(2)
何の用だか知らないが、朝っぱらからジェンスの奴が来ている。
じっちゃんが気を遣って茶を出す。
「いえ、お構いなく。たいした用じゃありませんので」
ジェンスはバカ上品に澄ました白猫みたいに座って満面の笑みをじっちゃんに向ける。そりゃそうだ。いつもたいした用じゃないだろ。用事で来たためしがない。
「いやぁ、高貴なおかたに来ていただいて、お茶も出さないわけにはいかんよ」
ジェンスの前の卓に茶を置きながらじっちゃんは片目をつぶる。
じっちゃんはジェンスをただの貴族だと信じてるみたいだけど、本当は国王の息子なんだが…しかも、こうして身分を隠して街へ出現して遊んでやがる、とんでもない不良王子だ。
「何しに来た」
俺が横目で見ながら問うと、ジェンスはニッコリと笑った。
「ごあいさつだなぁ。あいかわらずキツいね、君は。…あ、このお茶、おいしいですね」
ジェンスの言葉にじっちゃんは二つ三つ大きくうなずきながら、その向かいへと座る。
「ところでお前さん。聞こう聞こうと思って、いつも聞きそびれるんだが、お前さんはどこに住んでんだい?北のほうのお屋敷街かい」
「はい。まぁ、北のほうです。でも、屋敷と呼べるかどうか…」
「まあ、ご謙遜を!」
二人は同時に声を立てて笑った。
バカバカしい。そりゃ屋敷じゃないだろ…城だ。
「ちょいと、不躾なことを言うかも知れんが…お前さん、いつ見ても男のくせにキレイだねぇ」
「いえ、それほどでも」
ジェンスは気取って、白髪のような長い銀髪をかき上げる。キザな奴め。
「名高い世界屈指の美男で、中央帝国の皇帝様と並ぶのが、我が国ヴァーバルの王子ジェラルド様ってウワサだが、お前さん、そのジェラルド様に負けてないねぇ。たぶん。いや、お世辞ヌキで!」
負けてるも負けてないも、ずばり本人じゃないか。
じっちゃんは、さらにジェンスの顔をジロジロと見る。
「いや、むしろ、ジェラルド様にそっくりだねぇ。髪の色は違うけど」
じっちゃんは自分のアゴに手をやって首をひねった。
どうやら今回はバレそうだな…。じっちゃんも顔を覚えるのが得意だから、正月か何かの祭りにでも参加していた王子ジェラルドの顔を覚えているのかも知れない。
ジェンスはいつもジェラルドの時は白い地毛を隠すために黒髪のヅラを着けているから、髪の色が違うのは当たっている。
「いえいえ。僕はジェラルド様みたいに美しくなんてありませんよ。たぶん、他人の空似ですよ、他人の」
謙遜してるのか、うぬぼれてるのか分からん奴だ。
「そうだな、そうだよな!似た人は三人いるって言うしな!…いや、五人だったかな」
また二人は同時に笑った。どうやらバレなかったみたいだ…けど、本人じゃなくて俺が心配してどうすんだ!
「まあ、饅頭でもどうぞ」
「いただきます」
じっちゃんはジェンスに饅頭を勧めた。じっちゃんの知り合いからもらった饅頭を俺は朝から食わされていた…まるで餡のかたまりだ。何だってこんな物を大量にもらってくるんだろうか。
俺は甘い物は嫌いだけど、大量にあるから早く平らげないことにゃ三食が饅頭になってしまう…と、そこへジェンスがやって来た。
まあ、饅頭を食ってくれることだけは、この客人に感謝しなくてはならない。
だけども、その大量の甘い物は卓の上の箱の中で嬉しそうに順番を待っていやがる。やっとのことで一つ飲み込んだが、俺は一つでウンザリだ。
「ところで、最近、アル坊の奴を見ねぇが、病気でもしてんじゃねぇのか?…旨ぇなぁ。おい、嫌々食うなよ。せっかくのいただきモン、お前さんももっと食え」
「病気?」
二つに割った饅頭の片方を旨そうに頬張るじっちゃんの思いもよらない言葉に、俺は口をすすいでいた茶を飲み込んで思わず聞き返した。
「そうだよ。毎日のように顔を出しに来る奴が、ここんとこ六日も見てないんだぞ、六日も。ワシの勘だ、アイツに何かあったんだよ。って、食えって言ってんだろ」
じっちゃんは丸いままの饅頭を二つ同時に引っつかみ、隣に座っている俺の口へ強引にねじ込んだ。甘ったるい味が拡がり、胸もノドもつかえる。
「もう一つ、僕もいただいてイイですか?」
「どうぞどうぞ」
じっちゃんは笑顔で箱ごとジェンスのほうへ押しやる。苦しむ俺を尻目にジェンスは二つ目の饅頭をつまむ。
そういえばあの時、広場で鳩にエサをやってるのを見てから見かけない。俺も気にはなっていたけど、わざわざ口に出すほどでもないと思っていた。
「馬鹿に拍車がかかっただけだろ」
やっとのことで腹に収め、そう答えてから急いで茶を含む。不快さが緩和された。
「まったく、ひでぇよなぁ。親友なら、もっと心配してやったらどうだ。様子、見に行ってやんな」
「放っときゃ来るだろ」
俺は目を閉じて頭を掻きながら、半ば投げやりに言い返した。
「今日の昼飯晩飯も明日の朝も昼も夜もあさっての朝昼晩と毎日のおやつも饅頭なのと、どっちがイイんだ?もっともらってくるぞ」
じっちゃんは指折り数えながらまくしたててきた。まったく、恐ろしい脅迫だな。そりゃ、じっちゃんは甘い物が大好きでイイだろうけど…。
ジェンスは俺の顔を見てクスリと笑った。瞬時ににらみつけてやる。すると、ジェンスは目を細め、口をすぼめ、肩をすくめた。
「その代わり、これ持ってくぞ」
そう言って俺は、甘いのがギッシリと並ぶ箱にフタをする。並ぶサマを見ただけで吐きそうになる。だけど甘党のアイツならば、これくらいはたやすいだろう。名案だ。
「ハライタで寝込んでるんだったら食わせてやるなよ」
そりゃそうだろうが、ハライタだろうが何だろうが、何が何でも置いてきてやる。
箱を小脇にかかえて立ち上がる。
「僕は、もう少しいさせてもらってもイイかな?」
「勝手にしろ」
勝手にすりゃあイイ。何の用だか知らないが、どうせ来賓か何かがいて、城にいるのが窮屈で抜け出てきてんだろ。いつもそうだ。俺ん家は隠れ家や溜まり場じゃないってんだ。
上がり口に腰かけて靴を履き、居間の戸を開けて店のほうへ足を踏み出す。
振り返って見ると、じっちゃんは饅頭をくわえながら手を振っている。
「ヨロシク言っといてくれよ」
頬張りながらのじっちゃんの声に俺は振り返らずにうなずき返し、後ろ手に居間の戸を閉めた。
まったく、面倒な用事だな。
「こんにちは」
向き直り、玄関の戸に手をかけようとすると同時に表から声がし、戸が静かに押し開けられた。
反射的に一歩下がる。顔を上げると、そこには黄土色の服のフードを目深にかぶった小柄な人物が立っていた。
「こちら様が口利き屋様でしょうか…?」
その人物は立ち止まり、開けた戸を右手で押さえたまま言った。ゆったりとした袖口からのぞく指には、金色の小さな指輪がはめられている。
フードで顔はぜんぜん見えないが背格好や手のようす、声からすると女のようだ。
「そうだが」
俺がそう答えると女は室内へ入り、振り返って静かに戸を閉めた。そしてフードをうしろへと取った。
