クェトル&エアリアル『血の記憶』#6

(6)


すでに遠くの山に日は落ち、夜のとばりを無数の星たちが飾っていた。

予定していた時刻を過ぎ、とっぷりと暮れてしまっていた。だが、まだヤム村には着いていない。もう着くころだろうとアルにも自分自身にも言い聞かせていた。

「もう、今日はあきらめぇな。野宿、もう慣れてもたやん。ここらで寝たらエエやんか」
怖いせいかアルの声は普段よりも変に大きい。

「もう着くはずだ」

「はず、やったらアカンわいな。そない言うてから何時間やねん。お前、実は着く着くボウシやろ」

俺はセミか。ひどい皮肉だな。

細く立ち上る煙を日のある内に見つけ、近くに村の存在を確信していた。これだけ歩いても着かないほうがおかしい。さすがに、もう着くだろう。

明るい月は出ているが、鬱蒼と茂る木々が光を遮ってしまい、森を通る辛うじて見分けのつく細い道も行く先は深い闇の中に沈んでしまっている。

わずかなランプの灯りの外は暗闇に包まれていた。灯りに誘われた虫が、ひっきりなしにたかりついてくる。

「何とか言いィな。黙らんと」
口をとがらせて俺を見る。だが、偉そうに言うわりに目線は臆病さを帯び、態度は小さくなっている。

暗くなってからアルは、おっかなびっくり腰を引きながら、ずっと俺にまとわりついたままだ。文字どおり足手まといなだけだから、怖いのなら初めからついてこなくてもイイだろ。


ふと前方を見ると、塗り込めたような漆黒の中にホタルほどの小さな明かりが一つ、かすかに見えた。

「明かりだ」

「明かり?やっとヤム村に着いたんか?…それか、化け物屋敷…?!」
アルは自分が怖くなるようなことを自分で言って、俺のベルトをつかむ手に力を込める。

化け物屋敷じゃないとは思うが、近づいてみれば正体は判明するだろう。


近づくにつれ、木々の間から見える明かりの数が増えてきた。規模は判らないが、ともかく集落のようだ。

「あっ、家や。やっとヤム村、着いたんかなぁ?」

目をこらすと、窓の奥でかすかな灯りがゆらめく民家らしき物が見えた。灯りがついているということは、まだ住人も起きているのだろう。

手近な一軒の表戸を叩く。

「…どなた様です?」
すぐに中から男の声で返事があった。

「旅の者だ。尋ねたいことがある」

「はい。何でしょうか…?」
男は扉越しに問いかけてきた。戸を開けずに相手が何者なのかを探っているようだ。

「ここはヤム村か?」

「さようですが…?こんな村へ、こんな夜更けに…道に迷われたとか…?」

「いや。用があって来た」
俺がそう答えると、しばらく間があって、遠慮がちに戸が開いた。

外開きの戸が半分だけ開かれ、四十代くらいの男が上半身だけを出した。用心深そうな目で俺たちをしげしげと見ている。こんな夜遅くに訪ねてゆけば怪しまれるのも無理はない。

「そんな所で何ですから、こっちへお入んなさい」

俺たちを見て危険がないと思ったのか、男は半開きの戸を大きく開けて家の中へと招き入れてくれた。

俺のあとに続いたアルが静かに入口の戸を閉めた。

顔を上げると、部屋の中ごろに立っている老婆が視界に入った。薄暗がりでも分かる顔のシワ、その年格好からして、この男の母親といったところか。

老婆は俺と目が合うなり驚愕の表情で目を見開いた。

「…ア、アタシらが何をしたと言うのですか?!夫だけでは飽き足りず、今度はこの子やアタシも殺す気なのですか?!」
老婆は化け物にでも遭ったかのように二、三歩あとずさって言い、震えながら男の前に立ちふさがった。

「母さん!…すみません…母は昔、ひどい目に遭いまして。衝撃で心を病んで、それ以来…。母さん、違うよ。この人たちは大丈夫だよ」
男は、腰の曲がった背の低い母親の両肩をうしろから撫でながら言った。

病んでいるのなら仕方がないが、こっちのほうが驚く。

「いいえ!この兵士が上官に言われて、さっき父さんを!…ねぇ、どうして命令に従ったのですか?人間として恥ずかしくないのですか?そんなに上官が怖いのですか?命令なら理不尽もまかり通るのですね…」
老婆は震える声で矢継ぎ早に言い放った。

