クェトル&エアリアル/翡翠の悲歌

クェトル&エアリアル

第6話『翡翠の悲歌』
 





第8話『追憶の微睡み』  それを戯れに指でつまむと、ぐすりと割れてしまった。こんなに脆いものが身体を支えているのかと不思議に思う。 どれだけ立派だった男も、たやすく崩れてしまうだけの白い残骸しか残らない。そこには地位も名誉もない。くだらない、本当にくだらない。 どういうふうに生きてきたかなんてどうだってイイ。残るのは、残された者たちが持つ客観的な過去だけだ。 頭骨の空虚な穴を見て、初めて死というものを実感した。 だけど、死を実感したところで何だというんだ。悲しいという感情なんて涌いてこない。 ただ、自分の心は冷たく凍りついているのだ、と感じただけだった。 今日は、結構ぬくい。 廊下に差し込んだ午後の光のおかげで、時間がゆっくり感じられるような気がするのは、ただの気のせい? 窓を見上げると、真冬にしたら、やけに青くてキレイな空が見えた。ちぎれた雲がプカプカ浮かんどる。 雲っていうもんは、ながめてると何かいろんな物に見えてくるから面白い。今でも、ドーナツやったのんが風に流されて今度は焼きいものように見えて……と、おなかがすいてることを思い出して食べ物のことは頭から追い出した。 今日はラダ家の屋敷に来とった。 俺に用事があって来たわけじゃなく、クェトルとクェトルのじーちゃんにつれられて来ただけ(……ってゆーか、俺が勝手についてきとるだけやけど)。 ラダ家は、ヴァーバル城下の移民街屈指の大富豪で、主人が収集家で有名やった。 まぁ、ウチの家も移民やから、ラダ家とは多少なりとも付き合いはあるけど。 せやけど、俺はここの一人息子のダフが大嫌いやった。もー、なんてゆーか、イケズもイケズ、大イケズなヤローで、顔合わすたびに嫌がらせをされとった。 どんな嫌がらせかと言うと、育ちが良くて繊細な俺なんか心に傷を負って立ち直れなくなるような内容や。聞くも涙、語るも涙、ブロークンハートが、しくしく痛い。 そういうワケで、ホンマはこんな家、来たくないんやけど、何となく成り行きで来るはめになったわけや。……と、自分が頼み込んで勝手についてきたのは棚に上げてみる俺であった。 ちなみに、クェトルのじーちゃんとこは口利き屋をやってる。せやから、草むしりから手紙のお届け、買いつけ、はたまた護衛まで幅広く、悪事以外は何でも引き受けとった。 言うてみたら、何でも屋、便利屋ですわな。 その仕事の中で俺でもできることを手伝わせてもろとった。まあ、俺なんかオマケってゆーか、むしろ邪魔してるだけっちゅーんも自覚してますけど。 で、今日はラダの主人に頼まれとった買いつけの品を届けに来たというわけですわ。 ところで、じーちゃんと主人が何か話があるそうで、さっきから俺らは廊下で、ずーっと待たされとった。俺らっていうのは、クェトルと俺です。念のため。「なぁ。まだなんかいな」 退屈に負けた俺は空を見ながらひとりごとを言うた。 日ぃは暖かいけど、床は氷みたいに冷たい。地べたに座っとると、おケツが風邪ひきそうや。しかし、『おケツが風邪をひく』っちゅーことは、どういうことやろか? くしゃみするんか? おナラか? ……おっと危ない! 危うく真剣に考えそうになった寸前で現実世界に戻ってきた。「なぁ。ヒマやから、かくれんぼしよ」 俺が提案したらクェトルは眉をひそめて、いかにも迷惑っぽいイヤそうな顔をした。 まあ、コイツは、だいたい俺がなに言うても、めんどくさそうでイヤそうにするけど。 寒がりが寒そうにしとるから運動したら温まる思て親切で言うたったのに、分からんのかいな俺の親切。 ……いや、かくれんぼしても温まらないような気がしてきた。隠れてたら、むしろ寒いんと違うやろか?「俺が隠れるから、お前、探してや!」 俺が言うとクェトルは、あきれた顔をした。これは絶対にかくれんぼに参加してくれなさそうな顔や。目線が『やめろ』と語っている。 俺は「エエやん」と言いながら手近なドアの取っ手を回した。 どうせ鍵かかっとるやろと力いっぱい回したら、意外に軽くて不意討ちを食らった形になる。 開けたとたん、新しく建てた家みたいなにおいがした。 さっそく首突っ込んで中を見渡す。応接間みたいな部屋やな。真っ正面の大きいガラス窓から中庭が見える。 分厚いカーテンは窓の脇に寄せられてて部屋は明るい。 木の長い机をはさむように革のソファが二つ置かれている。 壁ぎわにはガラスのはまった豪華な戸棚。中には珍しそうなお酒のビンが並んどった。 それはもうムダに高級そうで、並んどるだけで憎たらしい。まあ、持ち主が持ち主やから、そういうふうに見えるんかも知れんが。ほうきの柄で割りたくなる俺って悪趣味? さんざん観察しといて何なんやけど、俺ってホンマは謹み深いから勝手に入るのも心苦しいて「失礼します〜」とだけ言うて部屋にお邪魔した。 部屋に入ると廊下より暖かく感じられた。 クェトルのほうを振り返って、「五分後ぐらいに探しに来てや!」と念押しして戸を閉めた。 ……なんか、探しに来てくれなさそうな気もするけど、まあイイわ。かくれんぼより探索のほうが面白なってきた。こーゆーのって背徳的でゾクゾクする。 物語とかやったら、こういうシチュエーションでカッコいい主役が、館の主人の悪魔的悪事をあばいたりとかしそう。 それとか、部屋を探索してたら戸棚のうしろに知られざる第三の地下室とかがあって、地底城へつながってるとか。 う〜ん、ロマンだねぇ。 と、その時、戸の外で声がした。「この部屋には入らんといてくれはるか。あっちで待っといてくれ」 ラダのオッサンの声や。たぶんクェトルが言われたんやろ。 ってゆーか、ラダのオッサン、この部屋に入ってくるんやろか?! 勝手に入っとるんがバレたら何を言われるか分からん! ヤベっ! 隠れんと! 俺は急いでカーテンの向こう側に飛び込んだ。 と同時に、ガチャリと戸が開いて人の気配がした。俺は思わず針のように細くなったつもりで、一生懸命カーテンと同化した。「オヤジ、話って何や」 あの声はダフや。オッサンだけじゃなくダフまで一緒なんやな。く〜、声を聞いただけでもゾッとするわ! ソファに腰かけるらしきギシリという音が聞こえた。勝手ながら、あんまり長居せんといてほしいのですが。「あのな、お前も知っとるとおり、あのレン爺さんのことなんや」 じーちゃんのことや!「ああ、分かっとるがな。なかなか首を縦に振らんのやろ」「そや。ワシとしたら何としてもメリサの宝剣を手に入れたいんじゃが、それだけはナンボ金積む言うても強うに断りよるんや」 メリサの宝剣? じーちゃんがラダの主人にしつこく頼まれて困るって言ってたような気がする。