正確な歳は判らないけど、四十過ぎくらいだろうか。何だか上品な立ち居振る舞いで、キレイな女だ。
「あの、実は…」
「待ってくれ。…じっちゃん、お客さんだぞ」
女はさっそく用件を言い出そうとしたが、俺はそれを遮って居間の戸を勢いよく開け、饅頭を食ってるはずのじっちゃんを呼ぶ。
すると、ジェンスの向こう側に座って食ってるじっちゃんの表情がおかしくなった。目を白黒させて、自分の胸を叩いている…饅頭をノドに詰めたのか? と思ったのもつかの間、茶をたどたどしく飲んで、どうやら無事に飲み込んだようだ。まったく、そそっかしい。
「いや、お恥ずかしい…!口利き屋でございますが、何でございましょうか?」
じっちゃんは揉み手でもしそうな感じで、照れながら居間から出てきた。それを見た女は緊張を解いたかのように少し笑顔をのぞかせた。
そのやり取りを尻目に、俺は表戸の取っ手に手を伸ばす。 面倒だが、アルの様子を見に行ってやるか。寝込んでんだか何だか知らないが、来ないなら来ないで世話のやける奴だ。
「待ちなさい。お前さんもお聞きなさい」
家を出ようとすると、じっちゃんに呼び止められた。振り返るとじっちゃんがニッと笑った。
「さあさ、立ち話も何ですから、こちらへおかけください」
じっちゃんは女を左奥の狭い応接場に案内し、椅子を勧めた。間仕切りも扉もない粗末な場所だから、『応接間』とはお世辞にも呼べない。
女は頭を下げて勧められるままに応接場に収まり、腰を下ろした。
呼び止められたものの、俺にとっちゃ何だか居心地が悪い。女は苦手だ。
とにかくカウンターに饅頭の箱を置いた。
「ほらほら、突っ立ってないで」
じっちゃんは俺の手をとって応接場の椅子の所まで引っ張る。
「今日は何だか朝から忙しいなぁ!」
そう言いながらじっちゃんは俺を残して楽しそうに台所のほうへ引っ込んだ。茶でもいれに行ったんだろう。
俺だけ取り残されても、どうも落ち着かない。応接場の壁にもたれたまま、間を持て余していた。
女はこちらからよく見えるほうの椅子に、うつむき加減で目を伏せて座っている。一つに結った長い黒髪を片方の肩から前へ垂らしている。
もし母さんが生きていたとすれば、ちょうどこの人くらいの歳になっているだろう。優しそうな雰囲気の人だな。いったい何の依頼で来たんだろうか。
沈黙が続いていた。女は何か言いたそうに時おりチラチラと視線を上げて俺を見る。
「…息子さんでいらっしゃるのですか?」
息子?誰のだ。もしかして、じっちゃんのか?
「いや、孫だけど」
「そうなのですか。ごめんなさい。てっきりお父様だと思いました。…お若いお祖父様でいらっしゃるのですね」
女は肩をすくめて顔をほころばせた。
俺が歳を食って見えるのか、じっちゃんが若く見えるのか。まあ、たしかに六十代半ばには見えない若さだが。本人が聞きゃ喜ぶだろう。若いと言われるのが一番好きだからな。
と思やぁ、台所の戸の音がした。その本人が戻ってくる気配がする。
「お待たせいたしました。ご用は何でございましょうか?」
そう言いながら、盆に載ったお客用の湯飲みと、さっきのと同じ饅頭を出す。
「はい。お願い事のほうなのですが…。実は、私は中央帝国の者でございます。諸国を回りまして逸材を求める旅をいたしております」
「ほう…帝国の」
じっちゃんはそう言い、盆を自分の座席の横へ置きながら女の向かいへ座る。小脇に挟んでいた帳簿を開く。そして、ふところから付けペンとインク壷を出す。
何だ、この女は帝国の人間か。優しそうだと思って損をしたな。帝国の奴が何の用だ。
「そこで、そちら様のご子息様をいただきたく存じましてまいりましたのでございます。もちろん、相当の地位におつけさせていただきたく存じます」
深々と頭を下げてはいるが、感情のない声でサラリと言ってのけた。
誰に何を聞いてここへ来たんだ。俺自身、そんな話はとんでもない。帝国なんかで何をしろってんだ。
「ウチのが逸材ですって?とーんでもない!どちら様で聞かれたのか存じ上げませんが、ウチのは丈夫なだけで、てんで駄目ですよ」
じっちゃんがそう言っても、女は外見とは裏腹に強い意志を持った目のまま表情をくずさずに俺を見据えた。簡単に退きそうにはない。
帝国は嫌いだと頑と言い聞かさなくては駄目だろう。
「せっかくのお誘いではございますが、誠に申し上げにくいのですが…何せウチのせがれは帝国嫌いでして、テコでも動きやしませんよ」
俺が口を開こうとすると、じっちゃんが先に自分の顔の前で手を横に振りながら強く否定した。
帝国の人間に堂々と帝国嫌いだって言うのも何だが、嫌いなもんは嫌いだ。もしそれにハラが立ったのなら、帝国の権力で捕えたけりゃ捕えろ。
「では、何としても帝国にはつきたくないとおっしゃるのですね?」
女は声を低くして執拗に念を押してきた。
「そうだ。帝国の依頼は受けない。帰ってくれ」
俺が言うと、女はニッコリと微笑んだ。何なんだ、気持ちの悪い。
女は姿勢を正す。
「よく分かりました。では、あなたがたを信頼させていただいて申し上げます。私は中央帝国の人間ではありません。他言はなさらないでいただきたいのですが…私はティティスの王室の乳母でございました」
「えっ?帝国のかたではないのですか??」
じっちゃんは驚きの声を上げた。女は深くゆっくりとうなずいた。
ティティスの人間だったのか。けど、今度はそれを疑いたくなる。
「身の保全のためとはいえ、だますようなことをいたしまして申しわけありませんでした」
乳母は立ち上がって深々と頭を下げた。
「いえいえ。私どもはイイんです」
それに驚いたようにじっちゃんは立ち上がって乳母をなだめ、座るようにと両手で示した。
乳母はようやく座り直した。
「ティティスはご存知でしょうか?」
乳母は静かに言った。
「存じておりますとも。でも、十年ほど前に中央帝国に滅ぼされたんじゃなかったですかな」
「はい。今は統治者も代わって別の国になっていますが、わけあってティティスの城や城下街は手つかずの廃墟のままで残っています」
「そうでございますか」
じっちゃんは帳簿を書いていた手を止めて顔を上げた。
聞いたことがある。ティティスはだいぶ昔に中央帝国に逆らってつぶされた。だから王家関係の人間なんて生き残ってちゃマズイんだろう。だけど、この女を遣わせたのは王族の人間なんだろうか。
帝国の人間だと偽ったのは、帝国寄りかどうか俺たちを試したからか。俺もじっちゃんも中央帝国が好きじゃなかったから、ちょうど良かったが、もし帝国寄りの人間だったら、生き残りがいたことを密告されかねないところだろう。
まあ、現にウチの親父なんかは帝国や皇帝を尊敬しているクチだし、兄貴にいたっては帝国兵だ…この乳母が今さら知れば卒倒しそうなことだが。