俺を誰かと間違っているのか?それにしても、その甲高くて鋭利な声は突き刺さりそうだ。

「母さん、落ち着いて!…すみません、母は記憶がその時から止まっていまして…驚かせてしまってすみません」
男は必死に母親をなだめながら、こちらへ向けて詫びてきた。


こんな時に聞くべきかどうか迷ったが、ここでただ驚いていても仕方がない。モントのことを尋ねなければ進まない。

「こんな時にすまないが、一つ聞きたい。この村に鍛冶屋のモントはいるか」

「モントさんですか?…何のご用ですか?どちらから来なすったんです?」

モントの名を出すと、今まで温柔だった男が急に顔色を変え、明らかにいぶかしんだ。目にも強い疑惑の色が表れている。

「返す物があって、ヴァーバルの首都から来た」

男は改めて俺とアルを上から下、下から上へと観察した。探るようで嫌な視線だ。

「何を返しに来なすったんです?」

見せなくてもイイのだろうが、その視線に何となく負けん気が起き、布包みを開けて細剣を男に見せた。

「この細剣を渡すことを依頼されて来た」

「その赤い房!その剣で父さんを奪ったのよ!」
男に肩を抱きかかえられた老婆が細剣を目にした瞬間、恐れとも怒りともつかない表情で鋭く叫んだ。こちらへ向けている男の目は暗く、表情は険しくこわばっていた。

「依頼ですか…どなた様に頼まれたのですか?」

ずいぶんとくどくどと聞かれる。こんなことならば別の家の人間に尋ねたほうが良かったか。だが、今さら後悔しても仕方がない。

誰に頼まれたと言やぁイイのだろう。俺自身、依頼人の身分も名前も知らない。結局は教えてもらえなかった。

「俺の親父の知り合いだ」
考えた末、そう答えた。それには間違いないだろう。

「…分かりました。ご案内しましょう」
少し考え、男は決心したかのように一つうなずいて言った。目つきが鋭くなったように思えたのは気のせいだろうか。


男は老婆の手を引いて奥へと向かい、戸を開けて何かを呼びかけた。そして、老婆を部屋の中へと促した。

言うことだけ言って気が済んだのか、老婆は落ち着いたようすで取り澄まして奥の部屋へと入っていった。

「さあ、まいりましょう」

灯りを持った男は家を出て、先に立って歩き始めた。

さっきまでついていた家の灯は、すべて消えていた。

肥えた半月が夜陰を皓々と照らしているお陰で、目をこらすと家や畑がかすかに見えている。


そう歩かない内に、村外れらしい一際ひっそりとした場所へ着いた。まばらな木々の間に二階建ての古そうな家屋が建っていた。

「ちょっとお待ちください」

俺たちを家から少し離れた所で止(とど)め、男は入口の木戸を叩く。


ややあって、ヌッと顔を出した男が老婆の息子が持つ灯りに照らし出された。作業着だろうか、白っぽい服を着、首からは手ぬぐいを下げているのが見て取れる。どうやら鍛冶屋のモントらしい。

「あの人がモントさんやろか?」

「そうだろ」

二人は家の中へと一歩入り、何やら話し始めた。戸口には、こちらへ向けた老婆の息子の背中だけが見えている。

「何してはるんやろな…」

本当だ。ずいぶんと待たされる。それに、コソコソと隠れて話をしているようで、こちらとしてはあまりイイ気はしない。


アルは蚊に寄られないように立ったり座ったり、手足をバタバタやり始めた。お前が蚊除けになってくれるから助かる、と言えば怒るだろうか。

見上げれば降ってきそうな星と明るい月。耳には虫の大合唱だけがうるさい。何のことはない平穏な夜だ。やれやれ、どうやら今夜中に片づきそうだ。

空を仰いでいると話の終わったらしい老婆の息子が俺たちを手招きしているのが視界の隅に見えた。

近づくとモントらしき初老の男は、色黒の顔に対比した白眼がちの鋭い目でジロリと俺を見た。白髪混じりの頭、無精髭にも白い物が混じっている。

「こちらがモントさんです」
老婆の息子は手の平を上へ返して初老の男を差した。

「話は聞いた。入れ」
モントは太い声で無愛想に言い、家の中へと消えた。

「では私はこれで」
老婆の息子は頭を下げて、逃げるように帰っていった。アルはかたわらで心配そうに俺を見ている。


開け放されたままの入口を入る。足を踏み入れた途端、熱気に包み込まれた。夜になってやっと退いていた汗がまたにじみ出す。

中は薄暗い。入ってすぐの正面に上がり口があり、板間にかかる梯子が長い影を伸び上がらせている。

玄関から右手奥へ長細く土間が続いているようだ。突き当たりは切り取ったかのように深い闇が口を開けていた。

家の中にある物すべてがススと闇に黒く沈んだ色をしている。

今しがたまで作業をしていたのだろう。炉の炭なのか、奥の暗闇の中にまだ少し赤い物がチラチラと見える。どうりで暑いわけだ。

「ワシに剣を返しに来たんだろ。違うのか」
モントは首にかけた手ぬぐいで額の汗をぬぐいながら、かたわらの丸椅子にどっかりと座る。早く出せと言わんばかりに片手をつっけんどんに差し出してきた。

