クェトル&エアリアル『血の記憶』#4

(4)


これといって困難もなく、オンに着いたのはヴァーバルを立ってから予定どおり四日目の昼前だった。

オンは首都リザスから離れていてそんなに都会ではないはずだが、そこそこにぎわっていた。暑いさなか、いそいそと往来をゆく人足が途絶えることはない。

路の脇に所狭しと広げられた露店から漂う果物や香辛料のにおいが人いきれと混じり合い、雑然とした街の空気を織り成している。

大声を張り上げる売り子、地元の馴染みらしい軽装の客、熱心に品定めをする旅人たち。これといって物珍しい風景でもないが、それぞれの土地の風情というものがある。

「わぁ〜、あっちは何の店やろ?なぁ、覗かへんの〜?」
アルが俺の服をつかんで引きながら露店の一つを指差した。案の定、コイツは用事そっちのけだ。遊びに来たわけじゃないのだが。

「遊んでいるヒマはないんだぞ」

遊んでいると予定が狂う。アルにも説明しておいたように、渡す物を渡してすぐ元の道を折り返して帰路に就かなくては一日、損をする。

「まぁ、そんなカタいこと言いないな。お前はイラチやな〜。エエやん、ちょっとぐらい。どケチ」
アルは人波の中で立ち止まり、俺のほうを振り返ってふくれる。道行く人間は邪魔そうに見て横を通り過ぎてゆく。路の真ん中で立ち止まっていては迷惑だ。

「じゃ、一人で遊んでろ」
俺の服をつかむアルの手を無理に引きはがして払い、その場に放置したまま俺は人波をかき分けて歩き出した。

「えーっ!ほってく気かいなー?!俺、迷子になって二度と帰られへんやん!ヒドい!困る〜!待ってぇな〜」
アルは驚き、急いで追いかけてきた。

「なぁなぁ。ところで、どこにいてはんの?そのモ…なんやらさんは」
それを今から探さなきゃならないってのに、遊び出しやがったのはどこのどいつだ?

露店のひしめく市を過ぎると、建物を構えた店が続く通りへ出た。

モントの鍛冶屋は大通りに面しているそうだが、さっきから通り沿いの吊るし看板を見続けているのに、なかなか鍛冶屋のものは見つからない。

今日は曇っていて日差しはマシだが蒸し暑さは変わらない。

行けども行けども街は広く、看板は見当たらない。イイ加減、暑くて疲れてきた。そうなると、即刻折り返すという予定にとらわれるのが面倒になってくる。

もうイイ、帰るのは明日にしようか…と、あきらめかけた時、鍛冶の道具をあしらった金属の看板が軒先に取りつけられているのが目に入った。

「あ!あれちゃうん?」

同時にアルも見つけたらしい。自然と顔を見合わせて互いにうなずいた。

「おジャマします〜…」
帽子を脱ぎ、独り言のようにアルはボソッと言いながら木戸を押し開けた。俺も続いて中へと入る。

鍛冶屋といっても店舗のようだ。中はガランとした部屋で接客用らしい椅子と机しかない。

俺たちが入ると同時に奥から男が顔を出した。四十代くらいだろうか。

「いらっしゃいませ」

「こちらにモントという人はいるか」
俺が問うと男は目を丸くした。

「モントさんにご用ですか?モントさんは私の師匠にあたるのですが、今はオンにはいらっしゃいませんよ」

「えっ?オンにいてはらんのですか??」
アルが大きな声で聞き返すと男は大きくうなずいた。いないとは、どういうことだ?