危険な仕事やから受けられんらしい。 そのことなんやろか?「意固地にならんと他の奴に頼んだらエエやろが」「アカン。ワシにも意地があるんや。何としてもアイツにやらせたいんや。それに、ワシは人が困るのを見るんが好きな性分やからな」 ダフは鼻で笑って「ホンマじゃ」と同調した。 なんつー性格悪い親子や。今にバチ当たるわ。つか、バチ当たれよ。「で、オレは何したらエエんじゃ」「あのレンの小倅、あれをうまいこと挑発でもして、言いワケ立たんようにしたいんじゃが、お前、できるか?」 クェトルのことや! じーちゃんが宝剣の話を断れんように、言いがかりをつける材料にするつもりなんやな! いやー、やらしっ!「まあ、単純な奴ちゃうけど、うまく挑発したったら乗るやろ。それに、オレとしても、いっぺんやったりたかったんじゃ」「ほな頼むわな。あんじょうやりや」 部屋を出て行った気配、戸を閉める音がした。 ってゆーか、どーしたらエエんや!? そや! クェトルに、はよ知らせなアカン! けど、オッサンが部屋に残ってタバコ吸うとるみたいやから、ドアから出るわけにイカンし。窓をガラガラ開けて出るわけにイカンし。 見つかったらマジでヤバい。何も盗ってなくてもドロボー呼ばわりされそうやし。わー、どないしょー?! ポケットをさぐる。あいにく、なーんにも入ってない。くそっ、小石ぐらい拾とけば良かった。 ふと、自分の足元を見ると、硬貨が落ちてた。う〜ん、これなら使えるかも。 そーっとしゃがんで拾う。 一か八か、ちらっとカーテンから顔を出して覗く。うまい具合にオッサンは背中をこっちに向けてるようや。 よし、と自分の中で小さく気合を入れて硬貨を投げた(本当は投げずに、自分のポケットに入れたかったけど)。 ねらいどおり、ソレがオッサンの向こうの床に落ちた音が聞こえた。「ん?」 オッサンは硬貨の音に気を取られて立ち上がったみたいや。 俺は、そーっと窓を開けて乗り越えた。一階で良かったと、つくづく思う。 中庭に下りると素早く窓を閉め、横っ飛びに窓から離れた。我ながら迅速な行動やったと思う。俺でも、やろうと思たらできるんやなぁ。 さておき。人ん家の構造なんかイマイチ分からんけど、何となく中庭をぐるっと回ると、さっきの廊下の外へ着いた。 ガラスに顔をくっつけるようにして中を見ると、さっきの場所から少し離れた場所で、退屈そうに壁にもたれて座っとるクェトルが見えた。 窓ガラスを叩く。「ちょっと! ちょー、開けて」 それに気づいたクェトルは、けげんそうな顔して立ち上がり、めんどくさそうに窓を開けた。「馬鹿、何してんだ」「バカでも何でもエエわぃな。も〜、それっどころちゃうねん! あのな、今さっきな、俺、あっちの部屋におったやろ? その時な、オッサンとダフが、あの、じーちゃんと、お前に」 一生懸命に説明するんやけど、解ってくれなさそうやった。って、言っとる俺にもワケ解らんし! 頭ン中は真っ白になってしもて、説明するどころちゃうかった。でも、はよ、はよ言わな間に合わんようになる! でも、何から説明したらエエんや?!「オレが何じゃ」 げげっ! その本人が来た! ダフはニヤっと笑っている。 俺は急いで窓を乗り越えて廊下側に入った。「クェトル! コイツとオッサンが、お前をワナにハメる相談しとったんやで!」「ワナぁ? 人聞き悪いのぅ。ワレこそ、どこで聞いたんじゃ、オイ」 言われたとおりで、俺は言葉に詰まった。言うてみれば、ドロボーに入った先で犯罪の相談してるのんを聞いて、それを密告しようとするようなもんですなァ。こりゃ、一本取られた。 ……って、感心しとる場合とちゃうかった!「ともかく! コイツの挑発なんか乗ったらアカンで!」 クェトルは俺を一瞥しただけで、すぐに視線をダフへと移した。「オイ、ワレとこの爺さん、あこぎな商売してオヤジたぶらかさんといてくれるか」 ダフはニヤニヤしながら、あいかわらず傲慢不遜な態度で見下して言うた。 ところで、『傲慢不遜』の意味を言えと言われても分からへんねんけど。でも、まぁ、そんな言葉が似合う感じや。 俺は、かなりムカついてきた。「たぶらかすー?! 逆にアンタの父さんが、じーちゃんたぶらかしとるやんか! めちゃくちゃ言うとるらしいし」 ハラ立った勢いで、思わず割り込んで言い返しとった。 しかし、当の本人クェトルはといえば、黙ってダフを見据えとるだけ。しかも、ほぼ無表情で。 ダフは、どう生きてきたらそんなに性格悪そうになるんや、というぐらい意地の悪い顔をしている。「それとなぁ、ワレのオヤジ、死んだんやってのぅ」 人の親父が死んだってゆうのに、この言い方。なに考えとんねん。ムカつくを通り越して、あきれるわ。いくら非常識な俺でも、さすがにこんな発言はせえへんで。 俺はハラ立ってるんやけど、クェトルの顔を見ると眉ひとつ動かさんと冷ややかな表情のままダフを見据えとる。この人に感情というモンはないんやろか? それとも、ダフの言葉が通じてないとか? って、そんなことは、どーでもイイねん! はよ何とかせんと! こんな非常時は、じーちゃん置いてでも、はよ帰ったほうがエエ。「行こ。帰ろ。なァ」 俺はクェトルの腕を強く引っ張った。 引かれるに任せ、しぶしぶといった感じで何とか俺にしたがってくれた。 俺は警戒しながらチラリと振り返ってみた。 ダフは様子を窺う、ってゆーか、顔色を窺うように間を置いている。絶対に、たくらんでいる! だって、ニヤニヤ以外に形容のしようがない表情なんやもん。「オヤジ、地位をカネで買うたらしいな。まぁ、それでも黒騎士ふぜいやけどな」「何だと」 クェトルの目つきがスッと鋭くなった。ただでさえ目つきが悪いのに、めっちゃ恐ぇ〜。 せっかく帰る気になって背を向けてたのに、向き直ってダフをにらみつけ始めた。 とっさに俺は間に入るような形でクェトルを押し留めた。「なぁ、もう帰ろって! こんなヤツ、何も相手なることないやんか」 俺は力いっぱい押し戻しながら説得する。でも、本人は動く気ゼロ。むしろ一触即発という難しい単語が頭をよぎる。 超ヤバい。いくらクェトルが冷静でも、こんなウザい野郎を相手にしとったら、ぶちキレるのは時間の問題やし。 はよ、この場を離れんと! ……てか、もう手遅れかも? ダフはといえば、下目遣いに嘲笑っとる。作戦どおり巧く焚き付けてやったと、ほくそ笑んどるんやろか。性格悪いのんも、ここまできたら勲章モノやな。 どんなハラ立たしい言葉がダフの口から飛び出すかとヒヤヒヤしつつも、もうどうしようもないような、いわゆる諦めの境地に入ったような具合や。 俺は、もう知らん。