俺は布包みを開き、モントのすぐ脇の机の上へ細剣を置いた。

モントは横目で細剣を見、それを手に取った。そして、おもむろに抜き放つ。刃にサビも、こぼれ一つもないように見える。

灯りにかざして刀身をながめたかと思うと、すぐに鞘へと収めた。カチリと澄んだ金属音がした。

「たしかに昔、ワシが作ったもんだ。遠路はるばるご苦労だったな」
その言葉は俺たちにではなく剣に向かって言ったように取れた。

俺は布を簡単にたたんでベルトに挿し入れながら、会釈をして立ち去ろうとした。するとモントは机を挟んだ自分の向かいの椅子を目線で差した。

「まあ、かけな」

渡す物を渡し、やっと帰れるつもりでいたが仕方がない。むげに断るわけにもゆかず、俺はしぶしぶ荷物を床へ置き、目の前の丸椅子に座る。

それを見届けてアルも同じようにして俺の隣の椅子に腰を下ろした。

傷んでいるのか、椅子には不快な揺れがある。それに釘の出っ張りもある。どうも長居はしたくない。

モントは机の上の木箱を開け、ゆっくりとキセルを取り出してタバコを詰めた。ろうそくの灯を火口(ほぐち)へ移し、渋い顔でタバコにつけた。

たちまち部屋は吐く煙で充たされた。目にしみる。どうもタバコの煙は好きになれない。

俺は羽織っていた上着を脱いで丸め、荷物に突っ込んだ。

「あんたらはヴァーバルの首都から来たそうだな」
モントは煙と共に言葉を吐いた。さっきの奴から聞いたのだろう。

それにしても暑い。額の流れる汗をぬぐう。

「…三十五年ほど前の話だ」
キセルを持つ手を机の角で休ませながら、モントは遠い目をして静かに口を開いた。 長い沈黙が続いている。奥に見えていた赤かった炭も、いつの間にか闇に溶けていた。

「ヴァーバルの将軍が若干の供をつれて、どこかへ何かの用で向かう途中、この村に立ち寄った。将軍は故国ヴァーバルでは英雄と呼ばれていたそうだ」
まるで昔話でもするかのように、ゆらりと語り出した。モントの低く重い声に耳は自然とかたむいてしまっていた。

英雄か。そういえば三、四十年前、ヴァーバルが戦をしていた時代に勇猛な将軍がいた、と聞いたことはあった。

今、その将軍が生きているのか死んでいるのかは知らないが、生きていたとしても相当のジジイになっているだろう。

「ワシはその時、たまたまオンからこの村へ来ていた。鍛冶屋の駆け出しのころだったワシは、ぜひとも自分の作った剣を英雄と呼ばれるほどの人物に使ってもらいたいと思い、持っていた剣を喜び勇んで献上した」
モントは手にした細剣に視線を落とした。その献上した剣がこの細剣だというのだろうか?

なぜ、そんな話を聞かせるんだ?

「そのあとのことだ。その将軍に村の子どもが些細な無礼を働いたのだ。それに立腹した将軍は子どもをかばいに現れた父親を私刑に処した。自分の部下の、二十歳にも満たない兵卒の一人に命じ、子どもの父親を殺させた。…その若い兵士は命令に従った」

モントは一点を見つめたまま淡々と話した。

あの老婆が言っていたことがこのことなのだろうか。たいして俺と年も違わない兵士がそんなことをやらされたのか。したくないことをしたくないと言えないとはどうかしている。

だけど、人が人を殺めたとすれば、まともな頭でいるかぎり、どれだけつらい人生を送ることになるだろうか。

心を過去の彼方に打ち捨てて氷のように冷血にならなくては、その過ちにさいなまされ続けることは見えている。

悲劇は、その場のみに止(とど)まらず、相互いに後々にまで憎しみと哀しみの波紋を投げかけることだろう。


この、耳をふさぎたくなるような陰惨な話に、俺もアルも返す言葉は見つからない。ただそれを黙して聞くことしかできなかった。

卓上のともしびに馬鹿な蛾が飛び込み、たちまち跡形もなく燃え尽きた。

「しかも、使われた剣はワシの献上した剣だ」
モントも蛾を見たのか、ともしびに定めた視点を動かさず、感情もないままに言い放った。憤り、悔恨、あきらめ…どういう表現も当てはまらないような顔つきをしている。