「そこで、さるおかたのお遣いでお願いに上がらせていただいたのですが、実は絵を一枚、取ってきていただきたいのです」
「絵、ですか」
「はい。そのティティスの城の廃墟に残されているはずのティティスの王女の肖像画を取ってきていただきたいのです」
「なるほど、分かりました。絵の特徴などお教え願えますか?」
乳母はうなずき、ふところから手の平ほどにたたまれた白い紙片を取り出した。ゆっくりと机の上へ広げる。
八つ折りになっていた紙が二枚ある。ここからじゃよく見えないが、見取り図らしい細かいヤツと、肖像画の略図らしいヤツだ。
「持ち去られていなければ、こちらの印の場所に、このような絵がかけられているはずです。油彩で、大きさはそちらの戸板の半分ほどになりましょうか」
乳母は表戸のほうへ目線を送った。そう大きくもなく小さくもない絵だ。
「王女様の三つになられる直前のころのお姿の肖像画です」
「分かりました」
じっちゃんは目線を落とし、忙しくペンを走らせた。
「あ、どうぞ。粗茶でございますが」
思い出したかのように顔を上げて茶を勧めた。そして再び書き始める。
女は一礼をしてから湯飲みを手にし、口をつける。そうしながらも何か言いたそうにチラチラとじっちゃんを見る。
「…ところで、お伺いしてもよろしいでしょうか…?」
「何なりと、どーぞ」
「あの…お仕事されるのは、どのようなかたなのですか?」
「そうですなぁ、簡単に申しますと、上は立派な冒険者、学者、職人、役者に拳闘士…いろいろございます。下は、このウチのせがれとその相棒の、え〜、十二だったかな…かわいいヤツです。どうぞ、お好きな者をご指名くださいませ」
言いながらじっちゃんは振り返らずに左手の立てた親指で肩越しに壁ぎわの俺を指した。
その相棒ってのはアルのことか?いつの間に俺の相棒になったんだ。それにアイツは遠出はできるのか?
「そうですか。でしたら、一番若いお二人にこの件をお願いできませんかしら?国王様も子どもがお好きでいらしたから、きっとお喜びになられるはず」
「そう言っていただけるとありがたいです。どんどん使ってやってください」
じっちゃんは自分のヒザを平手で打った。
「ぜひ、お願いいたします」
乳母は少し首をかしげて俺に対して微笑んだ。そのキレイで淋しげな顔つきに、どう返せばイイのか分からなかった。
二人は金額の相談を始めた。
そういえば、本当にアルはどうしたんだろうか。アイツは見た目よりも頑丈な奴で、寝込むほど、か弱くはなかったハズだ。それとも何か遊んでいられない用でもあるのだろうか。
「では、なるべく早く納めさせていただきますよ」
「お願い申し上げます。亡き国王様の大切なお品ですので」
乳母は立ち上がり、深く頭を下げた。
国王は死んでいたのか。じゃあ誰の遣いなんだろうか。国王の妻か、それとも王女本人か。でも、何でわざわざ危険を冒して他人に頼んでまでして、今さらそんな廃墟に置き忘れられた物にこだわるんだろう。
応接場を出る乳母と目が合った。優しげな目で静かに笑みを浮かべて会釈をして通り過ぎていった。俺はそれにつられ、後れて会釈を返していた。
じっちゃんが玄関まで見送りについてゆく。
俺は応援場の入口に突っ立ったまま、二人のうしろ姿を見るともなしに見ていた。
「さあて、大変だ。仕事が入ったぞ」
扉を閉め、じっちゃんは大きくノビをし、それから俺のほうを見てニタリと笑い、居間のほうの戸を大きく開けた。
「帳簿を持ってきてくれ」
言われて俺は、机の上の帳簿に乳母の置いていった紙を挟んで持つ。
じっちゃんに続いて居間の戸をくぐった。
さっきと同じ場所にジェンスは座っていた。一人で澄まして茶をすすっている。よく見ると、そのヒザの上には、ちょこんとサンが丸まっている。白い服に黒猫は映える。
ジェンスは指の背でサンの額辺りを撫でている。サンは眼を細めている。あまり来ない人間なのに穏和そうだからか、気に入っているらしい。
俺と目が合うとサンは一鳴きして俺の足元まで駆け寄ってきた。頭や脇腹をぶつけるようにして、しきりに俺の足に擦りついている。
「あとはアル坊のヤツをしょっぴいてこい」
そう言ってニコニコ笑うじっちゃんに帳簿を手渡す。それから俺は、しゃがんでサンの両脇に手を差し入れるようにして持ち、肩へと抱き上げた。サンの腹が温かい。
「でも、アイツは遠出できるのか」
「ワシが許可を出すからイイんだよ。つべこべ言うなよ」
じっちゃんが許可を出してどうすんだ。
アルの所へ行くついでに、この件をとりあえず話すだけ話してやるか。でも、遠出が無理なら俺一人で取りに行くことになるな。
「さっきの図面を見せてくれ」
「おっ?これか」
じっちゃんは帳簿を開いて挟まっている紙を開き、俺の前へ差し出した。
俺はサンを床へ放した。その場でサンは毛繕いを始めた。
「ティティスは今、どうなってんだ」
「はて、どうだったかな。そんなに越境も難しくはなかったハズだが…そもそも、どこにあるんだったかな?…え〜と、地図見なきゃ分かんねぇな、こりゃ」
じっちゃんは戸棚を開けて地図を探し始めた。頼りないな。
「ティティスは今、帝国寄りの国、レジナ領になっているよ」
「そうそう。レジナだよ。お前さん、よく知ってるね。さては勉強してるな」
じっちゃんはジェンスの言葉に振り返った。戸棚から二、三冊の本が次々と落ちた。
「そうでもありませんよ。ティティスのことは有名だったので覚えていただけですよ」
二人の会話を聞きながら目線を紙のほうへ落とす。そこには細かく図が記されていた。城の敷地のすべてらしいまとまりの図と、その中の建物ひと棟の内部の図になっている。
平面の図から、まだ見ぬティティスの城を空間として思い描いてみる。
正門らしい所を通って正面にひときわ大きな建物がある。
その裏手に当たる場所に横長の建物が二つ、8の字型に渡り廊下でつながって左右対称に並んでいる。ちょうど砂時計を真横から見たようだ。
それの左側の建物が別図で拡大されている。『五階』と書かれた図の中の一室に赤で×印が書いてある。長方形の中ごろにあたる部屋だ。
不謹慎かも知れないが、宝の地図みたいでなかなか面白いな。
下になっている、もう一枚の紙を上へ重ねる。その問題の絵の図だ。図というか、色はついていないが、目や鼻まで判るくらいていねいに描かれている。
中央には髪飾りをつけた長い直毛の幼女がいる。その向かって左うしろの額に入った絵か何かに男が描かれている。直感だけど、こんな所に描くということは、これが国王なのだろう。
幼女の服の横に小さな字で『絵を逆さに見ると、御召し物に鳩が見えます』と書いてある。紙を逆さにしてみる…が、鳩は分からない。やっぱり実物じゃなきゃダメなんだろうな。
まあ、これだけ資料がありゃ充分に分かりそうだ。
「分かりそうか?」