「まぁ、臆病モンのお前なんか、カネつかまして騎士になるどころか、爺さんの下劣な生業(なりわい)を手伝うとるほうがお似合いとちゃうんけ」 カチンとかプチンとかいう音が聞こえてきそうやった。「アカン! ハメられとるんやで!」 俺の力なんかで抱き留めたってアカンのは分かっとるけど、力の限りしがみついた。 しかし、無言で振りほどかれるのんが早いか、その拳はダフの顔面をどストライクに捉えていた。 俺が引っくり返るのんと、向こうのほうへダフがブッ飛んだのが同時やった。 事態の大きさに、さーっと背中全体に虫が這うたみたいになる。「あほッ! 俺、知らんで! 止めたのに!」 俺は裏返った声で叫んでた。 しかし、火のついた野郎たちに俺の叫びなんか届くわけなかった。「なんなワレ、やるんけっ!」 そう口にしたダフは手の甲で鼻血をぬぐいながら起き上がり、クェトルに掴みかかった。 情けないことに、非力で無力な俺にはどうしようもなかった。ただ見てるしか。 そらそやん、考えてもごらんなさい。背ぇの高い立派なアンちゃんが二人、マジで殴り合っとったら、そんなん、華奢で上品な俺が中に入って止められるわけないやん。 ってゆーか、むしろ巻き込まれそうで、そばで見てるだけでも怖い! 上になり下になり、目も当てられん取っ組み合いになっている。廊下に飾ってあった絵、おあつらえ向きの高そうな彫像が散々の粉々や。 目を閉じたって目の前の現実が消えるワケでもないのに、俺は目をつぶってみる。 この事態、なかったことにならんやろか……?「こらっ! 何してんだ!」 どこからともなく、じーちゃんが走ってきて二人を引き離した。たしか七十前やったはずやけど、気合いやろか。ぴっちぴち十六歳の俺より力強かった。 って、感心しとる場合と違うかった!「なんちゅーことしてくれたんや! エアリアルはん、いったい、どうゆうことですのんや?」  廊下の向こうから大声で叫びながら酒樽みたいなオッサンが走ってきた。ラダのオッサンや。 てか、いきなり矛先は俺ですか!? 冷や汗が背中を走る。冷や汗っていうぐらいやから、背中の下のほうからゾワゾワと冷たくなってゆくのんが分かった。 引き離され、それぞれ抱き留められている当の本人らは、肩で息をしながら、まだにらみ合っとる。 ちょうど、この前のお正月に見た闘鶏のように殺気立っとった。怖い。放したら、まだまだやりそうや。「アル、いったい、どういうことなんだ」 じーちゃんまで俺を責め立てるんかいな。 俺は床に座り込んだまんま上目遣いに、じーちゃんとオッサンを交互に見た。何て言うたらイイんか、言葉が出んかった。「アイツがいきなり殴りかかってきたんじゃ」「なに言うてんねん! ちゃいますよ! ケンカ売ってきたんはダフのほうです!」 ダフの言葉に俺はムカッとして思わず言い返す。 何だか分からない、気まずい沈黙。「ウチの倅が、とんでもないことをいたして申し訳ない! おい、お前も!」 じーちゃんは床に手をついてオッサンに頭を下げた。自分の横に座らしたクェトルの頭を押さえつけて強引に頭を下げさす。 何で?! ダフの野郎が全面的に悪いのに!「そのとおりや! ウチの息子と、この有り様、どないして責任取りますのんや?」 その言葉に自然と周りに目が行く。 まあ……スゴい有り様なのは否定でけへんなぁ。だって、嵐の過ぎ去ったあとみたいになっとるんやもん。 石でできた彫像とか超バラバラ粉砕やし、絵ぇなんか修繕不可能なぐらい穴が空いてますがな。 ここまで徹底的にめちゃくちゃやと逆にすがすがしいのは何でやろか? そのバラバラ粉砕の現場を改めて見て、俺は人知れず胸中で『う〜ん、たしかに』と考え込んだ。 ……つか、考え込む必要なんかない。言うまでもなく、悪いのはダフやないか!「それに、エアリアルはん。アンタ、止めもせんと、ボーッと何してはりましたんや?」 また矛先が俺にきた。「ちゃんと止めたつもりです!」「言い返さんでよろしい。つもりやったらあきまへんやろ」 ラダのオッサンは太った身体を揺らし揺らし、身振り手振りを交えて言うた。 そら、言われたとおりや。でも、止められるわけないやん。それどころか、あまりの恐ろしさに大小同時に失禁するとこでしたわ。 つか、こんなことやから、はよ帰っといたら良かったんや。「どちらにしても、人に傷つけて、オマケに人の屋敷のモノ壊して、ただで済むワケないんは心得てはるやろな?」 ネチネチやらしい顔で、じーちゃんに詰め寄った。じーちゃんは申し訳なさそうに頭を下げる。「ご主人、私は、どう責任を取らせていただいたらよろしいか?」 じーちゃんの言葉にオッサンは思案顔になって目線を転がした。 何を思案することがあるっちゅーんや! しらじらしさにもほどがあるわ。責任の取らせ方なんか初めから決まっとるくせに!「せや、こうしまひょ。これやったら気ぃも収まりますさかいにな」 今の今、思いついたように言ってポンと手を打った。「あの、前からお願いしてたメリサの宝剣、手に入れてきてもらいたいんじゃが、どうだす? 手ぇ打ちまっせ」 やっぱりそうきた。やらしいオッサンや。「それだけは勘弁していただけませんか……?」 じーちゃんは青ざめた。 ラダのオッサンは無言で首を振る。 クェトルはキッとオッサンをにらみつけて拳を構えた。それをじーちゃんが押し留める。「おーこわ。どういう躾してはるんやろなぁ。親の顔が見たいですわぁ」 『それはアンタのことやろ!』と俺は思わずツッコミそうになった。ノドを過ぎ、口をついて出そうになりましたとも。「そこを何とか」「いいや、一歩も引きやしまへんで」 じーちゃんの必死の頼みにも、ゆずるようすはない。オッサンは見苦しい身体をゆっくりと動かして全員を見回した。「ついて来なはれ」 クェトルと俺はオッサンのコレクション部屋につれてこられた。 あの応接間にあったような戸棚があった。それから壁には飾り用らしき剣や槍がぎょうさん並んどる。 武器とか並べとる人って、だいたい悪趣味やと思う。だって、ソレって人殺しの道具じゃないですか。 大きな窓はなく、明かり取りの小さな窓がいくつかあるだけ。どうやらドロボウに入りにくいようにできた部屋みたいや。 応接間との決定的な違いがある。それは、警備する人付きってことやな。入り口の外に立っとった警備人が一人、中までついてきた。 そんなに盗られるのが心配なんやったら、いっそのこと収集をやめたらエエやん。ほぼアホやん。金持ちのオッサンがすることは意味分からん。 オッサンは戸棚の引き出しから、白い布に包まれた物を出してきた。ちょうど大人の片腕ぐらいの長さや。