重ねた年輪を感じさせるその顔を見て、依頼人の爺さんの顔が脳裏に浮かんだ。

一生涯、償いきれない一瞬の過ちか。

そうか、そうだったのか。あの依頼人の爺さんが、その英雄だったのか。それで償いのつもりで、死ぬまでに剣をモントに返そうと思ったのか。


「英雄などというものは表裏一体だ。たとえ故国では英雄だったとしても他国では悪魔のような存在でしかないのだ。英雄という名にほだされた己の浅はかさを恨んだ…奪うだけで何も作り出さない武器などという物に幻滅したのだ。ワシは武器を作るのをやめ、この村に移り住んだ。今は農機具しか作らない。考えてもみろ、武器で何が産み出せる?」

モントは言葉に合わせて憎々しげに灰皿の角にキセルを打ちつけ、灰を空けた。

同感だ。武器を持つから相手も武力で対抗しようとするのだろう。誰も武器を持たなければ、身を護ることも攻撃することも必要ない。武器を持つから使いたくもなるのだろう。

…だが、世の中、きれいごとでは片づかないことも分かっているつもりだ。

その蛮行は手柄を得ようとした兵卒が進んで手を下したものなのか、それとも強要されてだったのか、なぜか無性に聞きたくなった。そんなことは知らなくても良いことかも知れないが。

「その兵卒は進んで手を下したのか」

「さあな。今度会った時、直接聞いてみな」
モントは目も合わさず、突き放すように軽くあしらった。それから目の前の湯飲みを覗き込み、面白くなさそうな面持ちであおる。

今度会った時とは、どういう意味だ?そんな奴に会った覚えはない。それに、こんな話を俺たちに聞かせる理由(わけ)があるのか?

「なぜ、こんな話を聞かせる」

陰湿な話に嫌な気分になっていたが、それはしだいに心の隅に芽吹く言い知れない焦燥感に変わってきていた。それをぬぐい取るように、努めて攻撃的な目線をモントへと向ける。

俺の問いかけに返事もせず、平然と次のタバコをキセルに詰めてやがる。

このジジイ、人の話を聞いてんのか。ジジイのくだらない昔話につき合っているほどヒマじゃないぞ。

俺は床に置いた自分の荷物をつかみ、勢いよく立ち上がった。

「まあ聞け、話は途中だ」
こちらを見もせずに声だけで俺を制した。

仕方なく座り直す。

「この村にはな、昔から先祖の御霊に生贄を捧げる習慣がある。御霊が吸血鬼となって、夏の祭礼の夜に戻ってくると信じられている」
モントはキセルに火を入れた。

胸一杯の煙を吐き出す長い息の音だけが聞こえる。

「ワシがなぜこの村に移り住んだのか教えてやろう。ワシの作る武器を欲しがる輩がよくいる。武器を求める輩をおびき寄せて御霊に供(きょう)するために…争いを好む輩をこらしめるためにワシはこの村に移り住んだ」
モントは一息に語り、再びキセルに口をつけた。