あとはその時になってみなくちゃ何とも言えないが、目線を紙から上げてうなずき返した。
「そうかそうか。じゃ、ワシは、ちょいと洗濯してくるよ」
じっちゃんは満足そうにうなずき、壁にかけてあった前掛けを取る。
「ごゆっくり」
じっちゃんが振り返って笑顔を送ると、ジェンスは恭しく頭を下げ返した。
じっちゃんは奥の戸から出ていった。そのあとにサンが軽い足取りでついていった。
じっちゃんが出てゆくと、ジェンスは俺のほうへ向き直った。意味ありげにニタリとする。気味が悪い。
「君は、いつ見ても父上に似て男前だね。そっくりそのまま若返らせたようだよ」
急に何を言い出すんだ。気持ちの悪いヤローだ。
俺は自分の容姿のことを言われるのは好きじゃない。どんな容姿だろうが死んで灰になりゃ、みんな同じだろうが。
それに、親父なんかに似てると言われても嬉しかない。
「うるさい」
「ふふふ、照れなくてもイイよ。それはそうと、君は甘い物は嫌いなのかい?」
「ああ」
「残念だね。おいしいのに。女だけ、もしくは男だけしか相手しないのに似ている…きっと君は、人生において半分は損をしているよ。世の中には甘い物も辛い物もあるのに。…あ、茶柱」
ジェンスは湯飲みを揺すりながら覗き込んで言った。…お前の言うことは意味が解らん。
「ティティスに行く仕事が入ったのかい?」
「そうだ」
「そうなんだ。じゃあ、ティティスが中央帝国に攻め滅ぼされたのは知っているのかい?」
「ああ」
「理由は知っているかい?」
少し考えた。逆らったからだろう。それしか知らない。
「逆らったんだろう」
「あのね、帝国は何が目的だと思う?」
俺に聞かれてもな…何が目的なんだ?噂では世界を我が物にしようとしていると聞いているが。
「世界征服か」
「平たく言えばそうだよ。…ここだけの話だけどね」
ジェンスは菫色の大きな目で上目遣いに俺を見、肩をすくめた。あまり声を大にできないことらしい。
「世界中の国々を手に入れようと思えば、君ならどうする?武力にうったえて、滅ぼしてばかりするかい?」
話に間をとったのか、ジェンスは急須のフタを開けて中を覗いた。イイ物でも見つけたかのように一人でニタリと笑う。
「闇雲につぶすだけじゃあ国はモノにはならないよね。廃墟ばかりじゃ、どうしようもないもの」
俺が答えずにいると、そう言葉を継いだ。
そりゃそうだ。国を滅ぼしたなら領地は増えるかも知れないが、つぶさずに征服したほうが得る物が多いだろう。
ジェンスの向かいに腰を下ろす。俺のか、じっちゃんのか分からない、半分残った飲みかけの茶をあおる。すっかり冷たくなっている。
「武力は十二分に持っているとして…いきなり攻め込むのじゃなければ、国を手に入れるには、まず、どうするか…自分に付くかどうかを知らなくてはならない。そのためには、その相手にとって困る手段で…例えば、取られたくないものを要求して出させるとかしてね、どれだけ逆らうか反逆度を試すんだよ」
ジェンスは半ばひとりごとのように言った。
何が言いたいのか解るような解らないような…まあ、ともかく言ってみりゃ、政(まつりごと)というのは下層の俺たちには分からないところで、そんなことが国同士で行われているということなんだろう。
「実例をあげればね、ウチの国ヴァーバルは代々伝わる宝物(ほうもつ)と奴隷と姫君を、帝国へ無条件で差し出した…他にも要求はあったけど、簡単に言うとそれが『逆らいません』という降伏の証なんだよ。解るかい?ティティスは、そこで条件を飲まなかったから、見せしめに滅ぼされたんだよ」
なるほど、意味が解った。だけど、馬鹿でもなけりゃ、つぶされるのが分かっていそうなものなのに、ティティスの王はどうして逆らったりしたんだろうか。そんなに先を読めない馬鹿王だったのか。
まあ、気持ちが解らないでもないな。もし俺がティティスの国王だったとすりゃ、同じように逆らっていたかも知れない。
絵の略図に目を遣る。立派な口ヒゲをたくわえた、なかなか男前で威厳のありそうな顔つき。略図は何も言わないが、この王さんも何か考えがあったことだろう。
宝、奴隷、姫君…その中には何か絶対に取られたくないものがあったのかも知れないが、結果、どれもこれも…自分の生命さえも失ってしまった。
「僕の姉上は皇帝の正室になっているんだけど、そうやって帝国に付いた国の姫君一人ずつは皇帝の妻(おんな)として帝国にいるんだよ」
「人質か」
「今のヴァーバルの発展を見れば分かるだろう?中央帝国に一番、目をかけてもらっているんだよ…我がヴァーバルの国鳥である『烏』には知恵がある。国(み)を護るにはどうすればイイか知っているんだよ」
残酷だな。国の命運と引き換えにか。王女というものは、まるで物だな。
だけど、王族の判断一つで民は右へも左へも転ぶんだから、こっちのほうこそたまったもんじゃない。この馬鹿王子のことを考えればなおさらだ。
我々、民は恐ろしくなる。こんな奴が国主になった時代は果たして大丈夫だろうか?それとも、乱心して世界征服なんてし始めないだろうな…。
「言い換えれば、ヴァーバルの平和は姉上一人で保たれているようなものなんだよ」
頬杖をつき、傾けた湯飲みを見つめながら物憂げに言う。言いながら口端を上げる。
「どういうことだ」
俺の問いかけにジェンスは、さらに口端を上げる。
「姉上が正室でいるからヴァーバルは一番に目をかけてもらえてるけど、もし姉上に粗相でもあればヴァーバルも帝国につぶされる対象になりかねないんだよ。皇帝からすれば、姉上とヴァーバルは一体のものなんだ」
ジェンスの姉はどんな人だか知らないが、こいつの兄レイノルドを思い出すと姉のほうも人間性が心配になるが…。ともかく、すごい大役だな。その両肩に何万の民を、国を担いでいるようなもんだ。
そういや、帝国にいる俺の兄貴は元気だろうか。二十四になっているはずだが、そもそも生きているのだろうか。
道徳としちゃ親の言うことを聞くのが正しいのかも知れないが、帝国信奉者の親父の勧めで帝国兵になって、皇帝の悪事に加担してりゃ、道徳にかなってんだか何だか分かりゃしない。
それとも何か、強く信奉していると悪事が悪事じゃなくなるのだろうか。
兄貴が帝国へ仕官したのが今の俺の歳と同じ十五の時だから、九年前か…ティティスを攻め滅ぼした時には加担したのだろうか。
「ところで、君はエアリアルの所へ行くんじゃなかったのかい?」
そうだった。アルの所へ行こうとしていたんだっけ。すっかり忘れていた。
「あのイヤ〜な大臣も国へ帰ったかな。…いやぁ、まだいるかも。ヒマだから僕も一緒にエアリアルの所へついていってもイイかな?」
片目をつぶってそう言った。
やっぱり客から逃げてやがったんだな。イイのか、第一王子がそんなことで。 ⇒
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何の用だか知らないが、朝っぱらからジェンスの奴が来ている。