「これですわ」 オッサンは『見んかい』と言わんばかりに自慢げに、テカテカした布の包みを開き始めた。 布が剥がれていくと、鏡のような物が次第に現われる。 ものすごく磨き込まれた美しい剣が出てきた。それはもう、剣型の鏡かと思うぐらいツルツルや。夕暮れの色が映り込んでる。 しかし、なぜ鞘に入ってないんやろか? 剣っていうから、固定概念で鞘に収まっとるものやと思ってた。「剣、いう物は鞘があってナンボや。抜き身で護るモンがないんは、どうもよろしゅおまへん」 俺の心ん中の疑問に答えるかのようにオッサンが言う。 つか、まさか、メリサの宝剣を手に入れてこいって言うんは、鞘だけなんやろか?「もしかして、これがメリサの宝剣なんですか?」「ほぉ、意外に察しがエエな。いかにも、これが宝剣や。ただ、混乱の中、刀身と鞘とが離れ離れになってしもとるんや。おお、かわいそうに、きっと鞘もワシんとこに来たいハズや それはどうだか、と思ったけど、口に出すのんはやめた。「さて、その問題の鞘はどこにあるんでしょう。…答えはやな、ネゼロア山の麓に住んどるマダンという男のところなんや」 だから何やねん。もったいぶって、このオッサン。アホかいな。 ……と、チラッとクェトルを見やると、さっきからずっと無言な上に無表情やった。コイツ、もはや外界から遮断されたようなヤツやな。「だから、その人の所まで行って譲ってもらってきたらイイんでしょ」「そや。マダンにカネを出せと言われたら、ヴァーバルのラダがいくらでも出す言うとったと伝えぃ。ナンボでも出したるわい!」 オッサンはワッハッハと笑った。 ネゼロアはヴァーバルの東隣の国、エトランタとを分ける国境にあたる山脈の名前やった。 俺らが住んでるのはヴァーバル領の中でも王都のある街で、ちょうど領地の真ん中にある。国境のネゼロア山までは片道七日かかる距離や。 クェトルと俺は、ヴァーバルとエトランタの国境へ向けてひたすら歩いとった。 もうあれから六日も経つのに、あいかわらずクェトルは必要最低限以下しかしゃべらん。マジでやりにくい。俺が一人でしゃべってても悲しいだけやし。 視界をさえぎる大きい山も何もない。百年も二百年も昔に造られた街道が原っぱの真ん中を通ってる。 ハァ〜、単調で飽きてきた。まぁ、遠くに見えとったネゼロア山脈も、今は見上げるぐらい近くになってきたのんだけが救いやな。 時々、冷たい風が吹き抜けていって、思わず外套のえりを立てた。 よりによって一年で一番寒い季節に旅をさせられるなんて。まぁ、暑かったら暑かったで俺は文句を言ってそうな気もするけど。 しかし、ネを上げてもいられない。なんせ、じーちゃんが人質状態やから。俺らが帰るまでラダ家で囚われの身となっている。 こーゆーのって法に触れへんのやろか? ……いやいや、ソレを言うとったら、人ん家で暴れるのんも法に触れてまう。そこは暗黙の了解ということで内密に。 ところで、認めたくない事実がここにある。 マダンという男がメリサの宝剣の鞘だけを持っていて、その鞘を手に入れに行くことが、どれだけ危険か、ということや。 マダンという人は知る人ぞ知る悪名高い幻術師で、その人の屋敷へ近づいたら最後、みんな帰ってこなくなるらしい。 てか、めっちゃイヤやし! って、そんな単純な言葉で片づけられんぐらいイヤやねんけど、それしか言いようがない俺のボキャブラリー。 そもそも、幻術師ってどんなんやろう? やっぱり変な術を使うんやろか。 ……それにしても恨めしい。帰ってこれんかも知れんとこに行くのんは勇気がいる。いっそのこと、知らんぷりして逃走をはかりたかった。 でも、逃走できんように人質を取ったんやろな。巧いことやりよるわ! 死んだら絶対にラダの親子の所に化けて出てやろうと企てるのが俺の唯一の楽しみになりつつあった。 むしろ道中の励みになっている。 ひひひ、どこがエエやろか。やっぱ夜な夜な寝室に出るのんが精神的ダメージが大きいと見た。それか便所かな? 今から楽しみになってきた! 俺って意外に陰険やな。 ……と、クェトルの横顔を見る。 鼻筋の通った、なかなか端整な横顔。俺のヤケクソな思考をよそに、苦々しく眉間にシワを寄せて風に細めた目は厳しく、口は一文字に結んだまんまや。 俺は不必要なことはベラベラしゃべるけど、俺と違ってクェトルは何も言わんし顔にも出さんから何を考えとるんか分からん。 だいたい、なんであんな些細なことでケンカを始めたんか解らん。…いや、些細でもないか。 この人、普段は冷静っぽいけど、基本的にめっちゃ負けず嫌いやからなぁ。 何にせよ、言葉では何も語ってくれへんから、俺には理由がイマイチ解らん。いろいろ詮索してはみるけど、結局は堂々めぐりでめんどくさくなって考えるのをやめてまうのであった。 まず俺には、男の無駄な闘争心っちゅーのが解らん。別に澄まして終わらしとったらエエようなことでもわざわざケンカする神経が解らん。 お育ちが良くて、おりこうで、上品で優しい俺とは精神構造が違うだけなんやろか? 六日目。日ぃも暮れかかったころ、ネゼロアのふもとに一番近い街に着いた。 わりと大きい街で、にぎやか。泊まるとこも、よりどりみどり状態。大通りにある超豪華な宿から、ひっそりと裏通りの裏にあるような汚い宿まで色々や。 ちなみに、俺がケチって超安宿を選んだ。それはもう不景気で、錆びた看板がギコギコゆうとる。 しかし、安いにこしたことはない。雨風がしのげればイイのである。 そう。こういうことの積み重ねで家計は助かっていくのだ。……って、どこかの理屈こきの勇者が言いそうなセリフやなぁ。 宿賃を先払いし、不景気を絵にしたような顔の宿屋の主人に幻術師マダンのことを聞いた。「何っ?! マダンに会いに? ダメダメ、悪いことは言わない。やめたほうがイイぞ!」 目ぇむいて、鼻息荒く、猛牛みたいな顔でダメダメ言われてしもた。「十日ほど前にもな、強そうなアンちゃんたちが、アンタらみたいに幻術師マダンに会いに行くって言って、結局、戻ってこないんだ」 オッサンは、身ぶり手ぶり激しく、それはもう熱く語る。 顔にツバが! しかし、ただでさえ不安やのに、そんなん聞いたら、ますます不安が加速するわ。「帰ってこない人らは、一体どうなったんですか??」「ウワサだけど、遠くの国へ売られていったヤツがいるとか。まぁ、悪いことは言わないよ。やめることだな」 寝始めるころにはビュービューと風が吹いてた。壮絶に古宿やから、スキマ風が尋常じゃないぐらい寒い。 結局、あれからゴリ押しで宿屋の主人にマダンのことを聞いた。 幻術師マダンは、この近くの山中にほったらかしになってた古い屋敷に、いつのころからか住み着くようになったらしい。 