まとわりつく空気に重圧を感じる。息苦しい。

「まあ、あんたの場合は返しに来ただけだろうが、あんたもそいつらと同罪だ」

「どういう意味だ」
俺が思わず聞き返すと、目を上げたモントは口元だけに薄く笑みを浮かべた。

一歩も引かず、互いににらみ合う。沈黙の空気だけが無情にもその間を流れ続けていた。

イライラするような長い沈黙だ。早く言葉を継いでくれ。


「今宵がその祭礼だ」
静かだが、何事にも動かされない口調でモントは言い放った。

なぜか同時に、さっき見た明るい半月、濃紺の空、黒い影だけの森…うつろで鮮明な夜の風景が目に浮かんだ。

「村人がやってくる。すまんがワシはあんたらを突き出さねばならん」
言葉尻を待たず、ドンドンと激しく戸を叩く音がした。

俺たちを突き出す?なぜ、同罪なんだ?俺たちは武器を求めて来たんじゃない。

…だが、考えているヒマはない。

「アル、突っ切るぞ」

「?えっ?ええッ??」

蹴破ったかのような大きい音を立てて乱暴に戸が開けられた。松明を持った薄気味悪い連中が数人、押し入ってきた。

村人だろうか。全員が白い上っ張りを着、顔にはのっぺりと白くて表情のない仮面を着けている。

俺は振り返らず堪に任せて手を伸ばし、突然のことにボケているアルの腕を引っつかんだ。このボンヤリを引きずって逃げるしかない。

…と、一歩踏み出すが早いか、目の前にギラリと光る筋が見えた。ソレの元へと目線をたどらせると……モントが抜き放った細剣を俺の喉元へ突きつけていた。

「なぜ俺たちに危害を加える」

俺の問いにモントは苦笑した。

「何の巡り合わせだろうな、不思議なもんだ。憎しみのお陰で忘れもしない。あの時の将軍と手を下した兵士の顔は。そっくりだ、あんたは、あの時の少年兵の息子だ。息子のあんたに代わりに償ってもらおうか」

何だって?すると、親父がその時の…兵士だったってのか?記憶の停まっているあの婆さんが俺を間違えたのはそのせいか。

なぜだ?これは誰が仕組んだんだ?…それとも、人為ではない巡り合わせというものなのか?

身体の外を内を流れる血の記憶が互いを引き寄せ、こんな形で血塗られた憎しみに終止符を打とうというのか。


喉元の刃に動きを封じられ、たちまち白装束たちに腕をねじ上げられた。

今思えば、モントが俺たちを引き留めたのも、もどかしいくらいに悠長な態度だったのも、こうやって捕らえるための時間稼ぎだったというのか。

「どうするつもりだ」

縄をかけられながら横目でモントを見る。答えは分かっていたが、聞かずにはおれなかった。返事のようにギリッと荒縄が手首を締めつける。

「あんたらには生贄になってもらう」
あんたら?アルもなのか。かたわらのアルを見ると、同じように縄に自由を奪われている。唇をわななかせて白い顔をさらに蒼白にし、信じられないといった顔つきでおびえている。

「こいつは関係ない。息子は俺だけだ」

そう言っても村人は手を止めず、モントは黙って剣を鞘へ収めただけだった。


縄のささくれが手首に擦れる痛みがなければ、夢と疑わないだろう。

後ろ手に縛られ、腰に巻かれた紐を引かれていた。それは、まるで引き回しの罪人のようだ。…いや、村人からすりゃ、俺たちは名実ともに罪人なのだろうけど。

俺のほうがアルよりも隊列の前に組み込まれているらしく、俺からはアルを見ることはできないが、この集団のどこかで青ざめてでもいるのだろう。わざわざついてくるからこんな目に遭うんだ。


沈黙を守るのが決まりなのか、一言も言葉を発する者はない。枯れ枝や落ち葉を踏む音と、村人がつけている熊避けらしい鈴の音しか聞こえない。

あまりにも現実離れしていて、どことなく死者の行列に加えられたようだ。そう思うと、立ち並ぶ日常的な木立も異世界の風景のように映り、生い茂る木々の向こう、暗がりの奥底で何か異形のものがジッとこちらを窺っていそうに思える。

どれもこれも、村人たちの気味悪い出で立ちのせいだ。白い仮面に白装束で生贄を捧げる儀式なんて、どう考えても普通じゃないだろ。

どれくらい歩かされただろうか。繁茂する木々に阻まれて月は空から消えていた。

空も満足に見えない暗闇の細道を過ぎると、目の前にこつぜんと広い空間が現れた。樹木が急に途切れ、見上げれば満天の星が丸い空をうずめている。

空間に足を踏み入れると、侵入者を警戒するかのように木々が呼応し合って一斉に色めき立った。

目をこらして見る。広場の真ん中には水がある。幅が二十メートルくらいはありそうな池だ。中央に辛うじて丸い島影が見えている。その小島は七、八メートルほどだ。

小島には、刑場にあるような杭状の磔柱(はりつけばしら)が数本、横一列に等間隔で並んで立っている。

どうされるかは一目瞭然だった。

島へとかかる橋があるようだ。白装束に追いたてられて粗末な板橋を渡る。それは踏み出すごとに足の下で不安な音を立てた。

なめらかな闇を湛えた水面に松明の灯りが映り込んでいる。

渡りきると目の前すぐに背丈ほどの角柱が並んでいた。村人の一人がいくつかある石の燈籠(とうろう)に灯を入れて回った。対岸から見れば、その小島だけがにわかに明るく浮かび上がっていることだろう。

だが、水の向こうは依然として飲み込まれそうな漆黒に塗り込まれ、目をこらしても何も映らない。手前の明るさに、あちらの暗さがよけいに増したようだ。


柱の前へ着くと、後ろ手に縛られている手の縄を解かれた。

三人がかりでその柱に背中を押しつけられた。目の前すぐに卵の殻のような凹凸のない仮面に穿たれた二つの虚ろな穴がある。何となく中身がどうなっているのか計り知れず不気味だ。

アルを見ると、長い袖をなすすべもなく肩までまくり上げられていた。こいつら、何でこんなことをするんだ?