じっちゃんが気を遣って茶を出す。
「いえ、お構いなく。たいした用じゃありませんので」
ジェンスはバカ上品に澄ました白猫みたいに座って満面の笑みをじっちゃんに向ける。そりゃそうだ。いつもたいした用じゃないだろ。用事で来たためしがない。
「いやぁ、高貴なおかたに来ていただいて、お茶も出さないわけにはいかんよ」
ジェンスの前の卓に茶を置きながらじっちゃんは片目をつぶる。
じっちゃんはジェンスをただの貴族だと信じてるみたいだけど、本当は国王の息子なんだが…しかも、こうして身分を隠して街へ出現して遊んでやがる、とんでもない不良王子だ。
「何しに来た」
俺が横目で見ながら問うと、ジェンスはニッコリと笑った。
「ごあいさつだなぁ。あいかわらずキツいね、君は。…あ、このお茶、おいしいですね」
ジェンスの言葉にじっちゃんは二つ三つ大きくうなずきながら、その向かいへと座る。
「ところでお前さん。聞こう聞こうと思って、いつも聞きそびれるんだが、お前さんはどこに住んでんだい?北のほうのお屋敷街かい」
「はい。まぁ、北のほうです。でも、屋敷と呼べるかどうか…」
「まあ、ご謙遜を!」
二人は同時に声を立てて笑った。
バカバカしい。そりゃ屋敷じゃないだろ…城だ。
「ちょいと、不躾なことを言うかも知れんが…お前さん、いつ見ても男のくせにキレイだねぇ」
「いえ、それほどでも」
ジェンスは気取って、白髪のような長い銀髪をかき上げる。キザな奴め。
「名高い世界屈指の美男で、中央帝国の皇帝様と並ぶのが、我が国ヴァーバルの王子ジェラルド様ってウワサだが、お前さん、そのジェラルド様に負けてないねぇ。たぶん。いや、お世辞ヌキで!」
負けてるも負けてないも、ずばり本人じゃないか。
じっちゃんは、さらにジェンスの顔をジロジロと見る。
「いや、むしろ、ジェラルド様にそっくりだねぇ。髪の色は違うけど」
じっちゃんは自分のアゴに手をやって首をひねった。
どうやら今回はバレそうだな…。じっちゃんも顔を覚えるのが得意だから、正月か何かの祭りにでも参加していた王子ジェラルドの顔を覚えているのかも知れない。
ジェンスはいつもジェラルドの時は白い地毛を隠すために黒髪のヅラを着けているから、髪の色が違うのは当たっている。
「いえいえ。僕はジェラルド様みたいに美しくなんてありませんよ。たぶん、他人の空似ですよ、他人の」
謙遜してるのか、うぬぼれてるのか分からん奴だ。
「そうだな、そうだよな!似た人は三人いるって言うしな!…いや、五人だったかな」
また二人は同時に笑った。どうやらバレなかったみたいだ…けど、本人じゃなくて俺が心配してどうすんだ!
「まあ、饅頭でもどうぞ」
「いただきます」
じっちゃんはジェンスに饅頭を勧めた。じっちゃんの知り合いからもらった饅頭を俺は朝から食わされていた…まるで餡のかたまりだ。何だってこんな物を大量にもらってくるんだろうか。
俺は甘い物は嫌いだけど、大量にあるから早く平らげないことにゃ三食が饅頭になってしまう…と、そこへジェンスがやって来た。
まあ、饅頭を食ってくれることだけは、この客人に感謝しなくてはならない。
だけども、その大量の甘い物は卓の上の箱の中で嬉しそうに順番を待っていやがる。やっとのことで一つ飲み込んだが、俺は一つでウンザリだ。
「ところで、最近、アル坊の奴を見ねぇが、病気でもしてんじゃねぇのか?…旨ぇなぁ。おい、嫌々食うなよ。せっかくのいただきモン、お前さんももっと食え」
「病気?」
二つに割った饅頭の片方を旨そうに頬張るじっちゃんの思いもよらない言葉に、俺は口をすすいでいた茶を飲み込んで思わず聞き返した。
「そうだよ。毎日のように顔を出しに来る奴が、ここんとこ六日も見てないんだぞ、六日も。ワシの勘だ、アイツに何かあったんだよ。って、食えって言ってんだろ」
じっちゃんは丸いままの饅頭を二つ同時に引っつかみ、隣に座っている俺の口へ強引にねじ込んだ。甘ったるい味が拡がり、胸もノドもつかえる。
「もう一つ、僕もいただいてイイですか?」
「どうぞどうぞ」
じっちゃんは笑顔で箱ごとジェンスのほうへ押しやる。苦しむ俺を尻目にジェンスは二つ目の饅頭をつまむ。
そういえばあの時、広場で鳩にエサをやってるのを見てから見かけない。俺も気にはなっていたけど、わざわざ口に出すほどでもないと思っていた。
「馬鹿に拍車がかかっただけだろ」
やっとのことで腹に収め、そう答えてから急いで茶を含む。不快さが緩和された。
「まったく、ひでぇよなぁ。親友なら、もっと心配してやったらどうだ。様子、見に行ってやんな」
「放っときゃ来るだろ」
俺は目を閉じて頭を掻きながら、半ば投げやりに言い返した。
「今日の昼飯晩飯も明日の朝も昼も夜もあさっての朝昼晩と毎日のおやつも饅頭なのと、どっちがイイんだ?もっともらってくるぞ」
じっちゃんは指折り数えながらまくしたててきた。まったく、恐ろしい脅迫だな。そりゃ、じっちゃんは甘い物が大好きでイイだろうけど…。
ジェンスは俺の顔を見てクスリと笑った。瞬時ににらみつけてやる。すると、ジェンスは目を細め、口をすぼめ、肩をすくめた。
「その代わり、これ持ってくぞ」
そう言って俺は、甘いのがギッシリと並ぶ箱にフタをする。並ぶサマを見ただけで吐きそうになる。だけど甘党のアイツならば、これくらいはたやすいだろう。名案だ。
「ハライタで寝込んでるんだったら食わせてやるなよ」
そりゃそうだろうが、ハライタだろうが何だろうが、何が何でも置いてきてやる。
箱を小脇にかかえて立ち上がる。
「僕は、もう少しいさせてもらってもイイかな?」
「勝手にしろ」
勝手にすりゃあイイ。何の用だか知らないが、どうせ来賓か何かがいて、城にいるのが窮屈で抜け出てきてんだろ。いつもそうだ。俺ん家は隠れ家や溜まり場じゃないってんだ。
上がり口に腰かけて靴を履き、居間の戸を開けて店のほうへ足を踏み出す。
振り返って見ると、じっちゃんは饅頭をくわえながら手を振っている。
「ヨロシク言っといてくれよ」
頬張りながらのじっちゃんの声に俺は振り返らずにうなずき返し、後ろ手に居間の戸を閉めた。
まったく、面倒な用事だな。
「こんにちは」
向き直り、玄関の戸に手をかけようとすると同時に表から声がし、戸が静かに押し開けられた。
反射的に一歩下がる。顔を上げると、そこには黄土色の服のフードを目深にかぶった小柄な人物が立っていた。
「こちら様が口利き屋様でしょうか…?」
その人物は立ち止まり、開けた戸を右手で押さえたまま言った。ゆったりとした袖口からのぞく指には、金色の小さな指輪がはめられている。
フードで顔はぜんぜん見えないが背格好や手のようす、声からすると女のようだ。
「そうだが」
俺がそう答えると女は室内へ入り、振り返って静かに戸を閉めた。そしてフードをうしろへと取った。