そんなんやから、山に近づく人はおらんそうや。 そやけど、何の目的か、バカなヤツらが訪ねて行っては行方不明になっているという。 それにしても、足が冷えるなぁ。疲れて身体は重くなって眠たいんやけど、頭が妙に冴えてしもて寝られへん。 風のうなり声にますます不安になって、考え事ばっかりして寝られんようになる。帰ってこれん、帰ってこれんという言葉が頭ン中でグルグル回り出す。「まだ起きとるか?」「ああ」「あ、びっくりした。何や、起きとったんか。起きとるんやったら俺が声かける前に言うてくれなアカンで。心臓止まるかと思たわ」 恐ろしく寝つきのイイ奴やから、問いかけに対し、すぐ返事があって逆に驚いた。いつも布団に入ると同時に寝てそうな人やのに。「お前の一生って短いなぁ」「どういう意味だ」「だって、一生の時間から寝てる時間引いてみぃな。なんか損してへん?」 どう思たんか、返事はなかった。「なぁ…風、すごいな」 ざわ〜っと木の騒ぐ音がする。「なぁ、お前は怖ないのん?」「何がだ」「マダンとかいう幻術師のとこ行くのん」 今夜は月もなくて部屋は真っ暗けや。声からしてクェトルは向こう向けに寝とるみたいや。「帰ってこれんかも知れんねんで。怖ないのんか?」 返事はない。寝てもたんやろか。 その沈黙が俺には、すごい長い時間に思えた。「ちょう、聞いとんか? もう寝とるんかいな。お前、帰ってこれへんの怖ないんか。のんきやなぁ、ってゆーか、図太いやっちゃな、お前は」「うるさい。なるようにしかならないだろ」「何や! 無責任やなぁ! 誰のせいや、こんなことになったんは」 思わず口をついて出た言葉を引っ込めるのは不可能。うわっ、何か気まずい沈黙が…。「ああ、そうだな。俺のせいだ」 自分が先に言うてしまったのに、何も返事のしようがなかった。 何か、スゴい虚しくなって、反対側に寝返り打って、頭から布団をかぶり直す。 こんなん言うてしもたんは、お前が胸の内を何も言わんからや。 お前は、いっつも俺に何も言うてくれへん。俺は信頼もされてへんし、お前の癒やしにも慰めにもなっとらんということやろう。 もう、十年も一緒におる親友やろ。胸の内をぜんぶ明かしてほしいねや。 せやけど、俺もお前に何もかも明かしてるとは言われんし、絶対に誰にも明かせん、大きい秘密を持っとるから、お互い様やと思う。 もっとお前の近くにおりたいのに、その距離は壁があるみたいで何よりも悲しい。 ###………  あのネゼロア山も、今は目の前に覆い被さるように見える。  高い頂上には雪が積もってて、目にするだけで寒さが助長されてブルッとくる。  ……と同時に、小のほうをガマンしていることを思い出してもた。 「ちょっと、用を足してきますわ」  俺はクェトルに、そう断ってから草むらに分け入る。  冬は寒くて最悪やけど、あまり虫がいないことだけが救いやな。夏場に草むらなんかに入って用を足そうものなら、おケツがエラいことになりますわな。  スッキリして、ようやく山裾に立ち入ると、立ち枯れっていうんか、枯れ木の森ばっかりで殺風景になった。  たとえるならば、自分が小さくなってハゲたオッサンの頭に登ったような、そんな体験ができる。  二時間も歩いたころ、周りは寂しい枯れ木の森から、いつの間にやら深い緑の森に変わってて、湿っぽいにおいが立ち込めていた。  それもそのはずや。木の間からチラチラと水面が見える。宿のオッサンに聞いていたとおり湖があった。その北に屋敷があるそうや。 「あっ、あれかなぁ」  木の間の獣道を水際に沿って回り込む。すると、視界が遮られるほど生い茂る木々から古めかしい屋敷が顔を出した。  やっと着いたことが嬉しぃて、俺はルンルン気分で早足になった。けど、足元は落ち葉がフワフワして歩きにくい。なかなか思うようには進めへん。  こんなに足元は不安定やのに、クェトルは平然と歩いていく。まったく、どないな脚しとんねん。 「ちょ、ちょっと待ってぇな!」  スタスタと歩くクェトルの服をつかむ。  このままやと、ほっていかれる。この人なら、たぶん確実に俺をほっていく。こんなとこで置き去りにされたら、もう生きて帰られへんと思う。だから、お前だけが頼りや!  と、目で懇願してみるが、きっとキモいと思われただけであろう。  それはそうと、夕焼けを背にした屋敷の影が湖に映り込んどって、絵ぇみたいでキレイや。こんなとこまで来て、そんな楽しみを見いだせるとは思わんかった。  湖畔をぐるっと半周して、やっとこさ屋敷の前に出れた。もうすでに夕日も山の向こうへ隠れてしもて、辺りは薄暗くなってきた。おまけに寒くもなってきた。  コケが生えた古い石の壁に城壁の門のように大きい戸がある。戸の鉄でできた部分には草みたいな浮き彫りがしてある。木の部分は古い屋敷に似合わず新しいみたいや。  俺らは顔を見合わした。何となく流れで俺が戸を叩くことになった。  戸は建て付けが悪いんか、叩くたんびにガタガタ音が出る。そのまま遠慮なく何度も叩いてみる。  が、返事はない。けっこうな音がしてるハズやのに、不気味に静まり返っとるばかりや。  広すぎて聞こえてへんとか? それか、空き家なんかな? 「ホンマに誰か住んどるんかいな」  と、俺がつぶやくと同時ぐらいに戸が開いた。ギギィーと不快な音を立てて半分ぐらい開いて止まる。  まるで物語に出てくる魔法使いの婆さんとしか言いようのない人が、のそ〜っと、暗い顔してのぞく。あまりの不気味さに一瞬、ビクッとしたくらいや。  お婆さんは俺より背が低くて、上目遣いにジーッと見られた。 「マダンは、いるか」 「何かご用でございますか?」 「マダンに会わせてくれ」  クェトルは婆さんを見据えて言う。  婆さんは俺らを上から下まで観察するように見てきた。なーんかイヤな感じ。 「少々お待ちくださいませ」  婆さん口調は丁寧やけど、不信感いっぱいな感じで答え、戸を閉めて奥に引っ込んだ。  マダン本人にでも確認を取りに行ったんやろか。もしアカンと言われたら、どうなるんやろ、と心配になる。  そんなに待たず、再び戸が開いた。その隙間から婆さんがしわくちゃの顔を覗かした。 「お入りくださいまし」  良かった。きっと許可が出たんやな。  入ってすぐが広間になっとった。映り込むくらいにピッカピカな石の床や。よく磨かれてて滑りそう。  天井には大きいシャンデリアが。薄暗い天井をよく見ると、小さい雲の浮かんでる青空の絵がかろうじて見える。  婆さんは先に立って広間の左側にある扉を開けて案内してくれた。  戸をくぐると、まず真っ正面に暖炉が見えた。赤々と火がついてて暖かい。  それから、蝋のにおい。  