そうしておいて、ついには柱を背にして再び後ろ手に縛りつけられた。


一通り作業が済むと村人は連なって橋を向こう岸へと渡った。全員が渡りきると、対岸の俺たちのほうへ向かって横一列に並んでかしこまって座った。そして、何度も額を地にこすりつけて土下座し始める。

「ご先祖様、贄(にえ)を捧げまする!どうかお納めくだされ!」
老人らしい人物が畏敬(おそ)れた声で言ったかと思うと、皆一斉に元来た道を逃げるように帰っていった。ネズミみたいに素早い。


柱は鉄だか木だか知らないが、背中や腕にカドが当たって痛い。なぜ不親切に角柱なんだ?

柱の厚みを挟んで縛られているため、かなり無理をしている肩の関節が悲鳴を上げていた。ずいぶんとキツく縛りつけられたな。

「なぁ…俺ら、どないなんねん…」
左隣の柱に同じように縛りつけられているアルがつぶやいた。

「俺が聞きたいさ」

「今度こそホンマの吸血鬼やんか!あー、イヤや!血ィ吸われて干物みたいになって死ぬねんで〜?!お前、嬉しいか?」

嬉しい奴があるだろうか?

何にせよ、抜ける方法を考えなきゃならないだろ。吸血鬼だか先祖の霊だか知らないが、どこから来るのか何なのかもまったく見当がつかないし、これで危機的状況が去ったワケじゃあない。


時おり生暖かい風が頬を撫でてゆく。そのたびに灯が音もなくゆらめき、長い影を踊らせる。

アルを見ると、暗い顔で地面の一点を見つめていた。珍しくむき出しになったアルの腕や脚に目がいった。なさけないほど細い手足をしている。筋肉のかけらもない。

皮膚の病気だとか言っていたくせに、やけに生っ白い肌には出来物や傷、シミの一つもない。

あまりジロジロと見るのも何だか悪い気がしてアルから目を逸らす。


それにしても、何でこんな目に遭わなきゃならないんだ?本当に昔、親父がやったことなのか?人違いでこんな目に遭わされているんじゃないだろうな。

だが、仮に親父がやったことだったとしても、俺が知ったことじゃあない。俺は俺、親父は親父だ。俺には関係ない。

しかし、俺自身、どうしてここまで抗わずに縛られてしまったのだろうか。道中、逃げて夜陰にまぎれてしまうこともできたかも知れないのに。

まあ、俺一人ならともかく、こんな足手まといの奴がいると逃げるなんて無理な話だが…。


親父は、ひょっとすると悔恨の念を無理に胸へと押し込めたままでいるんじゃないだろうか。

『鋼のように強く、氷のように冷たい心』という言葉は自分自身に言い聞かせて、自分自身の心を深い悔恨から少しでも遠ざけるために温情を隠し、冷血な人間になるように努めていただけなのか…?


「…なぁ…」
蚊の鳴くようなアルの呼びかけに俺は我に返った。

「何だ」

「なぁ、吸血鬼ってな、あのブランさんみたいな牙しとって、目ェがギラッと光っとったり…爪が、こうシャキーンと尖っとって、耳も鼻も尖った…黒い服とか着とったりするんとちゃうんか??うわっ!あれ!」
アルが何かに驚いたような声を出した。アルの見るほうへ目線を遣ると、濃紺の空に黒い物影が二、三飛び回っていた。カラスよりは小さい。

「あれが吸血鬼かぁッッ!?」
アルは悲鳴のような悲愴な声を上げた。

ハナっから吸血鬼なんてもんは疑っている俺は少なくともコイツよりは冷静でいることができる。よく見ると、ただのコウモリじゃないか。

「馬鹿。コウモリだろ」

「コウモリ??たぶん、吸血コウモリやでソレ!こう、バサバサーっゆうて来るんちゃうん?!いや〜ん」
冗談なのか本気なのか分からない口調だ。

しかし、別にコウモリはこちらへ飛びついてくる気配はこれっぽちもなく、彼らは彼らで忙しく闇の森を飛び回っているだけだ。

「う〜ん、何や、ちゃうんかいな。…せやったら、吸血蜘蛛やで、たぶん。ヒヒヒヒ、ほれ、肩んトコ、お前のうしろ〜ッ!」

恐ろしいことを言うな!