正確な歳は判らないけど、四十過ぎくらいだろうか。何だか上品な立ち居振る舞いで、キレイな女だ。
「あの、実は…」
「待ってくれ。…じっちゃん、お客さんだぞ」
女はさっそく用件を言い出そうとしたが、俺はそれを遮って居間の戸を勢いよく開け、饅頭を食ってるはずのじっちゃんを呼ぶ。
すると、ジェンスの向こう側に座って食ってるじっちゃんの表情がおかしくなった。目を白黒させて、自分の胸を叩いている…饅頭をノドに詰めたのか? と思ったのもつかの間、茶をたどたどしく飲んで、どうやら無事に飲み込んだようだ。まったく、そそっかしい。
「いや、お恥ずかしい…!口利き屋でございますが、何でございましょうか?」
じっちゃんは揉み手でもしそうな感じで、照れながら居間から出てきた。それを見た女は緊張を解いたかのように少し笑顔をのぞかせた。
そのやり取りを尻目に、俺は表戸の取っ手に手を伸ばす。 面倒だが、アルの様子を見に行ってやるか。寝込んでんだか何だか知らないが、来ないなら来ないで世話のやける奴だ。
「待ちなさい。お前さんもお聞きなさい」
家を出ようとすると、じっちゃんに呼び止められた。振り返るとじっちゃんがニッと笑った。
「さあさ、立ち話も何ですから、こちらへおかけください」
じっちゃんは女を左奥の狭い応接場に案内し、椅子を勧めた。間仕切りも扉もない粗末な場所だから、『応接間』とはお世辞にも呼べない。
女は頭を下げて勧められるままに応接場に収まり、腰を下ろした。
呼び止められたものの、俺にとっちゃ何だか居心地が悪い。女は苦手だ。
とにかくカウンターに饅頭の箱を置いた。
「ほらほら、突っ立ってないで」
じっちゃんは俺の手をとって応接場の椅子の所まで引っ張る。
「今日は何だか朝から忙しいなぁ!」
そう言いながらじっちゃんは俺を残して楽しそうに台所のほうへ引っ込んだ。茶でもいれに行ったんだろう。
俺だけ取り残されても、どうも落ち着かない。応接場の壁にもたれたまま、間を持て余していた。
女はこちらからよく見えるほうの椅子に、うつむき加減で目を伏せて座っている。一つに結った長い黒髪を片方の肩から前へ垂らしている。
もし母さんが生きていたとすれば、ちょうどこの人くらいの歳になっているだろう。優しそうな雰囲気の人だな。いったい何の依頼で来たんだろうか。
沈黙が続いていた。女は何か言いたそうに時おりチラチラと視線を上げて俺を見る。
「…息子さんでいらっしゃるのですか?」
息子?誰のだ。もしかして、じっちゃんのか?
「いや、孫だけど」
「そうなのですか。ごめんなさい。てっきりお父様だと思いました。…お若いお祖父様でいらっしゃるのですね」
女は肩をすくめて顔をほころばせた。
俺が歳を食って見えるのか、じっちゃんが若く見えるのか。まあ、たしかに六十代半ばには見えない若さだが。本人が聞きゃ喜ぶだろう。若いと言われるのが一番好きだからな。
と思やぁ、台所の戸の音がした。その本人が戻ってくる気配がする。
「お待たせいたしました。ご用は何でございましょうか?」
そう言いながら、盆に載ったお客用の湯飲みと、さっきのと同じ饅頭を出す。
「はい。お願い事のほうなのですが…。実は、私は中央帝国の者でございます。諸国を回りまして逸材を求める旅をいたしております」
「ほう…帝国の」
じっちゃんはそう言い、盆を自分の座席の横へ置きながら女の向かいへ座る。小脇に挟んでいた帳簿を開く。そして、ふところから付けペンとインク壷を出す。
何だ、この女は帝国の人間か。優しそうだと思って損をしたな。帝国の奴が何の用だ。
「そこで、そちら様のご子息様をいただきたく存じましてまいりましたのでございます。もちろん、相当の地位におつけさせていただきたく存じます」
深々と頭を下げてはいるが、感情のない声でサラリと言ってのけた。
誰に何を聞いてここへ来たんだ。俺自身、そんな話はとんでもない。帝国なんかで何をしろってんだ。
「ウチのが逸材ですって?とーんでもない!どちら様で聞かれたのか存じ上げませんが、ウチのは丈夫なだけで、てんで駄目ですよ」
じっちゃんがそう言っても、女は外見とは裏腹に強い意志を持った目のまま表情をくずさずに俺を見据えた。簡単に退きそうにはない。
帝国は嫌いだと頑と言い聞かさなくては駄目だろう。
「せっかくのお誘いではございますが、誠に申し上げにくいのですが…何せウチのせがれは帝国嫌いでして、テコでも動きやしませんよ」
俺が口を開こうとすると、じっちゃんが先に自分の顔の前で手を横に振りながら強く否定した。
帝国の人間に堂々と帝国嫌いだって言うのも何だが、嫌いなもんは嫌いだ。もしそれにハラが立ったのなら、帝国の権力で捕えたけりゃ捕えろ。
「では、何としても帝国にはつきたくないとおっしゃるのですね?」
女は声を低くして執拗に念を押してきた。
「そうだ。帝国の依頼は受けない。帰ってくれ」
俺が言うと、女はニッコリと微笑んだ。何なんだ、気持ちの悪い。
女は姿勢を正す。
「よく分かりました。では、あなたがたを信頼させていただいて申し上げます。私は中央帝国の人間ではありません。他言はなさらないでいただきたいのですが…私はティティスの王室の乳母でございました」
「えっ?帝国のかたではないのですか??」
じっちゃんは驚きの声を上げた。女は深くゆっくりとうなずいた。
ティティスの人間だったのか。けど、今度はそれを疑いたくなる。
「身の保全のためとはいえ、だますようなことをいたしまして申しわけありませんでした」
乳母は立ち上がって深々と頭を下げた。
「いえいえ。私どもはイイんです」
それに驚いたようにじっちゃんは立ち上がって乳母をなだめ、座るようにと両手で示した。
乳母はようやく座り直した。
「ティティスはご存知でしょうか?」
乳母は静かに言った。
「存じておりますとも。でも、十年ほど前に中央帝国に滅ぼされたんじゃなかったですかな」
「はい。今は統治者も代わって別の国になっていますが、わけあってティティスの城や城下街は手つかずの廃墟のままで残っています」
「そうでございますか」
じっちゃんは帳簿を書いていた手を止めて顔を上げた。
聞いたことがある。ティティスはだいぶ昔に中央帝国に逆らってつぶされた。だから王家関係の人間なんて生き残ってちゃマズイんだろう。だけど、この女を遣わせたのは王族の人間なんだろうか。
帝国の人間だと偽ったのは、帝国寄りかどうか俺たちを試したからか。俺もじっちゃんも中央帝国が好きじゃなかったから、ちょうど良かったが、もし帝国寄りの人間だったら、生き残りがいたことを密告されかねないところだろう。
まあ、現にウチの親父なんかは帝国や皇帝を尊敬しているクチだし、兄貴にいたっては帝国兵だ…この乳母が今さら知れば卒倒しそうなことだが。