部屋の真ん中には十人ぐらいが座れそうな長いテーブルがある。燭台には、灯りがともされていた。  せやけど、この暖かそうな火も、屋敷自体も幻術なんやないか、とも思えた。  婆さんに促されて俺らはイスに座る。そうして、幻術師の登場を待つことになった。  窓の外は、もう真っ暗や。  どんなヤツなんやろう。  いきなり術とかかけられてしまうんやろか。大丈夫やろか。  いろいろと考えとると、ますます不安になってきた。  ふとクェトルを見ると、まったく動じる気配もなく、澄ました顔しとる。それはもう、うらやましいぐらいに。  そうこう考えとると、入り口の扉がギチッと開いた。  俺は思わず身構えてしもた。 《つづく》  マダンらしいオッサンが姿を現した。白髪まじりの灰色の髪を後ろに撫でつけた髪形。目の覚めるようなキレイな青いガウン。背ぇはそんなに高くないけど、何ていうか、威圧感みたいなもんで大きく見えた。自信がみなぎっとるからやろか。 「ようこそ、いらっしゃい。私が主のマダンです」  ニッと白い歯を見せて笑う。ゆっくり歩いて一番奥のイスに座った。スキのない動きに見えた。 「私に何のご用ですかな、かわいいお客様」  テーブルに両ヒジをついて、組んだ手の上にアゴを乗せて俺らを見つめる。  かわいいお客様やて、キモい!  なに企んどるんやろか。  と、ふと何かイイ匂いがして見遣ると、いつの間にか目の前のテーブルにお茶が置かれとった。運んできたのんは金髪のキレイな兄ちゃんやった。ジェンスよりかは少し劣るけど、なかなか美人の兄ちゃんや。ただし、ぼーっとした目をしてて、何かフツーの人とは違うってゆーか、要は変というわけや。簡単に言うと。  三人の前に湯気の立つカップが置いてある。青い繊細な花柄が描かれたカップや。金のふちどりがしてあって、ふむ、なかなかイイ仕事してはりますなぁ。  マダンはムダに優雅な動作でお茶を勧めてきた。カップの中には青いお茶が。オッサン、青が好きでんなぁ、お茶まで青ですか。  何となく飲むのんが躊躇われた。だって、この人、幻術師なんやもん。何を盛られてるか分かりませんぜ。  オッサンはカップと一緒に置かれてあった、おママゴトのコップみたいな小さい容器に入った液をお茶に入れた。シロップなんやろか。  飲むかどうかは別にして、手持ち無沙汰だった俺もマネしてみる。…おおう! お、お茶の色がピンクに!? これは、魔術なのかっ?? 「単刀直入に言わせてもらうが、貴方(きほう)の所持されているメリサの宝剣の鞘を譲ってもらいたい」  俺の驚きや楽しみをよそに、クェトルは本題に入り始めた。事務的というか、何とも面白みのない人やなぁ。ふーんだ。 「ああ、メリサの宝剣ね。ありますよ、私の収集品の中に。私は中身のほうを探してたところです」  大げさな身振り手振りで言った。そして、いかにも残念そうな表情でクェトルを見た。 「うーん、残念だ、実に残念です。あっ、お譲りしないとは言ってませんよ。愛着があるので、一晩だけ別れの時間をください」  意外とアッサリと譲ってくれそうやった。  そうして小一時間ぐらいやろか、マダンのたわいのない世間話的なのにつき合わされた。 「さあさ、ちょうど晩餐も調いましたから、どうぞご一緒してください」  何や、恐れられとる幻術師にしたら、穏やかでエエ人みたいや。おなかも空いとったし、出された物を勢いでいただいた。毒やらは入ってないやろ、という疑いを心の隅から追いやりながらやけど。  その間に話は弾んだ。弾んだと言っても、誰かさんは、ほとんどしゃべりもしなかったけど。 「メリサの鞘、見せてさしあげましょうか」  俺らは食べるのんをやめてマダンを見た。マダンはグラス片手にニッと笑う。 「ただし、かわいいほうのアナタ。アナタ一人だけに見せてさしあげましょう」 「えっ、俺だけですかぁ?」 「そうです。私の大切なコレクションですからね。ね、解るでしょ?」  そう言うてオッサンはクェトルのほうを向いてウインクする。クェトルは鼻で一笑して目線を落とした。  えっ、どーゆーことやねん?! 俺だけ意味が解ってへんの?? 誰か教えて…。 「行きましょう」  マダンは立ち上がり、扉のほうへ歩き出した。俺が困ってクェトルのほうを見ると、しっしっと手で追い払われた。  仕方なくマダンについて部屋を出る。不安やわぁ。  廊下の燭台には灯りはついてなかった。手渡された燭台で下のほうを照らしながら歩く。でも、なぜか俺の燭台だけロウソクが外れそうにグラグラしとる。やな感じや。  足元から照らしてるせいで、壁には大きい影が伸び上がって不気味この上ない。  俺はマダンを見失わんように早足でついていく。こういう時って、怖い相手でも闇の怖さよりかはマシで、一緒におると変に安心できる。喩えるならば、殺人鬼と一緒に狼の森を歩いてるような、そんな感じやろか? 「ところで、アナタ。夢は見ますか」  先に立つマダンは振り返らんと低い声で話し始めた。  質問の意味がイマイチ分からん。 「夢、ですか? 将来の夢ですか。それか、寝てる時に見るヤツですか?」 「寝てる時の夢ですよ。夢の世界を自分で操れたら楽しいと思いませんか」  何が言いたいのんか、ぜんぜん解らんかった。 「ほら、例えば、夢が支配できたら、世界の王にもなれますし、魚や鳥になることができるのですよ」 「はぁ…」  そらそやろなぁ。確かに自由で面白いけど、そんなん、夢を思いどおりにするのんは難しいやろ。どうやってやるんやろか。寝てしもたら自分の意思では、どうにもできひんような気が。  灯り一つない真っ暗な廊下に二人分の足音だけがコツコツ響いとった。いつの間にか足音の人数が増えてたらどうしょーと思い始めたら背後が気になってしゃーない。肩から背中にかけてゾーッと妙な寒気がする。 「あのおかたは、一人で何でもやってしまい、一人で何でもできる人でしょう?」 「はぁ…?」  一瞬、意味が分からんかったけど、すぐクェトルのことやと気づく。 「アナタは、いつも行動を共にしているのでしょ?」 「そうですけど…」  何が言いたいんか、さっぱり読めんかった。マダンは前を向いたまんま、振り返らずにしゃべっている。  マダンの声は、隙があれば心の中に入って来られそうな、危険というわけやないんやけど、こう、言葉では言い表しにくい、危ない香りがする。喩えるならば、嗅いだら死ぬんやけど、思わず嗅いでしまうような誘惑に満ちた毒の花の香りみたいな、そんな感じやろか。  表現がヘタで、感情をそのまんま言葉にしにくいんやけど、俺の第六感なるモノが教えてきとる。俺の勘は馬鹿にできん。 