「ええ。今は北のほうにあるヤム村に住んでらっしゃるんですよ」
男の言葉にアルは上目遣いに俺の顔を見た。アルの顔には『どうする?』と書いてある。

いないのなら長居しても仕方がない。男に念を押して確認し、礼を言って店を出た。


「えらいこっちゃなぁ。どないすんねん」

愚問だ。どうするも何も、行くしかないだろ。

アルを伴って店から少し離れた広場へ出る。そこに堂々と根を張る木の根元に座って幹を見上げると、うるさく鳴く蝉が止まっていた。まだまだ夏は終わりそうにない。

俺が地図を広げるとアルがしゃがんで覗き込む。ちょうど見たい部分がアルの陰になった。邪魔だ。

手で追うと、やっとアルは気づいて横へ移動した。

地図ではヴァーバルとの国境にあたる山脈に沿ってリザス領内を北々西へ五、六日上がった所にヤム村が記されている。かなりの山奥だ。人里離れた山沿いを行かなくてはならず、野宿ばかりだという覚悟が要る。

「ホンマ、行くのん…?」

アルは、かぶった帽子の広いつばの下から心配そうに俺の顔を覗き込んだ。心配そうというよりイヤそうに見えるが。行かずにどうしろと言うんだ。前払いでカネをもらっているのに。

俺は地図をたたみ、立ち上がった。

「あっ!どないすんねん?!なぁ、やっぱ行く気なん?なぁ、帰らんの??なぁ、帰ろうや…」

「馬鹿。行くに決まってんだろ」
そう答えると、アルは深刻な顔をして見せた。

「大丈夫なんかいな。俺、イヤ〜な予感すんねんけど…」

アルの言葉を無視し、買い出しへと急いだ。あまり日数を食って帰りが遅いと、じっちゃんが心配するだろう。

それよりもアルを預かっている身としては、アルの叔母さんを心配させては申し訳が立たない…そんなことだから、ボヤボヤしているヒマはない。



………


夜。 少しでも早く目的地へ着くために街では宿を取らず、午後を移動に費やした。

…だが、やはりと言うべきか、野宿にしたことに対してアルがグチグチと口やかましい。こんな奴、つれてくるんじゃなかったな。

「なぁ〜。思うねんけどな、急いでるからってな、何も街を素通りして野宿せんでもエエやん。それとも宿代ケチったんかいな。どケチ〜」

お前のほうがケチだろ。

別に金銭をケチったわけじゃないが、どう取られようと、あえて返答はしないでおいた。多弁の奴と会話をするのも面倒だ。

「蚊ぁは、ぎょうさんおるし、ロクなことないわ」
アルは顔をしかめて手を振り回し、飛び交う蚊を追い払っている。

「あ〜あ、人間らしく、ちゃんとした部屋で、布団で寝たかったなぁ」

うるさい野郎だ。グチばかり言うのなら、ついてくるなよ。

「…あっ!」
アルは荷物を探りながら変な声を上げた。

「何だ」

「あ……いやいや、何でもないよ!気にせんとき!」
アルは片手を振って強く打ち消しているが、ウソの下手な奴だ。気にするなと言われても非常に気になる。

しばしの沈黙。


「なぁ、例えばの話なんやけどな…例えばやで!例えば!本気にしたらアカンで」

「ああ。何だ」

「例えばな、夜になってもて、ウロウロでけへんようになってもてな、飲み水がお椀に一杯しか残ってへんねん。お前も俺もノドが渇いてました。そんな場合、あなたなら、どないしますでしょうか〜?」

「何でそんなことを聞く」

「いやいやいや!仮にやんか!どないするかな〜、思て…」


ノドが渇いているところへ椀に一杯しかない水か。自分は飲まずに、くれてやるか。だが、それをそのまま答えにするのは何となく決まりが悪い。

「そうだな…そこの木にでも飲ませるか」

「木ぃに?せやなぁ、木ぃさん喜ぶかなぁ?……って、まいてどないすんねん!人間は飲まへんのか?!」

楽しそうに騒いでいるが、どうもおかしい。何かを隠している態度と顔つきだ。

「ないのか。水」
蚊遣を火の隅にくべながら投げやりに問うと、アルは目玉だけを上へ向け、上の前歯を出してニターっと笑いながらうなずいた。

「うん!水筒さんがケガしとってな、中身、ぜんぶこぼれとってんで!」
アルは自慢げに言った。それじゃあ、椀に一杯の水もないだろうが。まったく、近くに川も何もないのに。

「まあ、そこは寛大な心でヨロシク。ってゆーか、考えてみたら無理やり野宿するお前が悪いんやろ!」
今度は逆ギレか。始末に負えない奴だ。 



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