃどうだ。水を入れなけりゃあ熱くて入れんが」
 じっちゃんはそれだけ言って一人で笑いながらまた台所へ戻っていった。

 風呂か。俺はそっと父さんの顔色を窺う。
 父さんも俺のほうを見た。

「一緒に来るか」
 父さんの言葉に俺は何も言わずにうなずき返した。

 父さんはサーベルを持って、つっと立ち上がった。
 居間を奥から出て台所の土間へ下りる。父さんは草履をつっかけた。俺は五、六歩のことだからはだしのまま歩く。
 父さんはそこにいたじっちゃんに剣を渡した。


 台所の奥の風呂場へ着くと、素っ裸になって俺は先に風呂場へ飛び込んだ。

 つかる所は熱そうな湯がいっぱいで、埋めなきゃつかれそうにない。

 まだ外は明るくて、風呂場は窓からの光と燭台の光で薄明るい。

「父さん、背中流してもイイ?」

「ああ。頼む」

 父さんは俺に背中を向けて腰かけた。

 父さんと風呂なんて久しぶりだった。会えるのだって久しぶりなんだから当たり前か。

 背の高い父さんの背中は大きくて好きだ。俺も父さんみたいに大きくなりたい。

 背中に黒いホクロとかトウガラシのツブみたいな赤い小さいのがあちこちにあるのが薄明るい中でも見える。じっちゃんのほうがもっとたくさんあったような気がする。大人は何でこんなのができるのかな。

 それに、斬られたのか傷あとも少しある。

 石けんをつけた手ぬぐいで、そのツブも傷あとも一緒に力いっぱいゴシゴシやる。

 そんなの取れないんだろうけど、洗い流して消してあげたいような気がした。

「ずいぶんと力が強くなったな」

「そうかな。あのさ、父さん。聞きたかったんだけど、何で騎士になったの?」

「父さんは黒騎士であることを誇りに思っている。時の国主様にお仕えするのが男子たる者の務めだからな」

「うん。でもね、俺は武器なんて持つのもイヤだし、人を傷つけたくないよ」

「何を言うのだ、宝の持ちぐされだな。お前には素質がある。その資質を研け。国内外に並ぶ者のないほどにな」

 素質とか資質とか言われても俺にはよく分からない。

 そんなの、その気にさせるためにおだてて言ってるんじゃないのか…褒めたって何も出ないのに。


 話が途切れた。


 水を混ぜてほど良くした湯船の湯で一回二回、背中を流す。

 何を話せばイイのかな。

 聞きたかったこと、聞いてもイイんだろうか。

「ねぇ…母さんはどんな人だったの?俺、覚えてないんだ。キレイだった?優しかった?」

 前にも何となく聞いてみたことがあったけど、父さんはあまり答えてくれなかった。母さんのことが嫌いだったのだろうか。


 そのまま何も言わずに父さんは頭と身体を洗い、湯につかった。

 俺も仕方なく黙って洗って一緒に湯船に入る。

 湯船の口まできていた湯があふれ出た。

 父さんの肩の骨の所にできたくぼみに湯がたまっている。

 そんなに広い湯船じゃないけど、何だか父さんに触れるのがためらわれて、俺は精一杯、隅に寄ってつかっている。

 何気なく父さんの顔を盗み見る。鼻筋が通っていて、眉毛と目が厳しい。めったに見せない歯が白くてキレイに並んでいるのも俺は知っている。なかなかの男前だと自分の父さんながら俺は自慢気に思う。

 でも、俺には何も言ってくれないから、何を思っているのか分からない。何を聞いても、玉ねぎの皮みたいに表面のとこだけしか語ってくれない。

 母さんのことも、父さん自身のことも。

「熱いから、もう上がるよ」

 俺は湯から出た。

「湯冷めしないようにな」

「うん」

 ホントはもっと一緒にいたいのに、どうして逃げ出してしまったんだろう。



………


「さあて、眠ろうかねぇ」

「じっちゃん、何か話してよ」

「話?寝つきのイイ奴が今日はどうした。あさってのことで眠れないんだろ〜」

「そんなんじゃないけどさ」

「まあイイさ。何の話をしようか。そうだなぁ、ちょうどイイ怪談でもしてやろうか」

「怪談?」

「そうだよ。お城にまつわる話だ」


 次のじっちゃんの声を待った。

「昔な、百年も昔の話なんだが…王様にはお后様と寵姫様がいらっしゃいました」

「チョーキって?」

「なんつーかな、平たく言やぁ嫁さん以外のオンナってとこかな」

「うん…」
 何だか分からないけどイヤな表現だなぁ。

「お后様と寵姫様には、それぞれ王子様がありました。寵姫様の王子様のほうがお兄さんでした。でも、しきたりでお后様の王子様が歳は下でも次の国王になることが決まってました」
 頭がこんがらがりそうな話だなぁ。

「ある日、国王になる王子様が夜眠ろうとしている時…コツコツ、コツコツと石を硬い物で打つような音がしてきました」

 そこでじっちゃんは急に黙った。

 犬の遠吠えが聞こえてきた。

 それから、コンコンと何かを叩くような音。

「…あれ?何の音だ?」と、じっちゃんが言った。

 何の音だ、じゃないよ。じっちゃんが話を盛り上げるためにやってんだろ。分かってるよ。

「じっちゃんがしてんだろ。ぜんぜん怖くないよ、そんなの」
 俺が言うと、じっちゃんは黙っていた。

「はい、おしまい!さて、寝よう」

「えっ?話、途中じゃないの??」

「いや、お前さんはぜんぜん怖がらないから怖い話しても甲斐がないよ。あ〜、アル坊に怖い話してやりたいな、あの子は全身で怖がってくれるから話し甲斐があるね〜」
 思い出し笑いか、じっちゃんは一人でクスクス笑った。

 そりゃあ、アルは起きて話を聞いてる時でも、わざわざ布団を頭からかぶって怖い話を聞くし、そのあとは明るい昼間でも便所について行かされるくらい怖がる。

 まあ、たしかに話し甲斐はあるけどさ。まったく、じっちゃんも人が悪いなぁ。

「おやすみ。灯りを消すぞ」

 そう言ってじっちゃんはすぐに燭台の灯を吹き消した。

 何も見えないくらい真っ暗になった。





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