「でもアナタは、いくら彼について回っても、一つも彼の役に立てていないと思っているのでしょう」  そやなぁ、俺はアイツの役には立っとらんのやろか。そら、確かにアイツは一人で何でもできるし、冷たいぐらい、人に頼ったりせんヤツや。俺は、してもらってばっかり。むしろ、足手まといの時があるのは自覚しとった。  せやけど、この人は俺らに会って何時間も経ってないのに、そんなことが何で判るんやろか。それに、何でそんなことを話題にするんかが分からんかった。  なんとも、広い屋敷や。だいぶ長いこと廊下を歩いた末、やっとこさ突き当たりに小さめの扉が見えたのであった。鳥アタマな俺は、もはや目的を忘れかけてた。  マダンは鍵を取り出して開ける。先に立って部屋に入った。俺も続いてお邪魔する。  マダンは持っている燭台の火を使って、真っ暗な部屋の燭台に灯りをともす。やっと部屋の中が少しだけ見えるようになった。  壁に武器や絵がキレイに整頓されてかけられ、ガラス張りの戸棚に陶器みたいなんがお行儀よく並んどった。 「剣はね、鞘あってこそ使えるのですよ。抜き身のままでは危なっかしい。ちょうど彼が刀身なら、アナタは鞘のような物ですかね」  マダンが灯りをともしながら背中で言うた。俺は、「はぁ」としか言いようがなかった。  でも、俺でもアイツの役に立ってるということやろか。 「卑猥な意味じゃないですよ」  マダンは肩をすくめて意味ありげに、やらしくヒヒっと笑った。  どういう意味やねん! めっちゃ気になる!  笑いながらマダンは奥の部屋に消えたみたいやった。俺も急いであとを追った。  やっと追いつくと、マダン光沢のある白い布の包みを広げかけとった。はて? デジャヴか? どっかで同じような光景を見たような。あ、ラダのオッサンか。収集家ってゆーのは、みんな同じようなものやねんな。 「これでしょう?」  マダンは包みを開いた。黒い金属に金やら宝石やら、ぎょうさん散りばめた鞘が出てきた。灯りを反射してキラキラきれいや。 「これはね、昔、美しい女王様が愛する剣士に贈ったと言われる品なんですよ。どうです? 美しいでしょう?」  そう言いながら俺の顔のほうへ鞘を近づける。  確かに、キレイや。ってゆーか、宝石もたくさんついてて高そうやなぁ。この宝石を二、三個、分からんように外してう売っぱらったら儲かるやろな、と悪いことを考えてみる俺であった。 「明日の朝には差し上げますよ。今夜はもう遅い、泊まっておゆきなさい」  廊下は単純な一本道やったから(その代わり、長い&遠いけど)、俺は一人で、かなり早足で、ってゆーか、むしろ全速力で元の部屋に帰ってきた。  明日の朝には鞘をくれるっていうのをクェトルに早く伝えたかった。っていうよりも、ただ単に真っ暗な廊下が怖かっただけというのは、内緒の話で。  さっきの部屋に入る。まず、真っ正面に暖かそうな暖炉の火。それから、すっかり片づいたテーブル。そのテーブルに突っ伏したクェトルの黒髪が見えた。 「って、寝てるんかーい」  俺はテーブルを回り込んで肩をつかんでゆすった。ホンマに寝てるみたいやった。 「どこででも寝るやっちゃなー。おーい、起きんかいな。そんなとこで寝ぇなや。風邪ひくで〜」  耳元で大きい声出しても起きる気配あらへん。疲れきっとるんか、普段より手ごわそうや。うたたねは良くないゾ。よーし! 「ダメですよ」  いきなり声が聞こえたもんやから、俺はビックリして顔上げて声の主のほうを見た。いつの間にか入り口のところにマダンが立っとった。 「無理に起こしてはダメですよ。夢の世界に心を忘れてきてしまう」 「えー、どういうことですか?!」  思わず聞き返したけど、マダンはニタニタ笑とるだけやった。 「クェトルに何したんですか?!」  そう口に出してからハッとした。そうや! 忘れとった! この男は幻術師やった! しもた、油断しとった! 「いやー、言い忘れてましたが、この部屋には眠りの妖精が住んでいましてね、時々お客様にイタズラをするのですよ」  マダンは嬉しそうに笑いながら言うた。  ふざけとる!   俺はハラ立ってマダンをにらみつけた。 「いつ起きるんですか!」 「さあて、いつのことなのやら」  明らかにとぼける。 「まあ、起こさずに起こすことですな」  マダンはそう言い残して部屋を出ていこうとする。 「待ってください! どないしたらイイんですか?!」  あわてて入り口までマダンを追っかけて食い下がる。マダンに振り向きざま人差し指を突きつけられる。 「アナタは鞘でしょう? 刀身を護らないのですか」  ニッと笑って部屋を出ていってしまった。  長〜い沈黙…。  …と、とりあえず、何とかしよか。  起こしたらアカンと言われても、このまんまにしとくわけにはイカン。考えたあげく、床に寝かすことにした。  と言うても…重い! 何て重いんや! 非力な俺の渾身の力でイスから下ろす。もう、引きずるしかあらへん。 「うーん…!」  あまりの重労働に身体がバラバラになりそうや!  何とか温度がちょうど良さげなところまで引っぱってきた。コイツ、中身がギッシリ詰まっとるんか知らんけど、見た目は細いくせに、めっちゃ重たいなぁ!  荷物から毛布を引っぱり出してきて、かけてやったころには、俺はもうヘトヘト。寒い季節やのに、額には苦労の結晶の汗が流れておるわ。  俺がこんなに苦労しとるのに、当の本人は平和そうに口を開けて寝てはる。ハラ立つわぁ。口の中に蜘蛛でも入れたろかしら。  せやけど、コイツも寝てる時だけは、しかめた眉とか引き結んだ口とかが少しゆるんで、ちょっとだけ穏やかな顔に見える。普段、いかに隙なく油断なく気ぃ張っとるんかが分かる。騎士の息子やからか知らんけど、負けず嫌いでプライドの高い人は疲れるやろなぁ。  しかーし、問題は解決してへん。まったく起きる気配なし。てか、起きたとしても心を置き忘れてきたらアカンと言うてたな。  心を置き忘れたら、どうなるんか考えてみた。と、さっきお茶を出してくれた兄ちゃんを思い出した。変な人やと思ってたけど、ひょっとしたら術で心を置き忘れた人なんやろか?!  いったい、どうやって起こしたらイイんやろか。これがあのオッサンの術なんやとしたら、術を解かん限り、ずーっと起きんのやろか。  気のせいか、さっきより部屋が暗くなったように感じられる。気分が重い。それはもう、目に見えん牢獄にでも閉じ込められた気分や。  いっつも人に頼ってばっかりな俺やけど、今は頼れる物は何もない。逃げて帰ることも許されへんし、逃げて帰ることもできひんやろ。助けは誰もおらん。大事な刀身(コイツ)を護れるのんは鞘(おれ)しかおらん。