「そこで、さるおかたのお遣いでお願いに上がらせていただいたのですが、実は絵を一枚、取ってきていただきたいのです」
「絵、ですか」
「はい。そのティティスの城の廃墟に残されているはずのティティスの王女の肖像画を取ってきていただきたいのです」
「なるほど、分かりました。絵の特徴などお教え願えますか?」
乳母はうなずき、ふところから手の平ほどにたたまれた白い紙片を取り出した。ゆっくりと机の上へ広げる。
八つ折りになっていた紙が二枚ある。ここからじゃよく見えないが、見取り図らしい細かいヤツと、肖像画の略図らしいヤツだ。
「持ち去られていなければ、こちらの印の場所に、このような絵がかけられているはずです。油彩で、大きさはそちらの戸板の半分ほどになりましょうか」
乳母は表戸のほうへ目線を送った。そう大きくもなく小さくもない絵だ。
「王女様の三つになられる直前のころのお姿の肖像画です」
「分かりました」
じっちゃんは目線を落とし、忙しくペンを走らせた。
「あ、どうぞ。粗茶でございますが」
思い出したかのように顔を上げて茶を勧めた。そして再び書き始める。
女は一礼をしてから湯飲みを手にし、口をつける。そうしながらも何か言いたそうにチラチラとじっちゃんを見る。
「…ところで、お伺いしてもよろしいでしょうか…?」
「何なりと、どーぞ」
「あの…お仕事されるのは、どのようなかたなのですか?」
「そうですなぁ、簡単に申しますと、上は立派な冒険者、学者、職人、役者に拳闘士…いろいろございます。下は、このウチのせがれとその相棒の、え〜、十二だったかな…かわいいヤツです。どうぞ、お好きな者をご指名くださいませ」
言いながらじっちゃんは振り返らずに左手の立てた親指で肩越しに壁ぎわの俺を指した。
その相棒ってのはアルのことか?いつの間に俺の相棒になったんだ。それにアイツは遠出はできるのか?
「そうですか。でしたら、一番若いお二人にこの件をお願いできませんかしら?国王様も子どもがお好きでいらしたから、きっとお喜びになられるはず」
「そう言っていただけるとありがたいです。どんどん使ってやってください」
じっちゃんは自分のヒザを平手で打った。
「ぜひ、お願いいたします」
乳母は少し首をかしげて俺に対して微笑んだ。そのキレイで淋しげな顔つきに、どう返せばイイのか分からなかった。
二人は金額の相談を始めた。
そういえば、本当にアルはどうしたんだろうか。アイツは見た目よりも頑丈な奴で、寝込むほど、か弱くはなかったハズだ。それとも何か遊んでいられない用でもあるのだろうか。
「では、なるべく早く納めさせていただきますよ」
「お願い申し上げます。亡き国王様の大切なお品ですので」
乳母は立ち上がり、深く頭を下げた。
国王は死んでいたのか。じゃあ誰の遣いなんだろうか。国王の妻か、それとも王女本人か。でも、何でわざわざ危険を冒して他人に頼んでまでして、今さらそんな廃墟に置き忘れられた物にこだわるんだろう。
応接場を出る乳母と目が合った。優しげな目で静かに笑みを浮かべて会釈をして通り過ぎていった。俺はそれにつられ、後れて会釈を返していた。
じっちゃんが玄関まで見送りについてゆく。
俺は応援場の入口に突っ立ったまま、二人のうしろ姿を見るともなしに見ていた。
「さあて、大変だ。仕事が入ったぞ」
扉を閉め、じっちゃんは大きくノビをし、それから俺のほうを見てニタリと笑い、居間のほうの戸を大きく開けた。
「帳簿を持ってきてくれ」
言われて俺は、机の上の帳簿に乳母の置いていった紙を挟んで持つ。
じっちゃんに続いて居間の戸をくぐった。
さっきと同じ場所にジェンスは座っていた。一人で澄まして茶をすすっている。よく見ると、そのヒザの上には、ちょこんとサンが丸まっている。白い服に黒猫は映える。
ジェンスは指の背でサンの額辺りを撫でている。サンは眼を細めている。あまり来ない人間なのに穏和そうだからか、気に入っているらしい。
俺と目が合うとサンは一鳴きして俺の足元まで駆け寄ってきた。頭や脇腹をぶつけるようにして、しきりに俺の足に擦りついている。
「あとはアル坊のヤツをしょっぴいてこい」
そう言ってニコニコ笑うじっちゃんに帳簿を手渡す。それから俺は、しゃがんでサンの両脇に手を差し入れるようにして持ち、肩へと抱き上げた。サンの腹が温かい。
「でも、アイツは遠出できるのか」
「ワシが許可を出すからイイんだよ。つべこべ言うなよ」
じっちゃんが許可を出してどうすんだ。
アルの所へ行くついでに、この件をとりあえず話すだけ話してやるか。でも、遠出が無理なら俺一人で取りに行くことになるな。
「さっきの図面を見せてくれ」
「おっ?これか」
じっちゃんは帳簿を開いて挟まっている紙を開き、俺の前へ差し出した。
俺はサンを床へ放した。その場でサンは毛繕いを始めた。
「ティティスは今、どうなってんだ」
「はて、どうだったかな。そんなに越境も難しくはなかったハズだが…そもそも、どこにあるんだったかな?…え〜と、地図見なきゃ分かんねぇな、こりゃ」
じっちゃんは戸棚を開けて地図を探し始めた。頼りないな。
「ティティスは今、帝国寄りの国、レジナ領になっているよ」
「そうそう。レジナだよ。お前さん、よく知ってるね。さては勉強してるな」
じっちゃんはジェンスの言葉に振り返った。戸棚から二、三冊の本が次々と落ちた。
「そうでもありませんよ。ティティスのことは有名だったので覚えていただけですよ」
二人の会話を聞きながら目線を紙のほうへ落とす。そこには細かく図が記されていた。城の敷地のすべてらしいまとまりの図と、その中の建物ひと棟の内部の図になっている。
平面の図から、まだ見ぬティティスの城を空間として思い描いてみる。
正門らしい所を通って正面にひときわ大きな建物がある。
その裏手に当たる場所に横長の建物が二つ、8の字型に渡り廊下でつながって左右対称に並んでいる。ちょうど砂時計を真横から見たようだ。
それの左側の建物が別図で拡大されている。『五階』と書かれた図の中の一室に赤で×印が書いてある。長方形の中ごろにあたる部屋だ。
不謹慎かも知れないが、宝の地図みたいでなかなか面白いな。
下になっている、もう一枚の紙を上へ重ねる。その問題の絵の図だ。図というか、色はついていないが、目や鼻まで判るくらいていねいに描かれている。
中央には髪飾りをつけた長い直毛の幼女がいる。その向かって左うしろの額に入った絵か何かに男が描かれている。直感だけど、こんな所に描くということは、これが国王なのだろう。
幼女の服の横に小さな字で『絵を逆さに見ると、御召し物に鳩が見えます』と書いてある。紙を逆さにしてみる…が、鳩は分からない。やっぱり実物じゃなきゃダメなんだろうな。
まあ、これだけ資料がありゃ充分に分かりそうだ。
「分かりそうか?」
あとはその時になってみなくちゃ何とも言えないが、目線を紙から上げてうなずき返した。