背後に蠢く八つ足を想像してしまい、途端に寒気がしてきた。背筋がゾクゾクし、肩の辺りが気になって仕方がなくなる。

「馬鹿。そんなもんいるか。縄を解く方法だけを考えろ」

「っんなアホな!せやったら、俺ら何の生贄なっとんねん!生贄ごっこかいな。それか人柱ごっこ?」

人柱とは、シャレか?

そうだな。言われてみりゃそうだ。村人は迷信を信じていそうだが、あの現実主義的なモントがこらしめるためだと言っていたからには何もないわけがないだろう。

もしや、吸血鬼というよりも、野犬や狼の類いに喰わせる気か。それなら分かる。


「うわぁッ!プィーンゆうとる!また蚊ぁ寄って来よった!ぎゃっ、止まっとる!すでにかゆいし!何とかしてくれ〜!」

アルは縛られたまま必死に首だけを振っていた。何をしても騒がしい奴だな。
「ちょー、蚊ぁ叩いてくれッ!もう!血ィ吸うとるしー!肩にも止まっとるし!脚かゆいし!」

血を吸う…もしや、吸血鬼というのは蚊のことじゃないだろうか?

「アル、それが吸血鬼だぞ」

「うっそ〜!じょーだんやろ!こんなん生殺しやがな!はよ、雨上がりのミミズの干物みたいなんになりたい!」

干からびたミミズにはなりたくはないが、蚊が吸血鬼だということは恐らく間違いない。そのために、こうして袖なんかをたくし上げられているんだ。

そう言う俺の手や足の甲にも蚊が止まっていたが、この格好じゃ叩くこともできやしない。文字どおり手も足も出せないじゃないか。

かつてこんな苦痛があっただろうか。様々な処刑があるだろうが、身動きできないところを蚊に喰わせるなんて…ある意味で究極に恐ろしい処刑方法だ。


「せや!お前が蚊ぁで終わらしとるからや!」

「?何のことだ」

「あれやがな、あれ!しりとり、お前が蚊ぁで止めたまんまやろ!せやから、蚊ぁ止まりに来よんねや!」

馬鹿な。本気で言ってやがんのか?見ると、真面目な顔をしている。

「せやから、続きや!かぁやで、か!はよ、ゆえ!」

あきれた。今しりとりをするつもりなのか。

「…そんな場合か」

「そんな場合や!はよ!」

俺は馬鹿らしくて黙っていた。



どれくらい時間が経ったのだろうか。時計も周りの変化もないから判らない。ただ、かゆい所が増えていることだけは確かだ。

掻きたくても掻けないほどツラいものはなく、時間がどうだとか考える余裕もない。

かゆい所に力を入れようが身をよじろうが、いっこうにかゆみは治まらない。気にしないでおこうとすればするほど逆に神経は集中する。

「なぁ。やっぱり蚊ぁみたいな小っさいもんでも、血ぃ吸われ続けたら血ぃなくなってきて干からびてきよるんかなぁ?」

「知るか」

「気のせぇか、何か気ィ遠なってきたわ」

干からびるよりも、おかしくなるほうが先だ。手に足に顔に、黒い糸くずのような物がサワサワとまとわりつき、言わずと知れたあの不快な羽音が耳元を飛び回り続けている。

この羽音、かゆさ…かゆいなんてもんじゃない。感覚もどうにかなりそうだ。かゆいんだか痛いんだか、冷たいんだか熱いんだか分からなくなってきた。


どう考えても、モントの奴が恨めしい。モントだけじゃない。あの英雄のジジイもクソ親父も、何もかもが恨めしい。俺が化けて出てやりたい。

「あ〜、かゆいわ〜。頭ン中もかゆいわ。俺の脳ミソ取り出して、熊手でガリガリ掻いてぇな。半分、欠けてもエエから。いや、脳ミソ入っとらんかも。脳ミソ入ってるか入ってないかは〜、さて〜、御慰ぁみ〜」

おかしくなったのか、アルは変なことばかり言っていた。…いや、いつもどおりかも知れないが。

狂うか、シャレじゃなくて干からびて死ぬか。このまま幾日も放置されるのか?冗談じゃない。

つぶれた蚊だろうか、目尻に何か冷たい物がついた感触がある。まばたきをした時に蚊を挟んだのか。気持ちが悪い。

「…なぁ、起きとる?」
アルが心配そうに問いかけてきた。俺が黙っているから眠っていると思ったらしいが、さすがの俺も、この状況じゃ眠れるわけがないだろ。


と、前を見遣ると、水面の向こうの暗みでホタルのように小さな光が一つ揺れていた。

それは、ゆっくりと近づいて来ているようだ。

あんな光が見えるとは、ついに俺まで狂ったか?