俺は逃げるわけにはいかへん。  クェトルの枕元に正座する。座ったところで何の知恵があるわけやないんやけど。とりあえず。  頭の中でマダンのセリフがグルグルと回る。起こさんと起こす、起こさんと起こす…なぞなぞみたいやな。俺、なぞなぞ好きやねんけどな。なんでやろか、答えが思い浮かばん。  なんか、俺が眠たなってきたわ。もしかして、俺も術にかかっとるんやろか? だとしたら、お手上げですぜ、奥さん。  しかし、考えれば考えるほど、泥沼に沈んでいくみたいな気ぃしてきた。もしや、哲学的命題か?!  アホみたいにグーグーよう寝とるわ。口に蜘蛛が巣ぅを張っても気づかへんのと違うかな。 起こしたらアカンねんけど、いたずらしたんねん。こんなに苦労しとんねんから見返りとしてエエやろ。よいしょ、まぶた引っぱったんねん。あーあ、白目やがな。あっ、まぶたに目描いたら起きてるように見えるかな…って、見せかけてどないすんねん。俺の自己満で終わっとるがな。  次は鼻に指突っ込むで〜、しかも両方やで〜。  …虚しくなってきた。  ふ〜。平和そうに寝とるけど、どんな夢を見とるんやろか。起きとるんよりも、何かオモロイことでもあるんやろか。すみませんね〜、俺のオモロさも夢には負けましたわ。  …  …  夢…? そうや! 俺が夢の中に入ったら起こせる!   聞いたことがあった。頭同士くっつけて寝ると同じ夢が見られるって。これしかないわ!  さっそく俺はクェトルの頭に自分の頭を寄せて、言うなれば一直線になって寝ることにしたのだが…寝れん! 眠たいのに頭だけ冴えちゃって寝られん状態。まさにそれ。心を落ち着かせようとガンバっても頭はどんどん冴えるばかり。  眠くなれー  眠くなれ…  川の岸にいた。  舟が見える。  乗ると親父がいた。  さあ、家で母さんが待っている、と言う。  目の前には寝台で眠るように死んでいる母さんがいた。  振り返ると食事の用意をする母さんがいた。  食事の用意ができましたよ、と言って、寝台で横になって動かなくなった。  親父は戸を開けて出て行くところだった。  親父、母さんは放っておいてイイのか、と言うと、国王陛下のおおせでな、来年の夏には帰る。と言って舟で家を出た。  黄色い砂の道を長い間歩いている。真っすぐのようで、曲がりくねっていた。  道の両側には店が数知れず並ぶ。  親父が前を歩いていた。  親父は店に入っていった。  ビンが無数に並んでいる。  親父は、こっちを向いて、これで母さんは元気になる、と言った。  国王の用事はイイのか、と聞くと、お前もやっと騎士になったか、と言われ、騎士だったことを思い出した。  今日は登城の日だった。  母さんと親父が並んで見送ってくれた。  街を馬で駆けていると、馬が何かにつまずいた。  人を踏んだらしく、見るとアルが倒れていた。  何してるんだ、と抱き起こすと、いきなり拳で殴りつけられた。  ハッとして見ると、ケラケラ笑い始めた。  どうやら笑い薬を飲んだらしい。  あんまり笑うから、鳩が口から顔を出している。  そのまま鳩がツルリと逃げ出したから、あせって追った。  追っている内に母さんが一緒に走っていた。  振り返った時にはアルが走っていた。  アルが、俺は必要ないか、と聞いてきた。  いや、助けてくれ、と答えると、ニヤニヤしているだけだった。  助けてくれ、と、もう一度言うと、肩をつかまれて激しく揺すられた。  寝てる場合と違うだろう、と言う。  お前のほうこそ寝てるじゃないか、と言うと、目の前で母さんが静かに眠っている。  手を触れると、薄暗い俺の部屋にいた。  アルが窓から入ってきた。  確か二階だったような気がするが、気にならなくなった。  今日は何か用か、と聞くと、抱きついてきて、頬や額や、あらゆるところに接吻された。  あまりにも不気味で突き放すと、アルは泣き始めた。  何だか悪いことをしてような気がしてアルの肩を抱くと、袋を手渡された。  開くと、黒い蜘蛛がゾロゾロと這い出した。  何を思ったのか、俺は這い出す蜘蛛をつまんでは口に入れ始めた。  噛むと懐かしい味がした。  雨が降っていたから外に出てみると、鳩が一羽、足元を歩いていた。  ついて行くと虹のかかる川が見えた。  …  …おい、アル!  何かクェトルの声が聞こえたような気ぃしたけど、気にせいやろ。アイツはグーグー寝っぱなしやんか。 「おい、起きろ」  お前が、はよ起きんかい。  と、パチンと音がしたかと思うと、ほっぺたが痛くなった。  目を開けたら、クェトルが見下ろしとった。夢やろか? 「いつまでも寝やがって」  それは、こっちのセリフやで! 思い出したわ。お前のせいで、えらい苦労したことを。この人、知っとるんかいな。 「いつの間に起きたんや」  俺が言うと、クェトルは目線で窓のほうをしめす。すっかり外は明るくなっとる。  辺りを見回す。窓からの明かりが差し込む以外は昨日と何も変わりがない部屋。もっとも、あれが昨日のことやっていう確証もないけど。ひょっとしたら、二、三日寝とったんかも知れんし。  確か、マダンの術かなんか分からんねんけど、寝てしもたコイツを起こすのんに必死になってたんやな。  ゆっくり身体を起こす。頭が痛い。ズキズキしとる。 「お目覚めですかな」  マダンが部屋に入ってきた。その手には布の包みがある。 「さあ、お約束どおり」  そう言うてマダンは包みを俺に差し出した。受け取ると、ズッシリ重い。こんなに重いものやったとは。  開くと、メリサの鞘が顔を出した。ろうそくの薄明かりで見たよりも、もっと輝いて見えた。 「お代はいりませんから、差し上げますよ」  俺がマダンの顔を見ると、ニッと笑った。  屋敷を出ようとすると、見送ってくれてたマダンが俺だけを呼び止めた。クェトルはゆっくりと歩き出した。  これだけは言っておきたかった、とマダンは前置きをした。 「負けましたよ、アナタの愛には」  そう言うてマダンは微笑んだ。  この人、幻術師マダンにはバレたんかと、内心ギクリとした。いや、いくら何でも分からんやろ。 「おっと、ぼやぼやしてると、アナタの半分が行ってしまいますよ」  マダンは俺の背中をトンっと押した。軽く押しただけなんやろけど、バランスを崩した俺は前にコケとった。とっさについた手に砂利が何個か刺さった。痛!!  まあ、痛いほうが夢とちゃうからエエか。

『翡翠の悲歌』おわり

《第8話へ、つづく》

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