「そうかそうか。じゃ、ワシは、ちょいと洗濯してくるよ」
じっちゃんは満足そうにうなずき、壁にかけてあった前掛けを取る。
「ごゆっくり」
じっちゃんが振り返って笑顔を送ると、ジェンスは恭しく頭を下げ返した。
じっちゃんは奥の戸から出ていった。そのあとにサンが軽い足取りでついていった。
じっちゃんが出てゆくと、ジェンスは俺のほうへ向き直った。意味ありげにニタリとする。気味が悪い。
「君は、いつ見ても父上に似て男前だね。そっくりそのまま若返らせたようだよ」
急に何を言い出すんだ。気持ちの悪いヤローだ。
俺は自分の容姿のことを言われるのは好きじゃない。どんな容姿だろうが死んで灰になりゃ、みんな同じだろうが。
それに、親父なんかに似てると言われても嬉しかない。
「うるさい」
「ふふふ、照れなくてもイイよ。それはそうと、君は甘い物は嫌いなのかい?」
「ああ」
「残念だね。おいしいのに。女だけ、もしくは男だけしか相手しないのに似ている…きっと君は、人生において半分は損をしているよ。世の中には甘い物も辛い物もあるのに。…あ、茶柱」
ジェンスは湯飲みを揺すりながら覗き込んで言った。…お前の言うことは意味が解らん。
「ティティスに行く仕事が入ったのかい?」
「そうだ」
「そうなんだ。じゃあ、ティティスが中央帝国に攻め滅ぼされたのは知っているのかい?」
「ああ」
「理由は知っているかい?」
少し考えた。逆らったからだろう。それしか知らない。
「逆らったんだろう」
「あのね、帝国は何が目的だと思う?」
俺に聞かれてもな…何が目的なんだ?噂では世界を我が物にしようとしていると聞いているが。
「世界征服か」
「平たく言えばそうだよ。…ここだけの話だけどね」
ジェンスは菫色の大きな目で上目遣いに俺を見、肩をすくめた。あまり声を大にできないことらしい。
「世界中の国々を手に入れようと思えば、君ならどうする?武力にうったえて、滅ぼしてばかりするかい?」
話に間をとったのか、ジェンスは急須のフタを開けて中を覗いた。イイ物でも見つけたかのように一人でニタリと笑う。
「闇雲につぶすだけじゃあ国はモノにはならないよね。廃墟ばかりじゃ、どうしようもないもの」
俺が答えずにいると、そう言葉を継いだ。
そりゃそうだ。国を滅ぼしたなら領地は増えるかも知れないが、つぶさずに征服したほうが得る物が多いだろう。
ジェンスの向かいに腰を下ろす。俺のか、じっちゃんのか分からない、半分残った飲みかけの茶をあおる。すっかり冷たくなっている。
「武力は十二分に持っているとして…いきなり攻め込むのじゃなければ、国を手に入れるには、まず、どうするか…自分に付くかどうかを知らなくてはならない。そのためには、その相手にとって困る手段で…例えば、取られたくないものを要求して出させるとかしてね、どれだけ逆らうか反逆度を試すんだよ」
ジェンスは半ばひとりごとのように言った。
何が言いたいのか解るような解らないような…まあ、ともかく言ってみりゃ、政(まつりごと)というのは下層の俺たちには分からないところで、そんなことが国同士で行われているということなんだろう。
「実例をあげればね、ウチの国ヴァーバルは代々伝わる宝物(ほうもつ)と奴隷と姫君を、帝国へ無条件で差し出した…他にも要求はあったけど、簡単に言うとそれが『逆らいません』という降伏の証なんだよ。解るかい?ティティスは、そこで条件を飲まなかったから、見せしめに滅ぼされたんだよ」
なるほど、意味が解った。だけど、馬鹿でもなけりゃ、つぶされるのが分かっていそうなものなのに、ティティスの王はどうして逆らったりしたんだろうか。そんなに先を読めない馬鹿王だったのか。
まあ、気持ちが解らないでもないな。もし俺がティティスの国王だったとすりゃ、同じように逆らっていたかも知れない。
絵の略図に目を遣る。立派な口ヒゲをたくわえた、なかなか男前で威厳のありそうな顔つき。略図は何も言わないが、この王さんも何か考えがあったことだろう。
宝、奴隷、姫君…その中には何か絶対に取られたくないものがあったのかも知れないが、結果、どれもこれも…自分の生命さえも失ってしまった。
「僕の姉上は皇帝の正室になっているんだけど、そうやって帝国に付いた国の姫君一人ずつは皇帝の妻(おんな)として帝国にいるんだよ」
「人質か」
「今のヴァーバルの発展を見れば分かるだろう?中央帝国に一番、目をかけてもらっているんだよ…我がヴァーバルの国鳥である『烏』には知恵がある。国(み)を護るにはどうすればイイか知っているんだよ」
残酷だな。国の命運と引き換えにか。王女というものは、まるで物だな。
だけど、王族の判断一つで民は右へも左へも転ぶんだから、こっちのほうこそたまったもんじゃない。この馬鹿王子のことを考えればなおさらだ。
我々、民は恐ろしくなる。こんな奴が国主になった時代は果たして大丈夫だろうか?それとも、乱心して世界征服なんてし始めないだろうな…。
「言い換えれば、ヴァーバルの平和は姉上一人で保たれているようなものなんだよ」
頬杖をつき、傾けた湯飲みを見つめながら物憂げに言う。言いながら口端を上げる。
「どういうことだ」
俺の問いかけにジェンスは、さらに口端を上げる。
「姉上が正室でいるからヴァーバルは一番に目をかけてもらえてるけど、もし姉上に粗相でもあればヴァーバルも帝国につぶされる対象になりかねないんだよ。皇帝からすれば、姉上とヴァーバルは一体のものなんだ」
ジェンスの姉はどんな人だか知らないが、こいつの兄レイノルドを思い出すと姉のほうも人間性が心配になるが…。ともかく、すごい大役だな。その両肩に何万の民を、国を担いでいるようなもんだ。
そういや、帝国にいる俺の兄貴は元気だろうか。二十四になっているはずだが、そもそも生きているのだろうか。
道徳としちゃ親の言うことを聞くのが正しいのかも知れないが、帝国信奉者の親父の勧めで帝国兵になって、皇帝の悪事に加担してりゃ、道徳にかなってんだか何だか分かりゃしない。
それとも何か、強く信奉していると悪事が悪事じゃなくなるのだろうか。
兄貴が帝国へ仕官したのが今の俺の歳と同じ十五の時だから、九年前か…ティティスを攻め滅ぼした時には加担したのだろうか。
「ところで、君はエアリアルの所へ行くんじゃなかったのかい?」
そうだった。アルの所へ行こうとしていたんだっけ。すっかり忘れていた。
「あのイヤ〜な大臣も国へ帰ったかな。…いやぁ、まだいるかも。ヒマだから僕も一緒にエアリアルの所へついていってもイイかな?」
片目をつぶってそう言った。
やっぱり客から逃げてやがったんだな。イイのか、第一王子がそんなことで。 ⇒
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