「アル、あの光が見えるか」「目ぇに蚊ぁ入ってしもて蚊ぁしか見えんわ。視界は全部、黒と白のシマシマやねん。お前、光なんか見えるんか?ほぼ幻覚やん。おそらく頭おかしなったんやで、ソレ」

アルを見ると、たしかに目をつぶってクシャクシャの顔をしている。

もう一度、光のほうを見ると、闇に浮かぶ光の正体は…ランプだ。どうやらモントのようだ。

何しに来やがった?

「御霊は来たか?」
モントは対岸の橋のたもとで立ち止まって皮肉混じりの声で言った。嘲笑いに来たのか?

つもり積もっていたありたけの恨みを目線に乗せてモントをにらみつける。すると、モントはニヤリとしたように見えた。

「あの話には続きがあってな、それを話しに来たのだ」
そう言って橋を渡り始めた。

板橋をきしませてこっちまで来ると、モントは自分の腰の道具袋から小刀を取り出してアルの縄を切った。

さっそくアルは身体を掻こうとした。

「いたたッ」
だが、すぐに悲痛な顔で肩を押さえた。そりゃそうだろう、長時間うしろ手にされていた関節をすぐには戻せない。

モントは続けて俺の背後へ回って足首と手を縛めている縄を切った。

瞬時に身体は自由になったが、無理していた肩の関節が痛む。代わりに足の先を使って届く範囲を掻くが、非常時でなけりゃ人には見せられないようなみっともない光景だ。


モントに対して疑問が先に立ち、さっきまでの怒りは消えていた。

なぜ助けるんだ。もう生贄にならなくてもイイのか?

「蚊が寄って来る。歩きながら話す」
そう言ってモントは灯籠の灯を念入りに消して回った。闇が拡がり、一気に灯りはランプだけに収斂(しゅうれん)された。


モントは橋を渡り始める。肩をかばいながらそっと手の甲を掻いていたアルは、たどたどしく靴に足を突っ込んでモントを追った。俺もそのあとへ続く。

うしろを気づかうこともなく先々と歩くモントの持つ灯りを目指してついてゆく。

「蚊を殺すなよ。この地方で蚊は先祖の御霊だからな。また生贄になりたくなければな」
振り返りもせずにモントは言った。

「もう生贄は終わりか」
俺が問いかけてもモントは答えなかった。黙したまま先に立って歩き続けている。左手にランプを持ち、抑止のためか右手には依然として抜いたままの小刀がにぎられている。そのうしろ姿に隙はない。

小さな灯りだけじゃ、うしろの俺たちは足元もロクすっぽ見えやしない。時おり木の根に足を取られそうになりながら、足の速いモントについてゆくのが精一杯だ。

アルは案の定、俺の上服の裾を固くにぎりしめてキョロキョロしながら歩いている。


どれだけの時間、沈黙が続いただろうか。モントは黙ったままで、その話の続きというのを言い出そうとはしなかった。

景色は移ろわず、深い木々の茂るさまは坑内を歩いているみたいだ。生まれてくるのも死んでゆくのも、ちょうどこんな感じなんじゃないだろうか。暗くて淋しくて、救いようもなく孤独な一本道で。


何だか分からないが、その話の続きというのを聞きたくはなかった。

それは親父のことなのだと、おぼろ気ながらも確信していた。しかも、俺が知りたくない部分のような気がする。…知りたくないというよりも、それは知ってはいけない親父の誇りの部分とでも言おうか。

「聞きたくなさそうだな」
振り返りもしないままのモントは見透かしたかのように言い、ランプとともに鞘を持っている左手へ右手を寄せ、刀身を静かに収めた。

「もう三十年以上も経つのにもかかわらずな、その少年兵だった男は詫びのつもりなのか、今でも私刑に処した父親の一家にカネを持ってくるのだ。そんなものでは償いにもならんのにな」

さっきまではハッキリとした輪郭を持っていなかった思いが、手に触れられそうなほど確かな感触になってしまった。

何も言えなかった。

「はは!あんたは知らなかったのか?どうしてだろうな。息子は一番の好敵手だから弱みを見せたくなかったからか?」
モントは言い、カラカラと笑いながら灯りを消した。いつの間にか空は薄明るくなっていた。


夏の終わりを告げる蝉が讃歌のように鳴いている。

まだ、うまくは鳴けていない。







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